第26話 決着(11)―〈禁断紋章〉〈2〉

夢の中では、いつも魔法が使えた。それも、単なる汎用魔法ではない――固有魔法。日によって見る夢が異なるため、使える固有魔法も日々違っていた。例えば、ある日は火を操る力を持っていたり、別の日には物を瞬時に動かす能力が現れたりする。その度に私は、驚きとともにその力を自由に使いこなしていた。まるで本当に固有魔法使いになったような気分で、目が覚めるたびにその感覚を惜しんでいた。


私がこの夢を初めて見たのは、3歳の頃だったと記憶している。それからというもの、毎日のように固有魔法を使いこなしている自分を夢の中で感じ続けてきた。29歳になった今でも、その夢は続いている。それなのに、現実の私はどうだろうか。固有魔法が発現することは一度もない。私が使えるのは、あくまで汎用魔法――誰もが使えるような力ばかりだ。それでも、私は心のどこかでその力を期待していた。 夢の中では、私は強くて立派な魔法使いだったから。


年々、酒のせいで健康診断の結果が悪化していく。私の身に起きる変化はその程度。

それ以外、私は何も変わらない。酒に溺れて、日々の苦しみをその一時的な快楽で誤魔化し続けている。ただ、年齢だけが増えていく。

かつての私は。あの頃はまだ、自分の力を信じていた気がする。しかし、今ではそんな自信はどこにもない。


それでも、私は〈十大魔皇オーバーズ〉に選ばれた。それがどうしてか、今でも分からない。ただ、気づいたら一国の女帝になっていて、そして〈十大魔皇〉の一員としてその名を連ねていた。どうして私がそんな立場に立つことになったのか。なぜ、私は固有魔法の使えないただの普通の人間なのに、こんな重い責任を背負わなければならなかったのか。

重圧に押し潰される程に、私は酒に逃げるようになった。飲んでも飲んでも、頭は驚くほどクリアで、酒が効いているのか効いていないのか分からない。ただただ、心の中に渦巻く罪悪感が私を飲み込んでいく。そして気づいた時には、〈泥酔龍ドランクドラゴン〉という二つ名を持つようになっていた。自分でも笑えてくるほど、状況は悪化していった。


この世界が嫌になることも多くなった。 私は、何のためにここにいるのか分からない。私が何を象徴するのか、何のために生きているのか、そんなことが分からないまま、ただただ流されているだけだった。

だが、思うのだ。

結局、人々は誰かを崇めることで安心しているだけだと。

絶対的な存在がなければ自分を保てないのだ。 だからこそ、〈十大魔皇〉という立場が神聖視されるのだろう。だが、私はそんな象徴にはなりたくなかった。

――だから、私は愚帝として生きることを選んだ。みんなに見られたくない。何の象徴にもなりたくない。ただ、静かに過ごしたいだけなのだ。


今、私の目の前で戦っているのは、世界3位の魔法使いだ。その横には、魔装を取り出して、いつでも戦える準備が整った長閑がいる。私は、そんな二人に比べて何を持っているのだろうか。

私はただ、汎用魔法を使うことができるだけ。 それだけだ。他の誰かのように強い固有魔法もないし、特別な能力を持っているわけでもない。


私は、どうしてここにいるのだろう。


自己肯定感はとうに底をついている。それを隠すために、酒を飲んでいる。だが、酔えば酔うほど、頭だけはクリアになり、心の中の自己嫌悪が鮮明に浮かび上がる。私はこんな自分をどうしたらいいのか分からない。酒を飲んでも、心の中は全く晴れない。むしろ、飲めば飲むほど、無力感と罪悪感が強くなるばかりだ。


私は、夢の中のように固有魔法が使えたら――と思うことがある。夢の中では、私は自由に魔法を操って、誰かを守ったり、世界を変えたりしていた。それが現実だったら、どんなに良かっただろう。もし私が、夢の中で感じたような力を持っていたら、今の自分に何か変化をもたらすことができたのだろうか。


だが、現実は夢のようにはいかない。夢の中で覚えた力は、現実ではただの幻想に過ぎない。だからこそ、私は夢から覚めることが恐ろしいのだ。夢の中なら、何もかもが許される。だけど、現実には戻らなければならない。そしてその現実が、こんなにもつらいことを私は知っている。


もし、夢からも、酒からも、永遠に醒めることなく過ごせたら、私はどんなに幸せだろう。でも、現実はそんなことを許さない。だからこそ、私は目を背けてしまうのだ。



***



「ララ。長閑。先に行き」


ベルナルド・カデロは静かに、しかし強い意思を込めて言い放った。その声に、どこか揺るがぬ自信が込められていた。彼は2人の仲間を守るように、目の前の敵――一九十九と対峙する。


「いやいやいや、僕様を無視しちゃ困るなぁ。だって僕様は番人キーパーなんだよ?3人まとめてかかってきてもらわないと張り合いがないよ」


九十九は飄々とした笑みを浮かべながら肩をすくめて言う。しかし、その笑みに宿る狂気を、ベルナルドは見逃さなかった。しかも、九十九は続けて不穏な事実を口にした。


「それに――この先のフロアには、3階の番人が控えてる。言っておくけど、そっちの2人じゃ、あのの化け物には勝てないよ?」


フロア全体を一変させるほどの魔装を有するこの九十九自身が、もはや常識の外にある存在――《埒外》と言っていい。その彼が〈埒外〉と称する敵がいるというのだ。それが真実であるならば、通常の魔法士では到底太刀打ちできないだろう。


しかし、ベルナルドは微塵も動じなかった。むしろ、心の奥で安堵すらしていた。


――大丈夫だ。


ララ・フォン・ヴィンケルマンには特殊な性質がある。敵が強ければ強いほど、それに比例するように彼女の汎用魔法も威力を増す。その法則に、ララ自身はまったく気づいていない。だが、ベルナルドは彼女の特異性を見抜いていた。天性ともいえる直感と観察眼で。


そしてもう1人――長閑。その魔装は、〈適応」〉という異質な力を持つ。あらゆる魔法、物理的現象にまで適応し、変化し、進化する。つまり、未知の敵に対してさえ、対抗手段を持ちうるということだ。


「――行け」


迷いなく、ベルナルドは命じた。ララと長閑は躊躇いながらも頷き、ベルナルドの脇を駆け抜けていく。九十九は、それを止めなかった。まるで、彼もまた、3階の番人に全幅の信頼を置いているようだった。


「さて――1対1だな。じゃあ改めて自己紹介といこうか」


ベルナルドがゆっくりと名乗る。


「〈十大魔皇〉第3位。イタリア軍国家憲兵隊司令官兼イタリア魔導軍司令官兼第1魔導大隊長兼イタリア空軍副司令官兼現行イタリア王室直属近衛隊隊長兼国境警備隊長兼WWO副会長。〈輝煌閃光アルベド〉のベルナルド・カデロだ」


聞く者を圧倒するような肩書きの数々。その全てを背負ってなお、彼は傲らず、むしろその重荷を背負う覚悟を秘めていた。


かつてイタリアは王国だったが、時代と共に一度は共和制へと移行した。しかし魔法文明の発達と共に、再び王政に戻った。現イタリア王家の頂点に立つのは、アレッサンドロ・カデロ――ベルナルドの祖父である。


しかし、ベルナルドはその血筋に縛られたくはなかった。自由を求めて家を飛び出したが、結局その存在は広く知れ渡っており、次々と要職を任されてしまった。皮肉なことに、自由を求めたはずの彼が、一番重い鎖に繋がれていた。


「なら、僕様も言わなきゃダメか」


九十九が人懐こい笑みを浮かべながら、しかしどこか影を帯びた声で名乗る。


「〈観察者グレゴリオ〉所属。明姐の部下にして、中国支部の2階を任された〈番人キーパー〉。そして〈影袁会〉の暗器術師範。〈禁断紋章タブー・タトゥー〉の一 九十九にのまえ つくもだよ」


ベルナルドは一瞬、九十九の肩書きの中の1つに引っかかりを覚えた。


――〈影袁会〉。日本最強の傭兵集団。忍術、暗器、毒、諜報に特化した彼らは、裏の世界で知らぬ者がいない存在。彼らは徹底した実力主義であり、強者は誰であろうと上に立つことができる。その中で師範に登り詰めたということ。ただそれだけで、九十九がただ者でない証として十分だった。


「じゃあ―――覚悟はいい?僕様の魔装、そして暗器の嵐。生き残れる自信、ある?」


九十九がニヤリと笑った次の瞬間だった。


彼の胸に、突如として光の矢が突き刺さった。


「――は?」


一瞬の痛みに、九十九は理解が追いつかなかった。


血が溢れ出し、胸の中央にぽっかりと穴が開いている。ただ血が流れ続けていた。


「覚悟?それなら聞こう。お前は――死ぬ覚悟、できてんのか?」


ベルナルドは微動だにしていなかった。彼にとって、相手の魔装の仕組みも、二つ名の意味も、関係がなかった。


「お前は既に、


その言葉と同時に、天から無数の光の矢が降り注ぐ。まるで豪雨のように、正確無比に、九十九の身体を貫いていく。反撃の暇さえ与えず、九十九の身体は動かなくなった。


「――呆気ないにも程があるやろ」


彼は死んだ。完全に。無慈悲なまでに。


――ベルナルド・カデロ。


〈十大魔皇〉第3位。彼は世界最強と謳われるオスカーによって直々にスカウトされた逸材の1人である。


同様にスカウトされたのは、6位のリチャード、7位のララ、10位の王。そして、ベルナルド。


リチャードは1つの魔法から2つの極みを見出した。


ララは世界で最も魔力量を持つ魔法士。


王は驚異的な生命力を誇る、〈第五山泊〉出身の生粋の軍人。


ベルナルドは――魔力のコントロールにおいて、オスカーすら凌駕する。


そのため、彼は能力名さえ言わずとも魔法を自在に操ることができる。


天才は、生まれながらにしてその才能を持っていた。暴走することもなく、理解できぬこともなく、魔法を支配する。それは祝福であると同時に、呪いでもあった。


「クソが」


九十九の最後の言葉は、吐き捨てるような一言だった。


〈番人〉の肩書きすら、ベルナルドには通用しなかった。


もしかしたら――彼なら、自分を殺してくれるのではと、どこかで期待していた。


しかし、その望みはあっさりと裏切られた。


強すぎるというのも、また孤独だ。


孤高ではなく、孤独。

その違いを思い知らされる。


誰か――自分と並び立てる者はいないのか?


願いはただ、空しく心の奥に沈んでいく。


ベルナルドは振り返らず、先に進んだ2人の後を追おうとする。


だが――そこで立ち止まる。


「――なぜ、魔装が消えない?」


不意に感じた違和感に振り向けば、そこには。


穴だらけだったはずの九十九が、ゆっくりと立ち上がっていた。


「なっ――!?」


ベルナルドは眉をわずかにひそめた。わずかとはいえ、それは彼にとって珍しい反応だった。


目の前で九十九の身体が再構成されていく。体に空いたはずの無数の穴が、皮膚が、筋肉が、血管が、魔力の糸で織り上げるように戻っていく。まるで時間を巻き戻すように。


「うん、これは痛い。超痛い。けどまぁ、悪くないね」


九十九はぐったりとした様子で膝をついたが、それでも口元は笑っていた。血に濡れた顔のまま、彼は上目遣いにベルナルドを見上げる。


「さっすがだよ、〈輝煌閃光アルベド〉。殺意も威力も、完璧だった。でもさ」


彼はゆっくりと指を1本立てた。


「僕様、


ベルナルドの目がわずかに細まる。


「再生能力――いや、違うな。これは――」

「〈禁断紋章タブー・タトゥー〉――僕様の固有魔法の力さ」

九十九は続ける。


「僕様が触れた場所に紋章が描かれる。描ける数は無限だよ。朝起きて使った歯ブラシ。家のドア。近所の野良猫やその辺の石ころまで。僕様はここに来るまでに、目に付く全てに触れてきた。僕様を殺したければ、お前は、僕様の家を特定し、この中国支部から家まで僕様の使ったルートや方法を特定し、僕様の触った全てを特定し、それに付いた紋章の全てを消さなければならない!!」

「で、能力は?」

興奮する九十九を、冷ややかな目で見つめながらベルナルドは続きを促す。


「僕様が死ぬ度に、その紋章が消えて、僕様が生き返る。だったら、死ぬたびに強くなればいいと思わない?僕様はね、自分の死因、ダメだった戦い方、全部を紋章に記録してる。で、再生のたびに紋章を1つ消費し、僕様の戦い方を調整するんだよ」

つまり、死ぬたびに〈進化〉する固有魔法。

――そこまで聞いて尚、ベルナルドに焦りはない。

先程の驚きは、〈生き返ったこと〉への驚きであり、彼の語る能力への驚嘆ではない。

その沈黙を受け、九十九はさらに続ける。


「要するに、僕様がさっきの攻撃で死んだのは学習の初期投資だったわけ。次は通じない」


ベルナルドは無言のまま、片手を前に出した。


空間が歪む。


爆音と共に、数十の光の矢が九十九を襲う。刹那、九十九の周囲に黒い影が現れ、それらを逸らしていく。まるで魔力の盾のように機能していた。その影が、ベルナルドの光の矢を打ち返す。

「僕様の魔装の力、忘れた?自動で反撃するんだ。影が君を襲うだけじゃない。勝手に攻撃を打ち返してくれる」

――とはいえ。

九十九にも1つだけ、懸念があった。それは先のベルナルドの攻撃に対し、この反撃が通じなかったこと。


「お前の魔装は確かに強力だ。死を糧に進化する。それはすばらしい理論だ。しかし、俺には通じない」

打ち返された矢は、ベルナルドの脇を抜けていく。かすりもせずに。

「なぜ――!?」


「俺の攻撃が、俺に当たるかバカ」


ベルナルドが手を振る。


次の瞬間、九十九の腕に、真紅の光が浮かぶ。そして爆ぜるように破裂した。


「っあああっ!?」

それは、突如として走った激痛と、〈反撃〉が機能しなかったことへの驚き。

「お前は既に、俺の攻撃を

(何だ?どういう意味だ?この男の力が分からなければ、俺は紋章残機を使い切るまでひたすら殺され続けてしまう!!)

焦りと痛み。

九十九の額には、大玉の脂汗が浮かぶ。

裏社会の住人。この程度の痛みなど日常茶飯事なのにも関わらず、痛すぎる。

何故だ。

「ハァハァ――因果律干渉か?」

息を荒らげながら、九十九は尋ねる。

「否」

ベルナルドは、淡々と答える。

「俺の固有魔法は光を操る。この世界で最も速いもの。それが光だ。もし仮に、その光よりも速くなれたら。それは。俺の〈光の極〉の技の1つに〈遡行純光路パラダイム〉というものがある。これは、光よりも速く移動し、過去に行く。そして過去で敵を殺すんだ」


「は?」

九十九の理解が追いつかない。

「お前は裏社会の人間。それでも、腕が爆ぜる程度の痛みに耐えられないのは――俺がお前を、6歳の時点まで戻って攻撃したからだ」

6歳。たしかにまだ九十九は裏社会にいなかった。そんな世界と縁はなかった。

過去で攻撃されれば、攻撃された時点での感覚に襲われる。

6歳の頃に攻撃された痛み。

6歳の感覚での、腕が爆ぜる痛み。

それに今、襲われる。当時の生々しい痛みの感覚がそのままに。

加えて、攻撃されたのは今ではない。過去に攻撃されている。

その時点では魔装を発現していないため、自動反撃が発動しない。

「お前の残機があといくつかは知らないが、残機がなくなるまで殺し続けてやる」


一 九十九。

これから先、死を無限に味わうこととなる。


(生き返った時は、少しは楽しめるかもって思ってんけどなぁ。やっぱり手応えないやんけ)

孤独は孤高になれぬまま。


彼は1人、先へ進んだ。

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