第30話 日の出
渦王の島の南に広がる海岸に、渦王のすべての兵が勢揃いしていました。
青い髪の海の民、人や怪物の姿をした海の一族、大小の魚や海の生き物、海鳥たち……ありとあらゆる海のものたちが、防具を身につけ、武器を持ち、整然と浜辺を向いて並んでいます。
その数があまりにも多いので、海が真っ黒に染まって見えるほどでした。
波が沖から近づいてきては、彼らの上におおいかぶさります。
まるでこれから起こる戦いを予言するような、高く大きな波です。
けれども、海の戦士たちは気にとめる様子もなく、波の中に立ったり浮かんだり、あるいは波の上を飛びながら、ただひたすら渦王の出撃の合図を待ちわびていました。
海の中には、ひときわ変わった一隊がありました。
一人乗り、あるいは二人乗りの戦車部隊です。
戦車には車輪はなく、馬の代わりに、泳ぎが速くて力の強い魚たちがつながれていました。
泳ぎの得意なものたちは自分の力で泳いでいくのですが、他の者に遅れをとりそうな兵士たちは、この戦車に乗って海の中を移動していくのです。
フルートとゼンとポチにも、海の戦車が用意されていました。
鉄でできた大きな車体を、くちばしのように長い上あごを持つ、三匹のカジキが引いています。
ポチがさっそく近寄っていって、ワンワンと挨拶をしました。
カジキたちは魔法の生き物ではないので人のことばは話せませんが、ポチとはことばが通じ合って、すぐに仲良くなりました。
「ワン、カジキたちが、金の石の勇者の一行を乗せられて光栄です、って言ってますよ」
とポチが通訳したので、フルートは笑ってうなずきました。
「こちらこそよろしく、って伝えて。ぼくらは海の中を泳げないからね。君たちが頼りだよ」
ポチがそれを伝えると、長い上あごの魚たちは戦車につながれたまま、得意そうに海面で飛び跳ねました。
砂浜に近い波打ち際に、渦王の戦車がありました。
全体に彫刻を施した立派な車体を、二頭の大きなホオジロザメが引いています。
王の戦車に乗っているのは、渦王一人だけでした。
「それでは、全軍出撃する」
と王は高らかに宣言しました。
「後に残るものたちよ、留守中の島をよろしく頼むぞ」
そう言って王が見やったのは、砂浜を埋め尽くしている森の民でした。緑の髪に緑や若草色の服を着た人々が、食い入るようなまなざしで王の軍勢を見送っていました。
ひときわ風格のある老人が進み出て、渦王に答えました。
「我ら森の民は王の帰りをひたすらお待ちしておりますぞ。王と王の戦士たちのご武運を祈っております」
「森の長老だ。森の姫の親父さん、つまりメールのじいちゃんだな」
とゼンがフルートにささやきました。
けれども、森の長老のそばにメールの姿はありませんでした。砂浜に詰めかけている人垣の中にも、メールは見あたりません。
「ったく、どこまで
とゼンが言いました。
最後までその姿を見ることができなくて、ゼン自身ががっかりしているような声でした。
王と森の長老の間では、互いの安全と海の守りを祈るやりとりが続いていました。
軍勢も見送りに来た森の民も、静かに耳を傾けています。
フルートたちも戦車の上で一緒にそれを聞いていました。森の長老の声は穏やかでしたが、心から渦王の無事と勝利を願う気持ちが、ひしひしと伝わってきました――。
そのとき、急に彼らの頭上の空がかげりました。
夜明けまでには、あと数分だけ時間があります。
東の水平線の上は雲におおわれ、明るい金色に輝き始めています。
朝日がまだ差していない今、空をかげらせるようなものは何もないはずなのですが……。
思わず目を上げたフルートとゼンとポチは、いっせいに息を呑みました。
島に広がる森の上から、巨大な岩の塊が、のしかかるように現れてくるところでした。ゆっくりと空をおおいながら、彼らの真上へ移動してきます。
岩盤の上では、一足早い朝日を受けて
「天空の国……!」
と少年たちは、あえぐようにつぶやきました。
周りの軍勢も海岸の森の民も、頭上に空飛ぶ国が現れたことにはまったく気づいていませんでした。
天空の国は、フルートたち以外の者の目には隠されていて見えないのです。
フルートは真っ青になりました。体中が激しく震えだして、どうしても止めることができません。
「フルート!」
ゼンとポチは思わずフルートを振り向きました。期待を込めて見つめてしまいます。
フルートは激しく首を横に振りました。
何も言えません。何もできません。ただ黙って首を振ると、そのままうつむいてしまいました。
戦車にしがみつく手の指先が、血の気を失って真っ白になっていました。
ゼンとポチは、そんなフルートを痛々しく眺めました。
魔王と戦うには油断せず、心を強く持つように、と言ったのはフルート自身です。
けれども、それがわかっていても、やっぱり魔王の仕掛けた罠に心を絡め取られて、どうすることもできないのです。
ゼンは天空の国を見上げました。
赤い髪の少女が駆けつけてこないかと、祈るような気持ちで見つめますが、魔法の国は音もなく移動して、彼らの頭上を通り過ぎていきます……。
「くそっ、なんで気がつかないんだよ。こんなに大勢集まってるじゃないか」
とゼンが歯ぎしりをすると、同じく空を見上げながら、ポチが答えました。
「ワン、泉の長老が言っていたじゃないですか。みんな、それぞれに
ポチの声にも悔しさがにじんでいました。
唯一天空の国に呼びかけることができる少年は、死人のような顔色になって、じっとうつむき続けていました。
全身を冷たい脂汗が流れていきます――。
やがて、天空の国はゆっくりと頭上を通り抜けて、南へ遠ざかっていきました。
岩盤の上の尖塔が、最後のきらめきを残して、水平線の彼方に消えていきます。
とうとう、天空の国からは誰もやってきませんでした。
東の水平線から、朝日が昇り始めました。
雲をまばゆい金に染め上げ、雲の切れ間から、空と海に鮮やかな光を投げかけてきます。
戦車の上の渦王が、片手を高く差し上げて呼びかけました。
「勇猛な海の戦士たちよ! めざすは東の大海、海王の城だ! いざ、出撃――!」
さっと、渦王の手が朝日に向かって動きました。
全軍は、おぉぉーーっと、島中を
軍勢が海を真っ黒に染めながら島を離れ、東の水平線目ざして動き出します。
三匹のカジキが引く戦車も、他の戦車と一緒に水に潜って、海中を進み始めました。
海面を朝日に照らされて、海の中が明るくなってきます。
戦車にしがみついていたフルートが、ようやく顔を上げました。真っ青な顔のまま、ひとことも口をききません。
ゼンとポチは、そんな友人をまた見つめてしまいました。
やっぱり何も言うことができませんでした……。
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