5章 僕のとなりには

結局訳が分からないまま、僕はホームルーム後に職員室に呼ばれ、コテンパンにコバヤシにやっつけられた。そして、身も心もズタボロで教室に帰ってくると、タカハシは、満面の笑みで合掌しながら


「おめでとう、高校初日から、厄介な奴に目を付けられたな。言っておくがコバヤシはねちっこいぞ。くれぐれも、今後の高校生活に気を付けろよ。」


と、安心しきった様子で、ポンポンと、僕の肩を叩いた。

こいつ自分がターゲットから外れて喜んでいやがる内心苦々しく思いつつも


「それはそうと、俺の隣の席の・・・」


と言うのが早いか、タカハシは、一転して渋い顔で


「ああ、ヤノか、あいつ先輩の話によるとダブったらしいぜ。なんでも、奴に関わると呪われるとか、死人の魂が見えたり、聞こえたりするらしいぜ。おお、コワ、サカモトも関わらないほうがいいぜ。」


まぁ、ほとんど登校しないらしいから、関係ないだろけどな、ガハハハッと豪快に笑いながら、タカハシはズンズンと自分の席に帰って行った。僕は、ポケットから、あるべきはずだった現実に渡された、リボンを眺めながら、さっきまでの現実は確かに存在したと深く確信した。


―そして 結局ヤノは学校には来なかった  -


僕は自転車にまたがって、登校にかなり苦労した見返りとして、帰りは滑る様に心臓破りの坂を下って、家路へと急いだ。もう外は、あの時の此岸と彼岸の狭間の空の様に血の様な真っ赤なグラデーションがどこまでも果てなく続いていた。

僕は何気なく帰り道の公園にふと目を向けると、忘れもしない顔を見つけた。僕は、自転車を公園に止めると、彼女の方へと歩を進めた。彼女は、ブランコに座ってただ一心に空を眺めているように見えた、それともどこも見ていないかもしれない。僕は、弱気な心に活を入れて意を決して


「ヤノさん。」


と、声をかけたけど、振り向いた彼女は、朝のあの明るく天真爛漫な、彼女ではなかった。そこにいたのはずっと老けて打ちひしがれた様な彼女だった。そして、覇気のない目で


「誰。」


と、聞こえるか聞こえないか分からないような声で、まるで抜け殻のような空虚な瞳で見つめ返してきた。あのどこまでも吸い込まれるような瞳とは全く正反対のまさに伽藍洞の様な器だけの存在だった。僕は、戸惑いながらも


「ほら、朝、二人で学校を抜け出したサカモトだよ。覚えてないの?」


ヤノは、一切読み取れない感情のない顔で一言


「知らない。」


と、言って、またどこかを見つめていた。その視線の先はどこなのか、僕にはわからなかったけど、僕は続けて、すがる様に


「これ、ヤノさんがくれたリボン。これ、覚えているよね。」


と、ポケットからリボンを取り出して、ヤノへ差し出した。ヤノはそれを見た瞬間、顔は一瞬にして恐怖に染まった。


「なぜ、君がそれを。」


と言って、ヤノは見たくないものを見てしまったかの様に、小さい体をこわばらせて、うつむきながら、走って公園を出て行った。  

一人、残された僕の影は公園のブランコから砂場へと長く、長く伸びていった。


僕は家についてご飯食べ終えて自分の部屋のベッドに横になりながら、朝の夢のような出来事を思い返していた。彼女は言った


―  忘れないで  祈って   -


と、なぜ彼女が今の様になってしまったのか、わからないけど、あの輝くような春の陽だまりの様な彼女に会いたかった。彼女が下から見上げる、甘えるような視線が今でもありありと思い出せた。僕は、気づいてしまった。


―  朝の彼女に 恋をしている -


僕は、夜、目を閉じると、朝の彼女の笑顔と、あのねだる様な瞳が瞼の裏に映し出された。そして、僕の耳には山の小鳥と一緒に奏でられた、口笛がいつまでも耳に流れ続けられていた。


僕は、確信していた、ヤノの本当の姿は夕方のからっぽの彼女でなく、朝の春の日差しの様な彼女が本当の姿なのだと。僕はその彼女が本来の姿になれる様に、リボンを握りながら強く、強く願った。


そして、僕は気が付くと、いつの間にか、果てのない黄昏と、どこまでも続く湖の前で立ち尽くしていた。


― 僕のとなりには -

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