2章 あやめながきね(7)
こうして、長徳元年、道長は内覧を宣下され、藤原氏の長者となった。しかし、彼が名実ともに臣下の頂上で君臨したのは、一年ほどのちのことだ。
結論は出たのに、道長と伊周の仲は好転しなかった。全く苦労を経験していない伊周は、道隆が与える官位を自明のものとして受け取り、祖父や父と同じ地位に就くことに微塵の疑いも持っていなかった。確かに、母方の高階氏がその瞬間を待望しても不思議ではないほど、彼は学問に秀で、幼くして家庭教師たちを感嘆させた。ただし、それは人柄とは何の関係もない才だった。
能力のある人間は、時として他人を簡単に見下す。
小野宮流の実資にもそのきらいがあり、相手によっては酷く憎まれることもあったのだが、彼の場合はそれを全面に表現できるほど、一族には勢いがなかった。彼は自分より劣った人物の下流に立たざるを得ない場面が多々あり、辛酸を舐めた分、思慮深くなっている。それに、彼も小野宮の人間らしく、本質的には善人であった。
伊周は、若く傲慢で恐れを知らず、考えが浅い。さらに彼には幼くて血気盛ん、具合の悪いことに武芸の腕に秀でた隆家という弟がついている。この兄弟の怨嗟は、やがて道長の郎党との刃傷沙汰に繋がっていく。
彼らがどれほど不満だとしても、道長の優位は疑うべくもなかった。父に世話になった者たちまで掌を返す様はさぞ腹立だしかったことだろう。しかも、生来病弱な道長の先行きを案じて、二股を掛ける中途半端な者もいた。それが彼らの鬱屈を増幅させた面もある。憂さ晴らしか、彼らは不行状を起こすようになり、それはついに大変な醜聞へと結実する。
花山院に矢を射掛け、その従者を殺害したのである。
それは単なる襲撃ではなく、出家した花山院が女性の許に通うという不品行の末に起きた事件だった。そのころ、花山院は前太政大臣・亡き為光の四の君を密かに愛人としていたのだが、同時期、その姉には伊周が通っている。人々は花山院の振る舞いを知ってはいても、敢えて追求せずにいた。四の君が、花山院が在位時代にこよなく寵愛した亡き女御の妹という理由もある。しかし、こうして人死にが出たことで、ついに表沙汰になった。
道長にとっては伊周を失脚させる絶好の機会である。もっとも彼が表立って動く前に、一条帝が事実の調査と、それに見合った罰を検討するよう命じた。もう、帝にも彼らを守る術はなかった。白日の下に裁定することで、せめて影響を最小限に留めようという、定子を愛する帝にとっては苦渋の決断だったのだ。
主上の切なる想いを、彼らは斟酌できなかった。その余裕もなくなっていたのだろう。伊周は中宮である定子の里第に隠れ、検非違使たちが室内を破壊してようやく捕縛するという醜態を晒す。
宣下から一年、道長はついに公卿の頂点に立った。
高松第で暮らす明子にとって、この変事は他人事ではない。故・道隆や伊周の邸宅、定子の里第は道を挟んでほど近い配置だったからだ。検非違使が使役する荒々しい
あのようにして、父上も罪に問われた……。
高明は冤罪であったけれども、身内の悲しみに違いはないだろう。「帥殿には幼子がおられたはず」と、娘を気遣ってやってきた愛宮は当時を思い出して堪らずにふと零した。伊周の正妻は前大納言・源重光の娘であり、明子のように醍醐帝の血を受けている。重光の父は、高明の異母兄に当たるからだ。公卿同士が争い合うとき、それは濃きにせよ、薄きにせよ、つまるところ骨肉になる。波紋も、大きく周囲に広がっていく。
伊周と隆家が配流され、京が落ち着きを取り戻したころ、左大臣となった道長は忌まわしい逮捕劇があった二条界隈を避け、明子たち親子を近衛大路に南面する邸第に移した。
先ごろ道長が整備した、鷹司第に隣接する土御門第は近いうちに入内を目されている長女のための邸宅であり、東三条院と名乗るようになった姉の里第でもある。詮子は父と兄の気配が色濃い東三条第を避けた。道長自身も新第に居を定めている。この邸第から政務に向かう道筋に、明子の新しい住まいはあった。
「これで、少しの時間でも顔を見ることができるね」
優しげだった目元に疲労の影がある。笑うと屈託がなくなった彼なのに、眼差しに険しさが混じるようになっていた。巷間では、彼を情け容赦のない男とも噂する。その評価は正しい。刃向かう相手は徹底的に叩く。けれども、それは曖昧な情けは誰のためにもならないと知っているからだ。
明子はすべてを飲み込んで、「はい」と微笑んだ。
出会いから十余年の歳月が流れている。人の妻として生きる道はないものと思い定めていた彼女が恋をして、その相手と成婚できるという稀な幸福に遇った。彼を実父から伝領した高松第に迎え、いつかは子を成し彼とともに新しい邸宅で暮らしたい、と夢見た。それは、結婚した女たちすべてが望む、理想の夫婦像だった。あの人にとって、一番必要な妻になる……。それが願いだ。
それは叶ったともいえよう。道長の用意した立派な邸第で、何不自由のない生活をし、子どもたちも全員がすくすくと育っている。彼女は、室内を居心地よく整えた。彼女の膝で居眠りをする夫は、おそらくどこでよりも寛いでいたことだろう。愛されていることに、疑いはない。
けれども、それが彼のすべてではない。半分、いや、それ以上の部分をほかの存在に占められている。公家として、政治家として、藤原氏長者としての彼は、そこにはいない。解き放たれ心地よい空間であるだけに寂しさの漂う、隠れ家のような屋敷で、それでも明子は間違いなく、彼に守られてはいた。
彼女が長女、道長には三女になる娘を産んだ年、裳儀を済ませて彰子と名乗るようになった倫子の長女が一条帝に入内した。権力を維持し続けるためには、自らの血を受けた皇子が重要だ。とはいえ、たった十二歳で寵妃のいる夫に娶られる少女には過酷な運命だった。一条帝は英邁な君主であり、政を安定させるために伊周ではなく道長を選ぶほどに冷静な少年ではあったが、個人の愛について割り切れるくらい大人ではなかった。そして、この入内によって、倫子が嫡妻であるという事実は、不動のものとなる。明子の心中は複雑に乱れた。
政治的な趨勢は明確でも、道長は明子を疎かにはしなかった。男にとっての妻という点では、あくまでふたりの女を平等に扱ったのである。明子の出産の翌年、倫子も四女を産んだ。天がそう仕向けたように、同じ具合に子どもが生まれる。このころから、ふたりの妻は慶事があると、さりげない品を贈りあうようになっていた。道長に指示されたのではない。初めは倫子から、歌人として有名な女房の名前で乳母に届いた。明子の対面を潰さぬよう、細やかに配慮して。彼女は、夫が倫子を選んだ理由がわかるように感じた。
長保三年、道長は土御門第を拡張し、姉の四十賀で華々しく披露する予定で、馬場などを整備した。これは兼家も東三条第でおこなった
かつて、父親がそうしたように、彼は二町にも及ぶ広大かつ壮麗な邸宅で、帝、女院と中宮を招いての派手な宴を執り行うつもりだった。もうすぐ元服する嫡子・鶴君を公卿たちに顔見世する目的もある。
彼は、年子である長男と次男・巌君の少年ふたりに童舞としてそれぞれ陵王と納蘇利を舞うよう命じ、教師を付けて練習させていた。もはや、兄が入内させた皇后・定子も亡い。彼の計画では、新しい土御門第に自分の眷属たる母后と現・中宮を並べ、中央に甥である一条帝を配したうえで、かつての競争相手だった名門貴族たちを伺候させ、跡継ぎたちの健やかな成長を強く印象付け、我が家の栄華を京中に知らしめる腹づもりだったのだ。
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