1章 さくらはなえだ(3)



 遡ること、ちょうど十六年前。


 ときの左大臣が讒言され、事実上の流罪となる大事件が起きた。有力者の失脚は珍しいことではないけれども、密告されたのが醍醐帝の男子という一世源氏であることから、公卿はもちろん、市井に住む卑しい身分の者まで、みな一様に衝撃を受けた。しかも、謀反人とされた源高明は学識も高く、人品も優れており、文芸にも秀でた一流の文化人として広く尊崇を集めていたのだ。


 京で、藤原氏北家の陰謀を確信しない者はいなかっただろう。


 そもそも、高明は北家でもっとも力を持つ九条流の師輔と相婿のような関係にあり、婚姻戦略も抜かりなく手を打っていた。何しろ、内親王である高明の姉は師輔の正妻、師輔の娘は高明の後妻に、と二重の縁組で、皇統ゆえの姻戚の弱さを補強していたのである。


 加えて、師輔は若いころからの妻との間に生まれた長男たち嫡流と、高明の姉との間に生まれた皇統の幼子たちを親しく行き来させる配慮も怠らなかった。

 幼子たちは年を経てから生まれたため、やがて後見で苦労するだろうことが容易に予測できたからだ。高明にとっても、血縁である甥姪が権力の中枢に位置する若い貴公子・女君たちと同腹のきょうだいのように睦まじい、という状況は歓迎すべきことだった。


 彼が見誤ったのは、師輔たちの周辺にいる藤原氏たちの焦燥であった。


 その頃、九条流は師輔に長男・伊尹と続いてその娘を入内させ、順調に外戚の地位を築いていた。師輔の長女・安子が男子を多く設けたおかげで、師輔たち一家は最も勢いのある貴族になった。とはいえ、上卿にいるその他の北家を圧倒するには到らない。


 師輔が薨去すると、不協和音が聞こえるようになる。


 高明が師輔三女との間に生まれた娘を東宮の候補としては二番手にいる為平親王に娶わせたとき、小一条流や小野宮流のみでなく、九条流の伊尹も内心ひやりとした。もし、為平が帝になれば宇多帝以来絶えている藤原氏以外の外戚が誕生するかもしれない。いくら近しいとはいえ、それを許すまでには息子世代は高明と強い婚姻関係を結んでいなかった。彼はあくまで亡父のお気に入りであり、異母弟妹の叔父という微妙な距離にいた。


 そんな共通認識があったからこそ、安子の長男・憲平が冷泉帝として即位したとき、東宮には次男の為平ではなく三男の守平が立った。兄弟と手を組んで強力に守平を推したのは母代ははしろであり、先帝の寵愛も深かった師輔二女・登子である。父亡き政界での、九条流の影響力低下を挽回する目的であった。為平は当時十六歳、守平はわずか九歳。不自然な敬遠であった。結局のところ、帝の外祖父になる可能性を持った他氏の左大臣は、藤原北家にとっては等しく目障りな存在だったのである。


 それでもまだ、一世源氏は彼らに直接の手出しを控えさせるほどには充分な威光を保っていたし、高明もこの決定を受け入れた。彼は、時運を見誤るほど愚かではなかった。


 安和元年になると健康面、精神面ともに不安を抱える冷泉帝にも長男・師貞が生まれた。これは伊尹の長女・懐子が生んだ皇子である。彼の誕生によって、為平が立太子する流れはほぼ消えたものとなった。冷泉帝の不安定さは即位してすぐに代替わりを噂されたくらい公卿たちをやきもきさせたのだが、次代東宮に為平が立つ可能性が捨て切れなかったために、なかなか実行には移せないでいた。


 守平が新帝に立ったとしても、次の東宮は師貞になるだろう。またもや九条流の血を受けた帝かと思えば小一条流や小野宮流の者たちは悔しくはあったけれども、源氏の外戚が誕生するよりはよほどマシと割り切るほかない。高明の危険度は低くなり、相対的に存在感が薄まったといえよう。


 しかし、この変化は別のことも意味していた。裏を返せば、高明が摂関や外戚から遠ざかったことで、現状の地位は安定に向かうことにもなる。藤原氏北家全体の危機ならば、縁者ではあっても九条流も排斥に動かざるを得ない。が、さほどでもないのなら、わざわざ一世源氏を陥れる理由はない。実際、長寿なだけで参議以上に長く居座っているような貴族は案外と多い。毒にも薬にもならなければ、足を引っ張られることもないのだ。


 新しい御世を予感して世間が落ち着かないでいるなか、小一条流・師尹もろさだと小野宮流・実頼は危機感を高めた。彼らも娘たちを入内させ、外戚を狙ってはいたのだが、九条流には今ひとつ遅れを取っていた。こと小野宮流の実頼は師輔の兄でもあり、我が一家こそが北家嫡流であるという忠平長男としての矜持もあった。また、高明が最初に妻としたのは実頼の娘であり、産褥によって失った娘の後妻として師輔の娘を選んだことにもわだかまりが燻っている。まだ五十代半ばの高明が左大臣を退くのは当分先の話と思われたし、元服を済ませた彼の息子たちもそろそろ本格的に参議への道筋を辿ろうとしている。


 高明の長男は実頼にとっては孫でもあるが、父親に引き取られて以降疎遠ということもあり、さほどの思い入れはない。それよりも、自身の七十歳という高齢もあって、第一線を引く前に息子や孫の将来に向けて布石を打ちたい気持ちの方が強かった。


 まだ少年である守平が即位すれば、その治世は長いものとなるだろう。彼に付く侍従や蔵人たちは師輔の近親者になる。数年後にあるだろう入内も気になっていた。今度こそ、閨閥戦略で負けたくはなかった。あるいは、九条流の息子たちが子どもたちの伴侶に高明の子女を望むかもしれない。伊尹、兼通の貴種志向は明らかだった。同母ではなかったけれど、代替わりの前に共通の障害を排除したいという点で、この兄弟は利害を一致させたのである。


 事実無根の讒言ではあったが、師尹は事実として公卿たちに突きつけて関係者を捕縛させ、自白を強要することで高明の関与を導き出した。まさに青天の霹靂とあって、師輔三女亡きあと高明の後妻となっていた師輔の末娘・愛宮は兄たちにどうにか取り成してくれるよう、必死に嘆願した。高明は出家までして事実上の流罪を止めるよう懇願したけれども、彼に下された決定は大宰府への左遷という厳しいものだった。


 これらは密室のうちに進められた処遇であり、陰謀の内容は公卿以下には一向に公開されず、結局、今でも明らかになっていない。それほど恣意に満ちた経緯でも高明を処罰する方向に動いて変えられなかったのには、ひとつには関白・実頼と右大臣・師尹を越えて抑止力となり得る冷泉帝が政治的には完全に無力であったこと、ふたつめに高明とは縁の深い師輔の息子たちは長男の伊尹で権大納言、弟たちは参議ですらなく、仗議となると発言力は強くなかったこと、三つめに高明とは異母兄弟にあたる大納言・源兼明は自身の潔白のために早くに身を慎み、その他の公卿たちは高明と縁戚関係が薄かったことなどが挙げられる。


 もっとも兼明は優れた人物ではあるものの、権力争いにはあまり積極的ではなく、北家との縁も薄い藤原氏南家に属する一世源氏であった。異母兄のために動いたとしても、それほどの影響力はなかっただろう。彼ものちに皇籍に復帰させられている。


 我が子と変わらない年で、生まれたころから可愛がっていた末妹の涙に心を動かされはしても、伊尹たちにもどうにもできなかった。むしろ、下手にかばい立てをすれば、それを口実に連座させられる見込みすらあった。未だ、彼らの権力掌握は万全ではない。


 政治を理解はしていても、まだ二十代もはじめの愛宮には異母兄たちの態度は到底受け入れられるものではなかった。同母兄の為光は彼女を慰めようと心を砕いたが、それすらも保身のために思えた。


 さらに、彼女は近く産み月を迎えようとしていた。父を知らずに赤子を育てよというのかと、誰も彼も憎く感じられる。そうして高明が大宰府に去って二ヶ月ほどのち、男の子を産み落とす。彼女にとっては二人めの子どもであった。ほどなく、愛宮は夫の後を追って出家した。


 明子は、愛宮が生んだ高明の六女である。

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