依頼人は清楚な美人!

「こちらは探偵事務所でしょうか。お願いがあってうかがったのですが……」


 扉を開けて入ってきたのは、二十代後半とおぼしき、なんとも艶やかな女性だった。問いかける声も、しっとりと美しい。

 黒々とした長い髪は、ゆるくねじりまとめて後ろに垂らしている。軽い前髪の下に大きな瞳、小ぶりの愛らしい唇。透き通るような色白の肌。すらりとしたしなやかな体は、上品な色合いのAラインワンピースに包まれている。中学生のわたしからみても、あか抜けた色気のある美人だ。

 彼女は不安そうな表情で、事務所内を見渡した。


「所長。なにポカンと口を開けているんですか。ほら、仕事仕事」


 わたしはそう言いながら、すばやくソファーに置いていた学校カバンを手に取って、深く座りこんでいたフーちゃんを追いたてる。

 そして、依頼人である女性と所長を応接セットへ導いたあと、フーちゃんとパーティションの向こう側へ身をひそめた。

 探偵事務所を訪ねてきた依頼人だ。さすがに仕事の邪魔をする気はない。


 すぐに給湯室へ向かった王子が、数分後にコーヒーをいれて女性の前に置くころ、だいたいの依頼内容が女性の口から語られた。


「それで西藤綾さいとうあやさん。先日結婚式をあげられ、引っ越したばかりの新居に、いきなり不審なビラが毎日――約三週間ほどか、郵便受けや自宅のドア下に入れられるようになった。その犯人を見つけてほしいってことですね」


 所長が手もとの書類にペンを走らせながら確認する。

 綾さんは、左手の薬指にはめたシンプルな指輪をなでながら、ゆっくりとうなずいた。


「はい。たぶん、私の家にだけ入れられているみたいで。主人と別れろといった内容のものが……。警察に相談をしたのですけれど、実害は出ていないから、自宅周りの巡回を増やすといった対処だけで……」


 困った表情で、綾さんはため息をついた。

 書き終わった所長は、手に持ったペンで側頭部を掻く。


「ご主人は総合商社にお勤めか……。結婚したてで、奥さん側に心当たりがなければ、このタイプは、結婚前に付き合いがあったご主人の別れた女性が多いんですよ……」

「そうですか……。一応、主人にもビラを見せたのですが、そのようなことをされる方に心当たりがないらしくて」


 そうつぶやいたあと、綾さんは言葉を続ける。


「私は大事おおごとにしたいわけではないのです。主人にも迷惑や心配をかけたくありませんし、この嫌がらせの相手が特定できれば、その方と穏便に話し合いをしたいのです」

「そうですか。ただ、実害はビラを入れられているというだけですし、我々が関わったことで、今後の嫌がらせがおさまるかもしれません。そうなると、必ず犯人を現行犯で捕まえられるわけでもないですよ?」

「はい。これ以上の嫌がらせがなくなるのであれば、それはそれでいいですし……。もし、相手の方が特定できて、そのあと話し合いがこじれても、そのときは警察でも弁護士でも任せられるので」


 そこまで聞いた所長は、やがて大きくうなずくと顔をあげた。


「ご依頼はわかりました。ただ、いますぐ動ける探偵は……」


 そう言いながら、事務所内をぐるりと見まわした。

 その視線が、後ろに控えていた王子に向けられる。

 視線の意味に気づいたのだろう。王子は、ふわりとした笑みを浮かべて口を開いた。


「所長。ひととおり訓練は受けておりますので、ぼくでよろしければ」


 その言葉を聞いたとたんに、わたしは我慢ができずにパーティションから飛びだした。


「わたしも手伝います!」

「あたしも!」


 わたしに続いて、フーちゃんも慌てたように手をあげる。

 すると、所長が珍しく真面目な顔で言った。


「おいおい。中学生に手伝わせるわけがないだろう」

「でも、話を聞いていたら、これは第三者の女性の目から見た情報も、有効だと思います!」


 わたしは所長へ向かってゴリ押しする。そして、本気度をアピールするように王子へ真剣な表情をみせた。

 フッと笑みをこぼすと、王子は綾さんへ、そのステキな顔を向ける。


「ぼくがこの件を担当させていただきます。人手があったほうが気づきもありますので、彼女たちに、助手として手伝ってもらいたいのですが、許可をいただけますか」

「え? あ……。はい」


 新婚ホヤホヤとはいえ、王子の視線を受けてさすがに頬を赤らめながら、綾さんはとろりとした表情でうなずいた。


「おいおい。大丈夫か?」


 所長は苦虫を噛みつぶしたような顔になる。

 その所長に対しても、王子はにっこり笑った。


「ぼくが、ちゃんと彼女たちを護りますから」


 いやいやいや!

 この線の細いおっとり王子に、わたしが護られるなんてことはないわ。

 でも、乙女心としては、純粋に嬉しい。

 これは、逆に犯人に捕まってしまいそうな王子さまを、わたしが護ってあげなきゃ!


 なんて決意を固めたわたしの肘を、フーちゃんが小突いた。

 こそっとささやいてくる。


「ちょっと、瞳! ひとりで抜け駆けなんて、しないでよね!」


 やっぱり。

 ひとりで王子にくっついて行動、あわよくば、お付き合いの既成事実を――なんてわたしの考えは、フーちゃんに筒抜けだったか。


 そのとき、ピロリンとチャット音が鳴る。

 ――わたしも手伝うから!

 予想どおり、魅夜子も参戦のようだ。

 その様子を見ていた所長は、あきらめたように言った。


「まあ、命の危険が伴うような依頼でもないし、人手もあったほうがいいか……。臨時でバイトという名目で雇ってやる。だが、危険だと思ったらすぐに手を退けよ」

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