2章 あやめながきね(10)

 息子の気持ちを明子は全く気付かなかった。顕信はどこか冷笑めいたところがあり、兄にはよく従う反面、突き放して周囲を観察している節があった。そんな性格だから、多少世捨て人のような口を利いても、まさか出家を願うほどに真剣なものとは思いも寄らなかったのだ。


 彼は独断で俗世を捨ててしまうと、父や兄たちの援助も無碍に断ってしまった。道長も、誰ひとり僧門に入った子がいないと気に掛けてはいたとはいえ、明子の子を出家させるつもりは毛頭なかったのである。


 知らせを聞いた道長は前後の手配をすると、すぐに明子の許にやってきた。乳母に付き添われた妻は呼吸も浅く、まるで病魔に苛まれたように蒼白になっている。

 自分の責だ、と彼は痛感した。


「私が悪かった」

 開口一番、道長はそう吐露した。夫を責めようなど、考えもしなかったけれど、実際に彼を目にすると浮かんだのは、貴方のせいで、という言葉だった。彼は彼女の胸のうちを読んでいる。

 意識しないよう強いても、彼女はわかっている。


 あの子は、敏い。三番目に生まれた自分の立場を、よく諒解していた。彼女の息子たちは、父の愛に期待するのを諦めるところから成人としての生活が始まる。道長は序列や筋道に対して公平さを保とうとする。倫子の息子たちの出世が早いのは、異母姉と東宮の存在が大きいからであり、自分たちを愛さないからではないと飲み込んでいても、なお、その差に打ちのめされる。


 次男という位置を最大限に利用することにした頼宗はのらりくらりと兄の説教を躱わしつつ、時機を待っている。四男の能信は反骨精神に飛んでおり、実力で道長の後継たることを証明するつもりだ。


 しかし、顕信は。

 賢いからこそ、先読みをしてしまった。完全に諦めてしまった。優しいからこそ、競争を避けてしまった。彼は父の用意した未来への道からは、降りることを選んだ。


「顕信を……。あの子を返してください……」

 泣き濡れながらようやくぶつけた思いは、激しくも、力強くもなく、掠れて消え入りそうな繰言だった。


「すまない」

 苦しげに道長は呻き、妻を抱きしめた。彼女は僅かに抵抗し、けれど、続ける体力も残ってはおらず、されるがままになって忍び泣いた。


 道長は、息子の失望は自分が退けた帝からの提案にあると思っていた。顕信を蔵人頭にという打診を、しばらく前に彼は断っている。あの子にはまだ早い、良かれと思ったのだ、と彼は明子に詫びた。


 彼女には政治の駆け引きなど、どうでもいい。脳裏に浮かぶのは、幼い日の顕信ばかり。弟をからかって怒らせたり、母のために禁園の花を折って叱られたりした。そんな息子を家族を捨てさせるまで追い詰めたのは自分たち両親。彼女は、助けてやれなかった。


 母なのに。

 何故、私はこんなにも無力なのだろう。

 後日になって、顕信の入ったという比叡山を思いながら詠んで、彼女は息子に送った。


 深くいりてすまばやと思ふ山のはを

     いかなる月のいずるなるらん


 返事はなかった。そうだろう、と彼女は思った。そういう子だった。


 三男のいない時間が重なるにつれ、明子も会えない生活に慣れていく。屋敷でひとり法華経を広げるとき、少しは長禅と名乗るようになった息子に近づけるような心持になるのだった。


 そのころ、明子の長女である寛子は縁談もはっきりしないまま年を重ねており、自身は二十歳を越えての結婚というものの、母親として案じている。道長にそれとなく催促することも増えていた。


 道長としては、三女と四女のどちらかを孫である東宮に入内させるつもりでいた。年子である彼女たちに年齢の優劣はなかったけれど、皇太后・彰子、中宮・妍子と倫子の娘たちが入内した内裏へ送り込むのに、やはり異腹の寛子は憚られた。


 また、一方で彼には三条帝皇子・敦明親王の存在も気に掛かっている。結局、道長は三女の寛子を将来のために保留した。彼女は、三条帝が退位して後一条帝の時代になり、一度は東宮に立てられた敦明が次の帝位を辞退したとき、有効に使える駒となる。


 准上皇の待遇を得て小一条院となった敦明は、寛子の夫に迎えられた。住まいとしたのはかつて明子が新婚生活を送った高松第。寛子は女御となったのだ。この結婚には倫子や彰子からも贈り物があったうえ異母兄たちも同母兄と同じように参列し、華々しさは東宮への入内に劣るものではなかった。


 圧力により東宮を降りた小一条院への配慮であると同時に道長の妻と子どもたちが一体であることを喧伝する意図もあったのだが、明子にとっては無上の喜びだった。


 小一条院がすでに顕光の娘を女御としていたことを思えば、心苦しくはあったけれども、かつて頼宗を利用した一件があるために、複雑な心境でもあった。さらに、彼女も似たような目に遭っている。


 小一条院は活発な男性で乱暴な振る舞いもある一方、家族思いでもあった。関係の薄さのみならず、この皇子と摂関に就く頼通とでは協力関係は難しいだろう、と明子も納得する。人が合わない。彼は古代の帝のように、自分自身で何事でも解決することを好む。


 彼は寛子を寵愛し、子どもにも次々恵まれる。明子には、娘は幸せなように見えた。娘夫婦の世話をするため、高松第に移り住んだ彼女は考える。


 幸せとはなんだろう。

 確かに、彼女は道長に愛されている。恋し合って結婚した。彼は彼女のただひとりの人。おそらく、彼にとっても恋したのは彼女ひとり。


 愛されているのに。愛しているのに。

 彼女は恋人で、妻で、彼の子どもたちの母でもあるのに、彼にとってのすべてではない。


 あのひとの、ただひとりには、なれない。

 娘もいつか夫の心変わりに涙するのだろうか。

 堀河で最初の妻がそうしているように。


 それとも、夫の一部でしかないことに失望するのだろうか。

 彼女のように。

 明子は、今こそ、亡き愛宮と話がしたかった。


 二年後、道長の持病が悪化する。もともと病弱ではあったけれども、今度の病は重く、道長は覚悟を決めて出家すらした。後一条帝が即位した年、彼は太政大臣を辞め、表向きは引退をしている。


 しかし、それはあくまで長男・頼通へと円滑に権力を引き渡すためであり、彼の後見の下、政が動いているのは暗黙の了解であった。もし、たった二年で道長が薨去したなら、京はどうなってしまうのか、また大きな政変が起きるのかと不安と期待が入り混じった空気が流れる。しかし、このときは奇跡的に平癒し、彼は僧形のまま以前の生活に戻った。


 明子も、すぐに道長に続いて髪を下ろす。まだ道長の五女・尊子と六女・嬉子は未婚で、倫子は末娘のために出家を延期したが、明子には迷いはなかった。彼女は常に彼が腕で作った輪のなかにいる。それがつまりは、彼女と倫子との違いなのだった。


 数年が平穏のうちに過ぎる。剃髪していても道長が暗然と権力を駆使していることには変化はない。とはいえ、内裏に出仕して第一線にいたころに比べれば身体への負担は少なく、復調した分空いた時間を彼は法成寺の造成に費やした。土御門第の東にあるその寺院群は、往生を願う彼ら貴族にとって一番極楽に近い場所でもある。


 出家した身であればなおのこと、もう寝所をともにすることもないのだけれど、道長は孫たちの様子を見にやってきたり、また明子が法成寺へ出向くこともあった。そうやって穏やかな時が紡がれていった万寿二年、再び流行病が猛威を振るい始める。


 最初に倒れたのは、明子の末子・長家だった。しかし、彼はほどなく回復し、舅である大納言・斉信をほっとさせた。前妻が亡くなってから長家の後妻に入れていた斉信の娘が懐妊していたからである。ところが、この娘がどうやら感染してしまったらしく、斉信の屋敷は騒然となった。

 不穏な気配が漂うなか、寛子が病に伏した。


 やはり赤疱瘡あかもがさだった。

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