#腐敗した心 6


 虚無感に心が押しつぶされそうなユリアの目の前を、件の親子が足早に横切っていく。と、娘の手から人形が滑り落ちた。


 あっ、と娘が後ろを振り向いて、落とした人形に手を伸ばそうとする。しかし、母親はそれに気づかず、娘の手を引いてぐんぐんと進んでいってしまった。

 娘も人形のことはあきらめて、前を向き直って肩を落とした。


「あっ、あの……」


 だがユリアが、思いがけず親子を呼び止めた。二人が怪訝そうにこちらを振り返る。


 落ちた人形をそっと拾い上げ、ついた土を払ったユリアは、それを持って親子に近づき、幼い娘と目線を合わせるようにして膝をついた。

 人形を手離したときの寂しげな表情を見ればわかる。彼女にとって、それは大切な友だちなのだ。


人形この子、名前はなんて言うの……?」


 ユリアは人形の名前を聞いた。


 布の切れ端を継いで接いで作られたその人形は、思ったよりもみすぼらしい。母親のお手製であることが想像できる。


「アナベル……」


 幼い娘は小さな声で教えてくれた。


「大切な友だちは、手離しちゃだめだ……」


「ありがと……」


 小さな友人が手もとに返ってくると、幼い娘はお礼を述べた。

 それだけで、ユリアの心も少しは報われたような気がした。


 しかし、母親の反応は娘とは違った。ユリアの着たコートの胸もとにある教団の紋章を確認するや、我が子を隠すように前に出てきた。そして、ユリアを軽べつの眼差しで見下ろした。


「人殺し……!」


 ナイフで心臓をえぐられたみたいだった。


「あんたらのせいで、夫が死んだんだ!」


 ユリアは返す言葉もない。


 母親は、娘の手を引っ張りながら、通りの向こうへと逃げるように去っていった。その間も幼い娘は、ユリアへのお礼のつもりか、控えめに手を振り続けていた。

 幼いがゆえの、彼女の無邪気さだけが、せめてもの救いだった。


「何なんですか、あの女? 感じ悪ぅ!」


 親子が消えた方向へと、ミミが悪態をついて、べーっと舌を出した。


「そもそも、あんたの旦那が死んだのは、テロリストに荷担したからでしょ? 自業自得だっつーの!」


 べつに感謝されたくて人形を拾ったわけではない。だから、ミミの言葉には耳を貸さない。

 おもむろに立ち上がったユリアは、ふらふらと、帰るべき宿へと足を運んだ。


「あっ、待ってくださいよ、先輩!」


 置いてけぼりを食らったミミも、小走りでユリアを追いかけるのだった。

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