今日の嫌がらせは、なぜなかったのか?
王子は、改めてビラを眺めた。
「――うん。その金曜日の件は解決しても、全体的になんだか女性っぽいかな? このマジックで書いた手書きの文字とか、男性っぽくない気がするなぁ。それに、いろいろな形で書かれているけれど、複数犯に見せかけた単独犯かな……」
「ですよね」
わたしとフーちゃんは、そろって相槌を打つ。
わたしたちふたりに確証はない。単なるオンナの勘だ。これを書いたのは、単独犯、それも女性である気がする。
すると、王子は視線を下に向けたまま、きいていた。
「ねえ。ふたりとも、これをみて気づいたこと、ある?」
「これを見て? ワープロ打ちや切り貼りした文も含めて?」
「そう」
慌ててわたしは、頭の中をフル回転させる。
文字や筆跡ではない、文章上で気づくこと……。
そして、ピンときた。
フーちゃんが気づく前に、わたしは声をあげる。
「これ、綾さんを悪く書いたものがない?」
「そう」
顔をあげると、わたしに向かって王子はうなずいた。
ああ、もうこんな近くで真正面から見つめてくる、その顔だけでご褒美です!
「これらは、綾さんに対して別れろと言っているわりには、綾さん自身を傷つけるような言葉がないんだ」
その王子の言葉に、綾さんは困った表情となる。
「あ……。そう言われてみたら、そうですね……。これらを目にすると気が動転していて、そこまで考えつかなかったわ……」
「当事者は、冷静に見れませんものね」
わたしも同意する。
フーちゃんが、負けじと口を開いた。
「つまり、犯人は旦那さま側の女じゃないってこと? 例えば、綾さんに恋心を抱いている男性とかってことになるの?」
「でも、ビラから受ける印象は、やっぱり女性っぽい気がするんだよなぁ」
きれいなラインを描く顎に指を添え、王子はビラを見つめながらジッと考えこんだ。
――その優美な仕草に、わたしとフーちゃんの視線はうっとりと釘付けだわ。
「あの……。それで、ここまで見ていただいた感触で、この件をお引き受けしてもらえるのに、どのくらいの料金がかかりますでしょうか」
思いだしたように、綾さんがきいてきた。
そういえば、探偵事務所では一応、依頼料金一覧表なんてものが置かれていたが、そこまで決まっていなかった。この件は、どんな依頼に当てはまるものだろうか。
なんて思ったら、王子が口を開く。
「基本は時間制になります。今回は数時間の張りこみと、周囲への聞きこみ調査などを合わせた、その合計時間になりますね」
そう応えながら、王子は自分のスマートフォンを取りだすと、探偵事務所のサイトを開いた。そこの料金表を綾さんに向ける。
「そうなんだ。料金って時間制なんだ?」
気になって、わたしは王子に向かって首をかしげた。
「うん。調査前から一件につき数十万先払いっていう、ぼったくり探偵事務所もあるけれど、ウチは良心的な価格計算だからね」
「へえ!」
「そう。だから、いちばん探偵事務所に依頼が多い浮気調査も、あらかじめ帰宅の遅い曜日を割りだしたり、夕食がいらないと言われたりした日などを目安にするんだ。その日その時間、だいたい会社を出てから帰宅まで、浮気をしそうな時間帯に数時間だけ張りこむんだよ」
「そうか。じゃないと、どんどんお金だけが、かかっちゃうものね」
うなずいたわたしから、王子は綾さんへ視線を向ける。
「なので、このビラが入れられた時間帯を割りだして、その時間帯に張りこむという方法をとろうと思うのですが。このビラを、いつもいつごろ気がつかれていますか?」
「そうね……。ほとんど毎日、一枚ずつなのだけれど……。昨日は夕方、ほかの郵便物を取りこむときに、郵便受けに入っていたかしら。その前の日は、買い物から帰ってきたときに、玄関のドアの下から差しこまれていたの」
「買い物から帰ってきたときだったら、それだと、どちらも夕方ごろでしょうか」
「ええ、そうね。言われてみれば、いつも夕方ごろだわ。朝、朝刊を取り入れるときにみたことはないわね……。それに、たいてい私が見つけるけれど、主人が先に見つけたことはないかも」
うなずく王子を見ながら、わたしも考える。
やっぱりビラは、綾さんにだけ見せつけようとしているのではなかろうか。
彼女がひとりでいる時間に、彼女の目につきやすいところへ、わざわざ置いている気がする……。
「それじゃあ、念のためにご主人と綾さんの両方の交友関係を調べよう。あと、郵便受けとドアの下に入れられているのなら、防犯カメラに映っているかもしれない。二重扉のあいだの風除室に防犯カメラがあったから、マンションの管理人に交渉してみましょうか」
そう言って、王子はテーブルに広げられていたビラを集める。そして、袋の中へ戻してから立ちあがった。
わたしとフーちゃん、そして綾さんもつられて立ちあがる。そして、何気なくフーちゃんが口を開いた。
「あれ? 毎日入れられているって言っていたけれど、今日はまだ、ビラを入れられていないよねぇ?」
「あ、そういえば、そうですね……」
ハッと気がついたように、綾さんが目を見開く。その言葉に、わたしは部屋の壁に掛けられた時計に視線を向けた。夕方の五時を過ぎている。
郵便受けやドアの下を確認するために、慌てて綾さんは玄関に向かう。そして、首をかしげて戻ってきた。
「今日は入っていないみたいです。これからって可能性もあるけれど、もしかして来客に気がついて、今日は入れなかったのかも……」
その言葉が正しければ、やっぱり犯人は、綾さん以外には、あまり見られたくないのではないかという説が浮上する。
「綾さん、明日のご主人のご予定は?」
「えっと……。明日の土曜日も、主人は朝から夜まで出勤で」
綾さんの返事に、王子はうなずく。
「それでは、今日はひとまず事務所に戻って、所長に報告をします。明日は朝から動けますので、午前中のあいだにマンションの管理人に話を通して防犯カメラの確認と、夕方は可能性のある時間帯の張りこみで進めさせていただこうと思います」
王子がそう告げると、綾さんは、それでお願いしますとうなずいた。
――明日から捜査開始ですか。
土曜日は高校が休みのわたしたちも、もちろん協力いたしますよ!
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