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第29話 話しかけないで

 「本当に男は来ないの?」


 無意識にため息をつく。

この質問は今日で何回目だろうか。


 「男の人どころか女子一人しか来ません。麻耶まやだけって言ってるじゃん」

「......別に女なら良いってわけじゃないけど?」

ドアノブに手をかける私を、眉を顰める麗香が離してくれない。


 「土屋つちやって恋愛対象男なの?実は大学に入って女の子にも興味が湧いてきたとかない?」

「いや......知らないけど」

ここまで来ると呆れが怒りを超えてしまっていた。

この人は私の飲みに行く相手が動物でもない限り許してくれないのではないか、とすら思う。


 私は今日高校のクラスメイトと卒業してから初めて焼肉に行く。

二人きりとはいえもちろん彼女に恋愛感情なんて微塵も抱いていないし、向こうも同じはずだ。

この説明は何回もしたはずなのに麗香は不満そうな顔を緩ませてくれない。


 「お酒入ったら土屋も暴走しちゃうかもしれないでしょ?誰彼構わず襲うかもしれないし......やっぱりお酒はやめとかない?」

上目遣いで言えば私がなんでも許すと思っているのだろうか。

可愛らしい仕草に愛おしさを感じるのは一瞬だけだ。

数秒後には彼女の言っていることがどれだけ無茶なことか気づいてしまう。


 「そんなわけないし嫌。今日は飲もうって話したし」

麗香の開きかけた口を言葉で塞ぐ。

「麗香だって今度出るドラマで飲み会のシーンあるでしょ。そこに男の人なんて沢山いるんだから、文句言わないで」

「だってそれは撮影で」


 「じゃあね麗香、そろそろ出ないと間に合わないから」


 無理矢理に手を振って、ドアを開けた。


*


 店の前で麻耶を見つけた。

明るい茶髪と耳元に輝くピアスを見て口角を緩ませる。

ああ、私達って大人なんだ、と。

遅いと分かっていながらも、そう思った。


 そこで気づく。彼女が見慣れない二人の男に声を掛けられていたことを。


 こちらに気づいているわけでもないのに、二人の男をガンを飛ばすようにジロジロと見つめる。

品が良いとはいえないチャラチャラとした雰囲気。

どこでそれを感じるか、と聞かれれば回答に困るけれど、笑い方や姿勢、態度や口調から人間性の薄っぺらさが滲み出ていた。


 恐る恐る近づくと、麻耶は私に気づいて嬉しそうに手を振る。

「佳世乃ー!お久!」

「あ、うん......」

男を見てから麻耶に目配せをすると、彼女はやっと気づいたかのように「ああ!」と声を上げた。


 「高校の時の大地と壮亮そうすけ。覚えてる?」

え、と出かけた声を無理矢理飲み込む。


 二人の男はこちらを振り向いてから、男性特有の低い声で「久しぶり」と嬉しそうに言った。


 私の記憶が正しければ、壮亮であろう人物が大地の方を見てニヤニヤと笑う。

その笑い方に顔を歪めかけた。

自分達にしか分からない共通の話題で何かを茶化しているような、その笑いは嫌いだ。不安になるし気持ちが悪い。


 メッセージで交わした会話の内容を思い出す。

焼肉に来るのは私達二人だけのはずだ。


 「あ、えっと......たまたま二人も来てたみたいで。一緒に食べようかなって話してたんだけど、どう?」

どこかぎこちなく麻耶は言った。

「......えっと」

麗香の顔が頭を過ぎる。


 男が飲み会に来ないか、こちらが呆れるほどに何度も確認された。


 「......そうだね」

麗香のことを無理矢理頭の中から追いやって口角を上げると、麻耶も嬉しそうに「じゃあ行こっか!」と言う。


 私、今から本当にこの人達と焼肉を食べるのだろうか。

スタッフさん以外の、つまり仕事で関わる人以外の男性に久しぶりに会った。

しかも私はその人達と今から焼肉を食べるらしい。

胸の中には不安しか浮かばなくて、私はそれを追い出すようにため息をついた。


 店内に足を踏み入れた瞬間にふわっと煙の匂いが身体を包む。


 懐かしい。

昔よく家族で来たことを思い出して、気づけば一人で微笑んでいた。


 席に座ると麻耶はスムーズに、

「割り勘のこのプランでいい?」

「ドリンクバーどうする?」

「最初はこの中から頼めるけどどれにする?」

と慣れた手つきで席に設置されているタブレットを巧みに操っていた。


 適当に答えていると、大して好きでもないはずの肉が、麻耶の「佳世乃が頼んだやつだね」の言葉と共にテーブルに乗せられた。

とりあえずよく分からないままにタレをつけて食べてみる。


 あ、これ美味しい。

「佳世乃、飲み物どうする?」

タブレットに視線を落としたまま麻耶が聞いた。

「じゃあアイスティーで」


 ハラミかな。美味しい。


 麻耶が目だけ動かして私を見た。

それでいいの、と言いたげな、私を確かめるような目。

麻耶が何を言いたいかは分かっている。


 けれど、もし酔った状態で家に帰ってから、男が飲み会に居たことが麗香にバレてしまえば、何を言われるかなんて考えたくもなかったから。


 私は何も知らない振りをして麻耶を見つめ返す。


 「あ、じゃあ俺もアイスティー」

「俺はウーロン茶で」

「壮亮は聞かなくても分かるよ。あんたいっつもウーロン茶だから」


 慣れた様子で壮亮と麻耶が話す中、

「佳世乃ちゃん」

と低い声が私の名前を呼んだ。大地だ。

「はい」と反射的に答えていた。


 「アイドルって大変?」

数年ぶりに会った相手にいきなり仕事の話。

しかも私は一応芸能人の端くれなのに。

特に何を言われたわけでもないのに、そのニヤニヤした顔と声のトーンが癪に障る。


 「......まぁまぁ大変です」

ハラミらしき肉に視線を落として適当に答える。


 「麗香ちゃんは元気?」

無意識に細めた目で、咎めるように肉を見つめた。


 「元気ですね」

「やっぱりアイドルだし彼氏とかはいないの?」

軽い、浅はか、人間性が低い、単純。

彼を形容する無数の単語が頭に浮かぶ。


 「まあ」

「佳世乃ちゃんも?」

「かもですね」

「......へぇ」

ふと顔を上げると、大地の舐め回すような視線に気づいて、咄嗟に麻耶に目をやった。


 「あ、来た」

麻耶の一言で通路を見ると、店員の持つお盆に乗った飲み物がテーブルに置かれる。


 大地は大きな手でコップを上から塞ぐように掴むと、「はい」と私の前にアイスティーを置いた。

「ありがとうございます」

目も見れない。


 「そういえば光井さん、ドラマ出るんでしょ?」

やっとタブレットを離した麻耶が聞いた。

「あ、そうなの!」

麗香の名前に無意識に頬を緩ませる。


 「調べてみたんだけどボーイズラブ漫画の実写なんだっけ?最近多いよね、そういうの。需要があるとかなんとか」

「ああ!俺も見た、キャスト発表の記事」

「主人公の彼女役なんでしょ?」

麻耶の言葉に食いつく二人。


 「ちょっと漫画読んでみたんだけど、キスシーンあるよね?ボーイズラブなのに、主人公とキスするじゃん。光井さんやるのかな?新人アイドルがキスシーンってあんま聞かないけどね」

「......え?」

「え?知らないの?」

目を丸くする麻耶。


 何を言っているのだろう。


 「キスって麗香と俳優さんが?」

「うん、でもまぁほっぺだし。それより知らなかったの?」

「......だって」

麗香の顔を思い出して、無意識にため息をつく。


 「麗香、自分の話はしてくれないから」

「ああそうなの?」

然程興味もなさそうに、麻耶は水を飲んで聞き返した。


 「うん。でも......なくなるよね?そんなシーン」

「さぁ。ちゃんとしたキスだったらなくなるような気もするけどね、別にほっぺぐらいならありになるんじゃない?新人アイドルとはいえ未成年でもないし」

麻耶のすらすらと述べる言葉に胸が締め付けられる。


 でも、それなら麗香は私に言うはずだ。


 ___きっと。


 「え......でも......」

言葉に詰まって、アイスティーを掴んだ。

冷えたコップが私の手の温かさを伝える。


 あんまり嫌なことを考えると、頭が痛くなりそう。

ため息をついてコップの縁に口をつけた。


 やけに大地と壮亮がこちらを見ている気がする。


 ___あれ、アイスティーって。




 こんなに苦かったっけ。


 なんだか喉も痛い。


 頭も痛いし___いや、熱い。痛いのではなく、頭が熱い。


 茶色の液体を見つめて思う。

これ、本当にアイスティーだろうか、と。


 その瞬間に、どっと眠気が押し寄せた。

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