第8章 海の軍勢
第31話 海流
渦王の軍勢は海を進んでいきました。
海上を数え切れないほどの海鳥たちが群れをなして飛び、それを追いかけるように、イルカや海面近くを泳ぐ魚たちが進みます。身につけている防具が朝日に鈍く光ります。
海上の部隊と平行して、海中でも軍勢が移動していました。
信じられないほど巨大な集団です。
ありとあらゆる魚や海の生き物が、海上部隊と同じように武具に身を包み、海中をすごい勢いで泳いでいきます。
海中を泳ぐ一団のすぐ後には戦車部隊が続きました。
渦王の戦車だけは海中部隊の先頭を進んでいますが、他の戦車はすべて最後尾です。
マグロ、サメ、シャチ、カジキ、カツオといった強い魚たちが、戦士を乗せた車体を飛ぶような速さで引いていきます。
その中でも一番最後に近い場所を、フルートたちの戦車が走っていました。
魚たちにつないだ手綱をフルートが握っています。突然出現した天空の国に青ざめていた顔も、今ではもう普通に戻り、落ち着いた目で行く手を見つめていました。
前方で誰かが大きな声を上げました。
それが何か聞き取れないでいると、突然ぐんと戦車のスピードが上がりました。
びっくりするほどの速さで海中を進み始めます。
ポチが言いました。
「ワン、今、前の方で『海流に入るぞ』って言ってましたよ。海流に乗ったんです」
「なんだ、海流って?」
とゼンが聞き返しました。
「ワン、海の中の川ですよ。でも、ぼくも話に聞いただけで、実物を見るのはこれが初めてです。海の中には水が川みたいに早く流れている場所があって、その流れに乗ると泳がなくてもどんどん流されていくし、船も
見れば、周りでは、精一杯泳いでいた魚たちがひれをゆるめ、戦車の上の戦士たちも少しくつろいだ顔になって行く手を眺めていました。
「海流に乗って、海王の城に着くまでの体力を温存しようとしてるんだね」
とフルートは感心しました。
彼らの戦車を引くカジキたちも、流れに乗って進むようになったので、フルートが手綱を操る必要はほとんどなくなってしまいました。
すると、ゼンが言いました。
「今度は俺が手綱を持つよ。フルートとポチは今のうちに少し休んでおけ」
行く手に待ちかまえるのは、海王の力を手に入れた魔王です。
途中のどこかに罠が仕掛けられているかもしれません。
休めるうちに休んでおくことは、食べられるうちに食べておくことと同じくらい、戦士には大事なことなのでした。
フルートはうなずくと、素直に手綱をゼンに渡しました。ポチを抱いて戦車の中に座り、車体にもたれて仮眠を取ろうとします。
すると、急にポチが伸び上がりました。匂いをかぐようにあたりをきょろきょろしてから、すぐ左前を進んでいる戦車を見て目を丸くします。
「え?」
「どうしたの?」
とフルートが尋ねると、ポチが言いました。
「ワン、あの戦車から、知っている匂いがするんです。あれって、もしかしたら……」
ひとり乗り用の小さな戦車に、銀のウロコをつづり合わせたような鎧兜の、細身の戦士が乗っていました。
その後ろ姿を見るうちに、少年たちも驚きの表情に変わりました。
「まさか」
とフルートがつぶやきます。その戦士の兜の下から、長い緑の髪がひと筋なびいているのに気がついたのです。
ゼンは顔を真っ赤にすると、これ以上ないくらいの大声で戦車へどなりました。
「おまえ、そんなところで何してるんだ、メール!!?」
細身の戦士が、ぎょっとしたように振り返りました。
勝ち気そうな青い強い瞳――それは確かに渦王の姫のメールでした。
メールは、驚いている少年たちを見ると、ふふん、と鼻で笑いました。
「もう気がつかれちゃったか。けっこう上手に
「いったいどういうつもりだ、メール!? なんでこんなところにいる!」
ゼンが戦車をメールの戦車に寄せてどなり続けました。かみつきそうなほどの形相です。
メールは顔をしかめました。
「うるさいね。水の中では音がよく伝わるんだから、そんなにどならなくても聞こえるよ。どういうつもりかって? 決まってるじゃないか。あたいも一緒に海王の城へ行って、魔王と戦うのさ」
そして、手にしていた
青い瞳が炎のようにひらめき、全身から青白い気迫がほとばしっています。
「あたいは鬼姫さ。王の軍勢と一緒に出撃して戦う権利があるんだよ」
そう宣言するメールの瞳は、紛れもなく戦士の目つきをしていました。
少年たちは呆気にとられて、何も言えなくなってしまいました。
軍勢の最後尾は大騒ぎになりました。知らない間に渦王の王女が紛れ込んでいたのですから、当然です。
すぐに先頭から戦車を駆って渦王が飛んできました。
娘の姿を見るなりどなり出します。
「おまえ、こんなところでいったい何をしているのだ!?」
ゼンと同じことを言われて、メールはまたうるさそうに顔をしかめました。
「ちゃんと聞こえてるったら。あたいも一緒に戦うんだよ」
「馬鹿を言うな! これは海戦だ! おまえの出番ではない!」
と渦王がどなり続けます。
とたんに、メールの表情が変わりました。また青い瞳がひらめき、父親をにらみつけてどなり返します。
「どうしてさ!? あたいだって渦王の娘だよ! 一緒に出撃して何が悪いってのさ!」
海の王と王女がどなり合うたびに、海流が乱れ、戦車が大揺れに揺れます。
戦士たちは車体にしがみつき、心配そうに王の親子喧嘩を見守りました。
渦王がまたどなりました。
「寝ぼけるな! おまえが苦手な海で、どうやって戦うというのだ!? 今すぐ島へ戻れ!」
すると、とたんにまたメールの表情が変わりました。
透きとおるほど青ざめた顔になると、父親を憎らしげににらみつけます。
「海でだって、ちゃんと戦えるさ。馬鹿にしないでよ」
「どうやって戦うというのだ! 海にはおまえに使える花はないぞ! そもそも、戦いに女の出番はない! 王の命令だ、即刻島へ戻れ!」
王のことばに、メールはますます青ざめ、瞳に青い怒りの炎を燃え上がらせました。
「いやだよ。ここまで来てしまったら、いくら父上の魔法だって、あたいを島に戻らせることはできないもんね。絶対に帰るもんか!」
そう言い捨てると、メールは手綱を繰って部隊の前の方へ行ってしまいました。
心配そうに見守っていた戦車部隊が、あわてて道をあけて右往左往します。
「あの跳ねっ返りめが」
と渦王は唸りました。頭痛がするように頭を抱えてしまっています。
ゼンが王に話しかけました。
「メールにあんなに頭ごなしに言ったって聞き入れるもんか。どうして、もっと優しく言ってやらないんだよ」
すると、世界の海の半分を統べる王は、じろりとゼンをにらみました。
「わしは渦王だぞ。たとえ王女であっても王の命令には従わなくてはならんのだ」
「でも、全然言うことを聞いてないじゃないか」
とゼンは容赦なく言い切って、続けました。
「メールがあんたのことを誤解してる理由がわかった気がするぜ。いつも娘にはあんなふうにどなってばかりいるんだろ。それじゃあ、伝わるものも伝わらないさ」
渦王はまた、じろっとゼンを見ました。
「子どもがわかったようなことを言うものだな、ゼンよ」
遠い雷を思わせる声でしたが、ゼンは悪びれもせずに答えました。
「悪いな。俺は相手が誰でも思ったことは言わずにいられない性分だからさ。メールは島で人魚たちにいじめられてたぜ。海もろくに泳げないできそこないの海の王女だ、って。あんたがそれに追い打ちかけるようなこと言ってどうするんだよ。父親なんだろ?」
渦王は目を見張ると、すぐに渋い顔つきになりました。
「人魚どもか……! なるほど」
「まあ、他にもあることないこと噂する連中はいるんだろうけどな。メール、自分のことを鬼姫だと言っていたぜ。人魚がそう呼んでいたんだ」
渦王はますます苦い顔になりました。
腹をたてているものの、今はどうすることもできなくて、どん、と握った
渦王はいまいましそうに頭を振ると、少年たちを見ました。
「メールは連れて行くしかない。帰れと言っても、絶対に帰るような奴ではないからな。すまんが、あれと一緒にいてやってくれ。とんでもない跳ねっ返りだから、きっとおまえたちの手をわずらわせるだろうが――」
渦王は一瞬、ひどく真剣な目をしました。
「あれを守ってやってくれ。頼む」
それは、海の王の声ではなく、娘の身を案じるただの父親の声でした。
ゼンは肩をすくめました。
「だから、どうしてそれをメールに直接伝えてやらないんだ、って言ってんだよな。父親ってのは、みんな娘が苦手なのか?」
ゼンは天空の国で出会ったポポロの父親のことも言っているようでした。
フルートが渦王に向かって言いました。
「わかりました。絶対に守りきるとはお約束できませんが、ぼくたちの力が及ぶ限り、メールは守ります。渦王は行く手の敵に専念なさってください」
「ま、放っておくわけにもいかないもんなぁ」
とゼンがぼやくように言いながら、気がかりそうにメールが去った方向を見ました。
メールの戦車はたくさんの戦車に紛れてしまって、もうどこにいるのかわかりません。
「すまん。よろしく頼むぞ」
渦王は少年たちに頭を下げると、また軍勢の先頭へ戻っていきました。
巨大な軍勢の彼方に渦王の戦車が消えていきます。
「どれ、メールを探そうぜ」
とゼンは言うと、手綱を繰って部隊の前のほうへ向かいました――。
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