第32話 じゃじゃ馬
メールは戦車部隊の一番先頭に出て、海流の中を進んでいました。
メールの戦車を引くのは五匹の大きなカツオです。
周りでは兵士たちが車体を寄せて、とまどったようにささやき合っていました。
王女が自分たちの中にいるので、どうしていいのかわからなくなっているのです。
そこへ、最後尾からフルートたちの戦車が追いついてきました。
ゼンは車体をメールの戦車に寄せると、大声で呼びかけました。
「おい、メール! 渦王が、おまえも一緒に来ていいと言ったぞ!」
メールは驚いたようにゼンを見て、すぐにまた、ふん、と前に向き直りました。
「それで? あんたたちがあたいのお
皮肉っぽい口調に、ゼンは悪びれもせずに答えました。
「おう、その通りだ。あんまり無茶するなよ。助けてやらないからな」
とたんに、メールはかっと顔を赤くしました。
「誰が誰に助けてもらうって!? 馬鹿言ってんじゃないよ、ドワーフが! あんたこそ、海の中でうっかり防具を脱いで、溺れたりしないように気をつけるんだね!」
「へへっ。それは確かに気をつけないとな」
とゼンは笑って肩をすくめました。ゼンが水中で平気なのは、身につけている水のサファイアの防具のおかげです。
フルートがゼンの横から伸び上がって呼びかけました。
「メール、君が持っている武器は? その
「短剣もあるよ」
ぶっきらぼうにメールが答えます。少年たちが何か突っ込んできたら、即座に言い返そうと身構えているのが、ありありと伝わってきます。
フルートは苦笑いしました。
「ぼくたちはずっと君の隣にいるよ。何かあったら、すぐに呼んでね」
ところが、それを聞いたとたん、メールが戦車を大きく後退させました。
後に続いていた戦車部隊が仰天して避けます。
ゼンはすぐにそれを追いかけました。
「こら、急に何やってる!? 危ないだろうが!」
すると、メールはまた手綱を繰って、さらに後ろへ後ろへと下がっていきました。
実際には海流の中でカツオにスピードダウンさせているだけなのですが、周りが皆、流れに乗って進んでいるので、メールの戦車が戦車部隊の真ん中を逆行する形になるのです。
ぶつかりそうになった戦車があわてて右へ左へ手綱を切り、部隊が大混乱に陥ります。
ゼンはメールの戦車にぴたりと車体を並べると、手綱をフルートに投げました。
自分は車体を乗り越えて、メールの戦車に飛び移ります。
「なんでこっちに来るのさ! 出て行きなよ!」
とメールが金切り声を上げますが、それを上回る声でゼンがどなりました。
「戦闘も始まってないのに味方を殺す気か、この馬鹿!! こんな急な海流の中で下がったら、他の奴らがおまえの戦車に激突するぞ!! 意地を張るにしても状況を考えろ!!」
その迫力に、さすがのメールも一瞬たじろぎましたが、すぐに口をへの字に曲げると、いきなりまた戦車を後ろへ下がらせ始めました。
今度は右へ左へ車体を蛇行させ、かと思うと突然後退するのをやめて、また海流に車体を任せます。
そのたびに戦車は大揺れに揺れて、ゼンは外に投げ出されそうになりました。
「この……跳ねっ返り!」
ゼンはいきなりメールの手から手綱を奪い取りました。片方の手首に絡ませると、空いている手でメールの鎧のベルトをつかんで持ち上げます。
常人にはとても無理な行動でしたが、怪力のゼンはまるで棒きれのように軽々とメールを頭上に差し上げました。
「ちょっと、な、なにを――!」
メールはわめこうとして息を呑みました。ゼンは戦車を隊列の上へ脱出させると、くるりと向きを変え、真っ向から流れに逆らって走らせ始めたのです。
激しい海流に逆行するのは、強い風に逆らって進もうとするのと同じことです。
水がごうごうと音をたてながら両脇を流れ出し、ものすごい水圧に体がさらされます。
メールの兜がむしり取られて跳ね飛ばされていきました。長い緑の髪が流れに
メールは必死でゼンをふりほどこうとしました。
ところが、どんなに暴れてもゼンは絶対に手をゆるめません。
やがて目の前に大きな泡が岩のように迫ってきて、二人に激突しました。
メールは後ろへ跳ね飛ばされそうになって悲鳴を上げましたが、それでもゼンはがっちりとつかんだまま放そうとしません。
その荒っぽい光景を、戦車部隊の兵士たちが呆気にとられた顔で見上げながら通り過ぎていきます。
「や、やめて……ちょっと、やめってってば……!」
メールはとうとう泣き声になりました。流れがあまりに激しすぎるので、今にも息が詰まりそうになっています。
ゼンはようやく戦車の向きを変えました。戦車が海流に乗ると、とたんに激しい風のような流れがおさまります。
ゼンはメールの体を下ろして小脇に抱えました。
メールはとても立っていられません。真っ青な顔のまま、荷物のようにゼンに抱きかかえられています。
それをのぞき込みながら、ゼンが言いました。
「流れに逆行するのがどのくらい危ないかわかったか。ったく、王の娘だと
メールは返事ができませんでした。
ただ目を大きく見開いて、ゼンを見上げるばかりです。
すると、そこへフルートが戦車を寄せてきました。
「ゼン、行く手の動きが変だ! 敵が現れたのかもしれない!」
「わかった、そっちへ行く!」
ゼンは答えると、メールを戦車に下ろして言いました。
「いいか。おまえの戦車の魚にはちょっと無茶をさせたから、今おまえが戦いに出るのは無理だ。この位置にいろ。俺たちで前の様子を見てきてやるから」
とたんにメールはむっとした表情になって、ゼンが渡してきた手綱をひったくりました。
ゼンは自分の戦車にひらりと飛び移ります。
隣に戻ってきたゼンに、フルートがあきれたように言いました。
「相手は女の子なんだぞ。もう少し手加減してやれよ」
「へっ、あいつがそんなしおらしい玉か」
とゼンは肩をすくめましたが、すぐに真顔になって前を見ました。
確かに、行く手から大勢の声と激しい音が伝わってくるのです。軍勢のはるか先のほうで戦闘が始まっているようでした。
「ワン、伝令が叫んでます」
とポチが部隊の前の方の声を聞き取って言いました。
「先頭部隊に敵が襲いかかったそうです。クジラの怪物だって言ってます――」
「来た!!」
フルートとゼンは同時に叫ぶと、戦車を駆って軍勢の前へと飛び出していきました。
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