第1話
気がつくと深い森に立っていた。
「なっ? えっ? はぁっ!?」
確かにさっきまで通学路に立っていたはずだ。
「どこだよ、ここ……」
人の痕跡がまったく感じられない深い深い森の中。
「おーい! 杉山ぁ!!」
つい先ほどまで一緒に歩いていた友人の名前を大声で呼ぶ。
「『
後ろのアホな名前は、杉山が中学二年の時に自ら名乗っていた二つ名である。
…………。
しばらく待ってみたが返ってきたのは静寂だけ。
あの名前を出して反応が無いということは本当にいないのだろう。
去年からかってしばらく呼んで楽しんでいたら、校舎の屋上から飛び降りようとするのを3人がかりで必死に宥めたぐらいだ。
若気の至りという名の中2病のなんと残酷なことか。
「どこ行ったんだよあいつ……」
風の音さえしない、痛いぐらいの静寂に、そのまま緑に溶けていってしまいそうな恐怖を覚える。
胸中の不安をぐっと抑え込み態度には出さずに歩き出す。一度不安を表に出すと叫びだして取り乱してしまうかもしれないと感じたからだ。
歩きながら辺りを観察してみると、目に入ってくるのは一定間隔で煙のようなものを吐き出す草や、根本から二股に分かれDNA構造のように螺旋に捻れて空に伸びている木。
テレビでもSF映画のようなフィクションでしか見たことがないような植物。
「……もしかして、神隠しってやつ?」
――――神隠し。
そういえば何日か前のお昼のワイドショーで、とあるグラビアアイドルが突然失踪した事件を、まったく足取りが掴めないことからそんなふうに紹介していた記憶がある。
その時は何をオカルト的なことなどあるものかと思ったものだが、実際にこんな事態に遭遇すると、もしかしたら真実を突いていたのかもしれないと思えてくる。
そんな事を考えているとますます不安が大きくなった気がした。
「なんでこんな時に限って動物が出てこねーんだよ」
こんな時こそお前らの出番だろーに。
心中で毒づき、なんとか平静を装っていると、前方の離れた位置からガサガサと草の音が聞こえてきた。おそらくなんらかの生物がいるのだろう。
できればリスとか小動物系で、こう肩に乗せて森のクマさん歌いながら歩けるようやつをお願いします! オスのクマとかやめてくれっ!
信じてもいない神様に祈る気持ちで、音のした方を見つめていると、木の陰から姿を見せたのは二匹の――――
「犬……?」
全身真っ黒で、金色の目だけが爛々と光を放っているクマのように大きな犬。
口元からは垂れている涎と、人間なんて軽々と噛み砕けるであろう牙が覗く。
低くうなり声をあげ牙を剥き、こちらを睨みながらまるで獲物を目の前にした童話の狼のようにニヤリと笑った気がした。
「……もしかして、ボク今ピンチ?」
反転、ためらわずに一気に走り出す。
普段ならば余計な刺激しないようにと少しずつ向かい合ったままで後退していっただろうが、
――――あれはムリッ!! 明らかにボクを狩るつもりだってっ!!
後ろを振り向き確認するような余裕など無いが、振り向かなくともわかる。確実に追ってきている。木々をなぎ倒しながらこちらに向かってくる音が聞こえてくるのだ。
元々そこまで開いてなかった距離がどんどん無くなっていく。
ヤバいヤバいヤバいヤバいっっ!!
どんなに頑張ったとしても人間と野生動物とでは身体構造から違う。このまま逃げきるのは絶望的、捕まるまで後数秒もないだろうというところで、今まで木に遮られていた視界が急に開けた。
開けた広場のような場所に出たのだ。
地面に苔や背の低い草などは生えているが、木々は一切生えておらず、どこか人為的なものすら感じられる。
その広場の先には樹齢の想像もできないような大きな大きな木が倒れており、その木は真ん中でへし折れておれ、地面と三角形のアーチを作り出している。
まだ深月は追いつかれていない。
どうしたことか、広場に入った途端に黒犬たちの動きが急に鈍くなって、深月の寿命を延ばす。
そうして息を切らしながらもその大木のアーチへとたどり着き、くぐり抜ける。
「?」
すると背後から感じるプレッシャーが急に薄れた。走ることに集中しなければ危険だとわかっていても僅かに期待を込めて後ろを振り返って確認する。
そしてそのことに気が付いた。
先程くぐった真っ二つに折れた大木、その木を過ぎたところから、まるでそこに見えない壁があるかのように黒犬たちはピタッと止まって、それ以上こちら側に追ってこようとしないのだ。
深月が速度を緩めて様子を伺うと、黒犬たちはその場でしばらく深月に向かって吠えていたが、急に何かに脅えるように立ち去っていった。
「た、助かった……のか?」
完全に黒犬たちの姿が見えなくなってから一つ大きく息を吐き、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。
「はぁぁぁ……、死ぬかと思ったぁ……。うわっ、足まだ震えてるぜ? よく走れたな、ボク」
命の危機から一転、解放された安堵のため全身の力が抜けた。
必要以上に大きな声を出して落ち着こうとする。
「つかあの犬たち、ボクを見ても何ともなかったな。あれだけ緊張したんだからかなり『ミツキフェロモン』出てたと思うんだけど、オスだったのか?」
心拍数、運動量共に間違いなく過去最大級だったはずだ。
「あのモノたちは犬ではなく『ガルヴォルフ』という魔物だ。『ガルヴォルフ』は雌が巣を守り、雄が狩りをする。もし襲われたのであればそれは雄だろう」
「へー、だから『ミツキフェロモン』が効かなかったのか。そりゃオスには効かねーよな。……―――え??」
自然に掛けられた声に、思わず自然に返した深月。
頭が事態に追いつき、声が聞こえた方に急いで首を向けた。
そこには裸で腕を組み仁王立ちしている一人の美女。否、その女は人ではなかった。
キツめの印象を与える切れ長の目、暗い灰色の肌、シュッとしたあごのライン、その長身であっても足首まで届く黒髪、組んだ腕の中で窮屈そうにしている大きく膨らんだ乳房、鍛え上げられた肉体に赤子のように決め細やかな肌、一切の布を身に纏っていないにも関わらずどこか品を感じられる。
――――――――そして人には決して見られない深紅の瞳、尾骨の辺りから伸びる一本の尻尾。肘と膝の先からは真っ黒の鉱物のようなもので覆われており、西洋のガントレットや臑当てを思わせる。
そして、その女の存在に気が付いた事によって、気付いてしまった圧倒的で絶望的なまでの存在感。
「答えろ人間、どのような意図があり我が聖域を侵したのか?」
「……――――ぁ――――……あぁ――――…」
女の問いかけに深月は返せない。その存在感に圧倒され呼吸すらもままならないのだ。
幼い頃旅行好きの両親に連れていってもらったナイアガラの滝やグランドキャニオン。そのような大自然の存在感を人の大きさにまで圧縮し押し詰めると目の前の女のようになるのではないか、そんな思いが頭をよぎる。
人ではどうしようもない、人など路傍の石すらなれない。おそらくそんな存在なのだろう。
そして理解する。先ほどの黒犬たちは
「黙りか……。これだから人間は」
女が見せた僅かな苛立ち。ほんの少しだけ表情を歪め怒気を表しただけ。
たったそれだけで深月の体は震え、歯の根が合わず、汗が全身から滝のように流れ出し、心臓だけが早鐘のような早さでビートを刻む。
己というものが、目の前の存在感にあたかも絵の具のように上塗りされ、消えていくかのような錯覚。
――――消えたくない!
ただそれだけを思い深月は必死の思いで立ち上がり、女の方を見る。
「ほう、人間のクセにまだ動くか……。――――ん?」
女は感心したように呟いたした後、何かを感じたのか深月の方へ近づいてくる。
女が一歩一歩近づいてくるのを深月はただつっ立って見ているだけ。
そして、少し首を伸ばせば唇が触れる位置まで近づいて、ようやく女は足を止めて、
「お前、――――いや、あ、貴方の名前は?」
そう問うた。
「み、深月、緒方深月」
掠れながらもなんとか声を喉から絞り出す。
「ミツキ。……オガタ……ミツキ」
女は譫言のように深月の名前を繰り返す。
その時の女の頬は朱に染まり、瞳は潤んでいたが、立っているだけでギリギリの深月はそれに気付かない。
そして女の腕が持ち上がりゆっくりと深月の方へと伸ばされる。
「くっ――――」
――――殺されるっ。
伸ばされた手を見てそう思った深月は目をぎゅっとつむり恐怖に耐える。
しかし、伸ばされた手は優しさを持って深月の頬に添えられ、
「んっ……」
唇には溶けてしまいそうな程熱く、柔らかなキスが送られた。
「――――――――ッッ!?!?」
その行動は深月のを驚愕を余所に続けられ、
深月にとって永遠にも一瞬にも感じられる時間が過ぎようやく解放された。
「なっ、ななななにっっ――――!? 」
「我が名はレーヴァイア。今この時より、私がアナタの剣となり盾となり、アナタに永久の忠誠を誓う事をお許しください、深月様」
ひたすら混乱する深月の前で、女はそう言って跪いたのだった。
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