第28話 鬼姫
岩場にメールが立ち上がりました。目を青く燃え上がらせています。
「お黙りってば! それ以上、父上のことを何か言ったら、絶対に許さないよ!」
けれども、人魚たちは平気です。
ますます面白がりながら騒ぎ立てました。
「みんな知っていることよ、鬼姫」
「現に、渦王は何度も海の王妃を手に入れに海を渡っているじゃないの。まあ、毎回海王に追い返されてるけど」
「海王がいない今こそ、本当のチャンスよね」
メールは真っ青になりました。怒りのあまり息が止まりそうになっています。
ところが、メールがどなり出すよりも先に、ものすごい音が響き渡りました。
音と共に、岩のかけらが岩場中に飛び散ります。
驚いて振り向いたメールと人魚たちの目に映ったのは、岩場の入り口に立つ二人の少年と白い子犬でした。
ゼンは片手を岩に打ちつけています。
岩場に響いたのは、ゼンが岩を思い切り殴りつけて粉々に砕いた音だったのです。
少年たちに人魚とのやりとりを聞かれていたと知って、メールはさっと顔を赤くします。
「いい加減にしろよ、おまえら!」
とゼンが息巻きながら水辺へやってきました。
「あることないこと好き勝手言いやがって! 今すぐここに渦王を連れてきてやる! 渦王の前で今と同じ話をしてみやがれ!」
人魚たちはゼンの剣幕にちょっとたじろぎましたが、すぐにまた意地悪い笑い顔になりました。
「あらぁ、嘘じゃないのよ、チビのドワーフさん」
「渦王は若い頃、海王と一人の女性を奪い合ったの」
「青い貴婦人っていう、それは美しい人。二人は彼女を巡って何年間も戦ったのよ」
「そして、とうとう海王が勝ったの。青い貴婦人は海王のお妃になったんだけどね」
「渦王はそれでもずっとあきらめきれないのよね。隙を狙っては、海の王妃を奪いに行こうとするんだもの」
「かわいそうなのは森の姫。愛されてもいないのに、渦王の奥さんにさせられて」
「やっとできた子どもも、男の子じゃなくて女の子で、跡継ぎにもなりゃしないのよね」
「おかげで渦王の怒りをかって、森の姫はあえなく早死に」
「後に残ったのは、男みたいな鬼姫ばかり」
きゃぁーっとまた人魚たちがけたたましい歓声を上げました。
後に残ったのは鬼姫ばかり、という言い回しが気に入ったのか、何度も繰り返しながら、いつまでも笑い続けています。
メールの顔色は青を通り越して蒼白になっていました。
怒りに全身をわななかせながら、人魚たちをどなりつけようとします。
けれども、それより早くまたゼンが動きました。
近くにあった岩をいきなり持ち上げると、海の人魚めがけて投げ込んだのです。
どぶーんと音がして、激しいしぶきと波が上がります。
さすがの人魚たちも、これには仰天して怒り出しました。
「ちょっと、何するのよ!」
「危ないじゃないの! 茶色のちんちくりん!」
すると、今度はフルートが人魚たちを指さして言いました。
「ポチ!」
「ワン!」
ポチは一瞬で風の犬に変身すると、海の上へ飛び出して人魚たちの周りをぐるぐる飛び回り始めました。
海は激しく泡立ち、人魚たちの黄金の髪が風でめちゃくちゃになります。
人魚たちは海の中へ潜り、別の場所に出てきてキーキーと怒りましたが、そこへまたポチが飛んできたので、大あわてでまた海に潜っていきました。
炎の剣に手をかけながらフルートが叫びました。
「これ以上ぼくの友だちを侮辱してみろ! 炎入りのつむじ風をお見舞いしてやる!」
すると、ぽかっと黄金の頭が一つ海の上に出てきて、一言フルートをののしりました。
「なにさ、チビ!」
魚の尾がひらめき、人魚は海中深く潜っていきました。それきり後は浮かんできません。
ポチが飛び戻ってきて、フルートの足下で子犬に戻りました。
フルートも剣から手を離します。
ゼンは、ふーっと大きなため息をついてメールを見ました。メールは
「おまえなぁ、もう少し友だちを選べよ」
とゼンに言われて、メールは、たちまちかっと顔を赤くしました。
「馬鹿言わないでよ! 人魚なんかが友だちのわけないじゃないか!」
「それなら、あいつらの言うことなんか気にするなよ。マジに受け取ってたら馬鹿を見るだけだぞ」
そう言うゼンは、意外なくらい真面目な顔をしていました。
メールは面食らった表情になると、すぐに、ふんとそっぽを向きました。
「大きなお世話だよ。あんたに何がわかるってのさ。ドワーフのくせに海にまで出しゃばってきたりして。ドワーフならドワーフらしく、山の下で穴掘りしてりゃいいんだよ!」
女の子の姿形になっても、やっぱりメールは毒舌家です。
けれども、ゼンは怒りもせず、ただ、ちょっとだけ笑いました。
「あのな、ドワーフが全員地下にいると思ったら大間違いなんだぞ。森で狩りをしていたって、ドワーフはやっぱりドワーフなのさ」
メールにはゼンが言っている意味がよくわからなかったようでした。
いぶかしそうにゼンを見ますが、すぐにくるりと背中を向けると声を上げました。
「あーあ、ホントに面白くないことばっかり! いやんなっちゃうよ!」
と岩場を出口に向かって歩き出します。
けれども、フルートのわきを通り過ぎようとして、メールはふと立ち止まりました。
「あんた、友だちを侮辱したら許さない、って人魚たちに言ったよね。どうして自分のことには怒らないのに、ゼンのことになるとそんなにむきになるのさ?」
海のように青く深い目が、一瞬まともにフルートの目の中をのぞき込みます。
フルートは穏やかにほほえみ返しました。
「ぼく、君のことも言っていたつもりだったけど? シルヴァ」
と、わざと、森の中でメールが名乗っていた名前で呼びます。
メールは、ぱっと顔を赤らめると、そのまま何も言わずに岩場から出て行ってしまいました。肩を怒らせた後ろ姿が遠ざかっていきます。
フルートがそれを見送っていると、突然ゼンに後ろから頭を殴られました。
「な……! いきなり何するんだよ!?」
兜の上からだったので痛みはありませんが、出しぬけだったので、フルートはびっくりしました。
ゼンが不機嫌そうにそっぽを向きます。
「別に。なんだか急にたたきたくなっただけだ」
「えぇ? なんだい、それ!」
フルートはまた声を上げましたが、ゼンはそれ以上何も言いませんでした。
フルートにはさっぱりわけがわかりません。
すると、同じようにメールを見送っていたポチが口を開きました。
「ワン、ぼくは今日初めてメールをそばで見たんだけど、淋しそうな匂いがする人ですね。強そうに見えるけど、昔のポポロと同じくらい、淋しい匂いがしますよ」
少年たちは思わずポチを見ました。
ポチが誰もいなくなった海を振り返りながら続けます。
「ワン、人魚が言ったことがどのくらい本当なのかはわからないけど、メールはかなり本気にしているんじゃないかなぁ。女の子だから跡継ぎになれないとか、女らしくない鬼姫だとか――。ポポロみたいに、お父さんから嫌われてると思いこんでるんじゃないかしら?」
ゼンはうなずきました。
「そんなところだろうな……。さっき、人魚たちも言ってたけど、メールのおふくろさんは海の民じゃないんだ。この島の森の民のお姫様だったのさ。それでメールの髪の色は青じゃなく緑色だし、花使いの魔法なんかも使える。おふくろさんが、やっぱり花使いだったらしいな。海の民は魚と同じくらい泳ぎがうまいんだけど、メールはあまり上手に泳げないとも聞いてる。親父の渦王に反発しているのも、そのあたりが関係している気がするんだよな」
「君と似てるんだね」
とフルートは言いました。
ゼンは人間の血を引いたドワーフです。
今でこそドワーフの洞窟でも一目置かれていますが、昔は本物のドワーフではないと言われ、他のドワーフたちから「タージ」と呼ばれて馬鹿にされていたのです。
ゼンは苦笑いしました。
「まあな……。あいつが気になるのは確かだ。俺は、親父やじいちゃんも人間の血を引いていたから平気だったけど、あいつは自分一人しかいないんだもんな」
少年たちは揃ってまた、メールが去っていった方向を眺めました。
岩場の入り口からは、濃い緑の森が見えるだけで、メールのほっそりした姿は、もうどこにも見あたりませんでした。
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