終章 春風のように
僕は気が付くと、此岸と彼岸の狭間にいた。果てのない湖と血を思わせる深紅の空、そして晩秋の風を思わせる様な冷たい風を送る空気が立ち込めていた。僕の周りには数多くの光の玉が彼岸と向かっていた。しかし、一つの光の玉だけが、その流れに逆らうように、僕の隣に漂っていた。まるで、僕を待っていたかのように。僕は、儚く脆いものを抱くように触ると、視界が一瞬にして光に包まれた。
「ホソノくーん。」
ホソノと呼ばれた青年は、穏やかな笑みで、こちらを向いて片手を上げて、手を振った。
刈り上げた頭髪に眼鏡をかけたホソノは、いかにも人のいい好青年といった感じをさせる印象がある。
「ヤノ、高校初日から遅刻する気だったのか、僕が迎えにいかなければどうせ寝てる気だったんだろ。早く行かないと本当に僕まで遅刻してしまうよ。」
それでも、ホソノの顔は、一切怒るような顔はせず、終始穏やかな笑みを浮かべていた。
「だって、ホソノ君と一緒の学校になれて眠れなかったんだ。」
― これは ヤノの過去なのか いや 祈り 願いなのだ -
「一緒のクラスだといいね。」
ヤノは、眩しいものを見るようにホソノを見上げると、ホソノは小さい子供をあやす様に、優しく頭を撫でて
「そうなると、僕はヤノが居眠りしないように、終始監視しなくてはならないね。」
ヤノは甘えるように駄々っ子の様な声を出して
「ホソノ君、ひどーい、私は成長期で寝なくちゃならないの。」
ホソノは、あははと吹き出して笑いながら
「ヤノは四六時中寝ているのにさらに寝るのか。お相撲さんになるぞ。」
ヤノはホソノの笑いにつられるように笑いながら、そんな小言聞きたくな~いと言いながら、走りだすと
「ホソノ君先に行くね~」
ヤノはチラッと振り返ると、困ったやつだという顔をしたホソノが走ってついてきた。
僕は、一瞬目の前が真っ白になったと思ったら、今度は耳にはセミの大合唱と、視界には夏のまぶしい陽射しが広がっていた。
「ホソノ君、どこに行くの、暑いし、もうへとへとだよ~」
ホソノは、仕方ないなぁという顔をして
「これからとびっきりの場所を見せてあげるから。だから、頑張って。何事も苦労しないで、いい思いしようなんて、そんな甘い世の中じゃないだろ。」
ヤノはその場に座ると、もう歩けない~と言いだした。そんなヤノを見たホソノは困った顔をして
「仕方ないなぁ、おぶってあげるから、一緒に行こう。」
ホソノにおぶられて、長い階段を上がり、気が付いたらあの鳥居にヤノとホソノはいた。
二人は、山の上から、どこまでも透き通る青い空と、きらめくような新緑の僕たちの街のパノラマを見ながら
「すごーい、まるで天国からこの世界を見ているみたい。さすが、ホソノ君。」
そんなヤノを見ていたホソノは、急に顔をそらして、恥ずかしそうに
「これ、プレゼント。町の雑貨屋さんで、似合うと思って買ったんだ。」
ホソノは、僕がヤノから託されたあのリボンを差し出した。
「ええ、ほんと。嬉しい。似合うかな。」
リボンを付けたヤノはクルクルとホソノの周りを踊って、それに合わせてリボンがふわりふわりと妖精の様に漂った。
そして、今度は気が付くと、僕の目の前には今度は街路樹が紅葉に染まり一枚また一枚とはがれて冬の到来を感じさせる風景が広がり、ヤノとホソノは手を握りながら、温めあうように道路わきを歩いていた。
「ホソノ君、もう秋も終わりだね。来年も同じクラスかな。」
ホソノは手を頭に当てて、困った顔をしながら
「ヤノ、今の成績だと留年だよ。そろそろ本気で勉強しないと、ダブるよ。」
それを聞いたヤノは、急に走り出して
「ホソノ君のバ・・・」
視界が一瞬錯乱した。
気が付けばヤノは道路わきに倒れていて、さっきまで一緒にいたはずのホソノは電柱に体が寄りかかっていた。バンパーが致命的にへこんだ軽自動車と道路いっぱいに広がった血が、ヤノの頭をこれ以上ない位混乱させた。
ただ状況を見ればホソノは、車の前に飛び出したヤノを庇うために、突き飛ばして、自分が犠牲となったのが分かった。呆然とするヤノの頭の上には、無慈悲な冷たい雪が降りてきた。
― その後 ヤノ は 記憶を繰り替えしながら 部屋に籠り、ろくに食事も取らず ひたすら 後悔する祈りが続いた -
ヤノはただ、独り誰にも明かさず、ただただ黙って抱え込んでいた。
僕は気が付くと、自分のベッドの上に戻っていた。僕は、かつての恋人の形見を預けられた意味を考えながら、ベランダに出てこの暗い街のどこかに今もヤノが一人過去にとらわれているのを、痛いほど感じた。
― 今 僕が感じている 春風の様に 彼女の心が晴れることを 祈った -
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