第30話 拒否しないで

 瞼が異常に重くて、喉が焼けるように、痛い。


 痛みを押し潰すように、喉を強く掴んでいた。


 「......佳世乃?」

心配そうな声が聞こえて麻耶の方を見る。

「大丈夫?なんか変?」


 「なんか」

呟く。

「なんか......」


 二人の目線がやけに気になる。

「私、お手洗い行っ___」


 「水だよね?」


 背筋がびりびりと痺れるように固まった。


 怖い。


 なんでこの人、こんなに圧のある声を出せるの。


 「ウォーターサーバーのとこ行こう。俺場所知ってるから、着いてきて。まずは水飲んだ方が良いよ」

また大地だった。

断ろうとしたものの、その提案がかなりいいものに思えてきて、私は小さく頷いた。


 大きな背中に着いていくと、彼は水を入れたコップを、また上から塞ぐようにして掴みながら渡してくれた。


 「ありがとうございます」

咳払いをしてからそう言い、一口飲む。


 その瞬間に、下腹部がぶわっと熱くなるのが分かった。


 思わずしゃがみ込むと、大地が気味の悪い笑みを浮かべながら私を見ていた。

「どうしたの?佳世乃ちゃん、大丈夫?」

おかしい。絶対におかしい。


 頭を必死に回転させている間に、下腹部から頭へ、頭から全身へ、熱が広がっていく。


 「どこかで休もうか?ここは煙くて空気も悪いし」

その気持ちが悪いくらいに優しい声を聞いて、一瞬恐ろしい考えが頭を過った。


 「......大地君」

「うん?」 

またその優しい声。

もうそれが作り物であることは分かっていた。


 「何か、入れました?」

「......何を?何もしてないよ」

怖いほどの即答が疑心感を加速させる。


 「で、も、だって、そうじゃないと、おか......し......おかしくて......」

熱を出したみたいに身体が熱い上に、上手く呂律も回らなくなってきた。

絶対におかしい。


 頭がぼんやりとする。

まずい、このままだと倒れてしまいそう。


 「ごめんなさい.....私帰り、ます」

「なぁ」


 その声を聞いた瞬間に、なぜかじわっと涙が滲んだ。

怖い。泣きたいほどに怖い。


 「俺さ、佳世乃ちゃんと仲良くなりたかったんだよ。昔から好きだったんだ」


 嘘だ。

貴方は麗香が好きだった。


 「でも、れい......麗香は、」

「麗香ちゃんも好きだったよ。でも、佳世乃ちゃんの方がずっと可愛い。男は全員麗香ちゃんの顔は美人系じゃなくて可愛い系だから良いって言ってたけどさ、そんなわけないだろ。美人じゃないってことはブスなんだよ。俺は佳世乃ちゃんみたいな美人で優しい子が好きなんだ、他の奴とは違う」


 何でこの人は、こんなに意味の分からないことをやけに格好つけた顔で言っているのだろうか。


 もしかして良い事を言っているつもりなのだろうか。

私が友達のことを貶されて喜ぶ人だと思ってるのだろうか。


 そんな中身のない言葉で騙されると、本気で思っているのだろうか。


 自分でも情けないほどにふらつく足で、その場から駆け出した。

「おい、ちょっと!」

聞こえない。何も聞こえない。


 こんなに大胆なことをしてしまったのは初めてかもしれない。


 けれど罪悪感すら覚えない自分に驚きながらも、私はスマホを取り出して麗香に電話を掛けた。


 ワンコールで通話画面に切り替わった。

いつだって麗香は私の電話にすぐ出てくれる。


 心の中でその名前を連呼しながら、愛おしさが増していくのが分かった。


 「もしもし?」


 麗香だ。

麗香の、声。


 「どうしたの?今飲んでるんじゃないの?」

「助けて」

理由も言わずに。


 「今、どこ」

それでも麗香は来てくれる。


 「さっき言ったお店、出たとこ」

夜風に吹かれながら。

「今から行くから大人しくしてて」

麗香の真剣な声に滲んだ焦りが、なぜか私を安心させた。


 電話を切って、そのスマホを強く握りしめる。


 立ち止まると、夏とはいえ夜の外は非常に寒いことに気づいた。 

けれどその寒さを上回るほどに熱い身体を抱えて、ふらふらと頼りない足で歩く。


 ぼんやりと色んなところに光が見える。

信号の光、建物の中の電気、車のライト。


 色んなところから色んな人々の話し声が聞こえる。

カップルの猫なで声。酔っ払った中年男性の声。呻き声に、笑い声に、泣き声。


 頭が痛い。


 頭の左半分と右半分が逆方向に走っていってしまいそうなくらいに、痛い。

頭が引き裂かれてしまいそう。


 そしてそれ以上に身体が熱い。

熱さに脳が溶かされて何も考えられなかった。

ただ下腹部がウズウズとして気持ちが悪いくらいに、熱い。


 まずい、もうそろそろ、倒れてしまいそう。


 どうしよう。

ここで倒れたら、記事にされるかも。

このまま吐いてしまったらどうしよう。

アイドル路上で嘔吐___最悪の見出しが頭を過ぎる。


 「佳世乃!!」


 もうほぼ閉じかけている目で、声のする方を見つめた。


 「......れい、か」

「麗香だよ。あたしだよ。どうしたの、話してごらん」


 麗香の首から下に目をやると、部屋着にパーカーを羽織っていた。

急いで家を飛び出してきてくれたんだ。


 「分か......分かんないけど麗香......私......」

あれ、何を言おうとしてるんだろう。

頭はずっと止まっているのに、口だけが動き続けている。


 可愛い。麗香、凄く可愛い。

あの人は、頭がおかしかったのかもしれない。

こんなに可愛い子のどこを見てあんなことを思うのか。


 また、下腹部が熱くなる。


 私は麗香の首に手を回して、そのまま強く唇を押し付けた。

欲望のままに舌を入れた。

私からこんなことしたことがないのに、何も抵抗感を感じない。


 寧ろ、凄く気持ちが良い。ずっとこうしていたい。

麗香の腰に手を添えて、片方の手で太腿の間に指を挟みかける。


 「佳世乃?」

唇を離して麗香が言う。


 「佳世乃、落ち着いて。何してるの」

私は落ち着いているのに、なんで麗香はこんな顔をするのだろう。

「何があったか話してみて、今あたし何も分からないの」


 「えっと......アイスティー飲ん、で、そしたらなんか頭が熱くなって喉もすっごく痛くてなんか、なんか凄く熱くて、大地君に水もらって飲んだらすごくお腹も......熱い......くて、おかしい」

麗香が目を鋭く光らせた。


 「大地君?高校の?」

「うん......なんか偶然居て、一緒に飲もってま、や、麻耶が」


 目を一生懸命に開いて麗香を見つめる。

眉間に皺を寄せて、不快極まりない、と言いたげな怖い顔をしているけれど、私にはとても可愛らしく見えた。


 「......やりやがったじゃん」

真顔を崩さずに呟く麗香。

「え......?」


 「男に薬入れられたでしょ。......本当に最低、意味分かんない。犯罪じゃん」

吐き捨てるように。

「だから何回も聞いたのに、何偶然居たって。そんなわけないじゃん。......佳世乃、取り敢えず帰ろう。後で色々聞いてから通報しよう」

「......嫌。通報?誰、を、なんでするの」

「今話しても分かんないでしょ。帰るよ」


 「帰ったら、佳世乃と、一緒、に寝てくれるの?」

整った眉がぴくりと動く。

「......いつも一緒に寝てるでしょ」

「麗香、違う」

「何が違うの?」


 「......ちゅー、したい」

「する。何回でもするよ。するから帰ろう」

「したら終わり?」


 服の裾を強い力で掴む麗香。

「何が言いたいの」

「......抱いて」


 今度こそ麗香は、大きく目を見開いた。


 「本当に、あいつ......」

「ねぇ、抱いてくれる?」

「駄目だよ。帰って寝よう」

「何で?私の、佳世乃のこと嫌い?」

「違うでしょ。こんな状況でしちゃ駄目。......あー、今誰か空いてるかな、空いてる子がいたら一緒に帰ってくれる?もしまだ二人が居たら戻りたいから」

「何でしてくれないの」


 「だって佳世乃がそんなこと言ってるのは薬のせいだからだよ」

必死に何かを抑えるように、声を大きくする麗香。


 「そのせいで佳世乃を抱いても何の意味もない。あたしは嫌」

「でも......すっごく身体、ジンジンする」


 「佳世乃」

落ち着き払った声が私を嗜める。


 「あたしの初恋を汚さないで」

麗香がまともなことを言っているのは分かっているのに。

「帰ろう」


 なぜか冷静なその判断に、泣いてしまいそうだった。

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