第20話 第三の門
第二の門の向こう側は、一面の緑でおおわれていました。
目の前にまた城壁がそびえ、その周りを水路が取り囲んでいるのは同じですが、足下の地面は石畳ではなく土で、いたるところに草や木が生え花が咲き乱れています。
城壁に取り付けられた
その様子が第二の門の広場とあまりに違うのでフルートが驚いていると、シルヴァが言いました。
「渦王の城全体がこんな感じなんだ。植物が多いのさ。城内はもっと緑だらけだぞ」
それを聞いて、フルートは第三の城壁の向こうを眺めました。
水路の上にそびえる石の壁は、向こう側から伸びてきた緑の
ふっと、フルートは違和感に襲われました。
シルヴァは、渦王が島の森を独占した、と言っていました。
けれどもフルートの目には、渦王の城が森を支配していると言うよりも、森が城に入り込んで城を占領しているように映ったのです。
外から見たときの城の様子もそうでした。緑の中に紛れ、森に埋もれるようにして存在していたのです……。
けれども、フルートはそれ以上考え続けることができませんでした。
行く手の水路から水音が聞こえてきたからです。
シルヴァとフルートはたちまち緊張しました。何かが水路の中を近づいてきます。
「シルヴァ、ぼくから離れるんだ。戦いに巻き込まれるよ」
フルートはそう言い残すと、水路に向かってまっすぐ走り出しました。
ザザザザーーッと激しい水音がして、水路から水柱が上がりました。
見上げるような高さまで吹き上がって、見る間に形を変えていきます。
巨大な鎌首、太い胴体、青くきらめく体、二つの銀の目……それは砂浜でゼンをさらっていった、青い水蛇でした。
「ハイドラ!」
中庭の木の後ろでシルヴァが悲鳴を上げました。ハイドラとは渦王直属の水蛇です。
「無理だよ……いくらなんでも絶対無理だよ、ハイドラと戦うなんて。殺されちゃうじゃないか……!」
けれども、フルートは剣を構えたまま水蛇とにらみ合っていました。
負けるつもりなどありませんでした。この敵を倒さなければ、ゼンたちがいる城の奥に入ることができないのです。
水蛇が襲いかかってきました。水の鎌首がかみついてきます。
フルートはすばやく身をかわすと、横なぎに剣を振るいました。
ジュッと音がして、白い蒸気が上がります。炎の剣が、切った瞬間に、蛇の体を蒸発させたのです。
けれども、砂浜で戦った時と同じように、蛇の水の体はすぐにくっつきあって、傷口が消えてしまいました。
炎の剣は水の敵には効果がないのです。
また蛇がかみついてきました。
きわどいところでフルートがかわすと、蛇はそこに生えていた木をかみ砕きました。
木が音をたてて倒れていきます。水とはいえ鋭い牙です。
フルートは息をはずませながら、どこかに蛇の弱点はないかと考えました。
水の蛇、水の体――ポポロがここにいて冷凍魔法をかけてくれれば、凍りついた蛇に攻撃できるのですが……
フルートは、ぎゅっと唇をかむと、自分から蛇に切りかかりました。
襲いかかる鎌首を正面からまっぷたつにすると、また激しい蒸気が上がってあたりを充たします。
霧になった蒸気に紛れて、フルートはさらに蛇に駆け寄って太い胴体を切り払いました。
あたりはもうもうとした霧でいっぱいになります。
けれども、やっぱり水蛇は元に戻ってしまいました。
切っても切っても、まるで効果がありません。
すると、蛇の頭が宙を走って水の体がフルートに巻きついてきました。
あっと思う間もなくフルートを絡め取ります。
「フルート!」
シルヴァは思わず木の陰から飛び出しました。
風にちぎれていく蒸気の間にそれを見て、フルートは叫び返しました。
「来るな、シルヴァ! 危ない!」
とたんに蛇はものすごい勢いで水路の中に戻っていきました。
大きな水音を立てて、絡め取ったフルートごと水中に消えてしまいます。
「まずい!」
シルヴァは水路に駆け寄りました。
巨大な波紋が水面に広がって静まっていきます。いつまで待ってもフルートは浮いてきません――。
「あいつが溺れる!」
とシルヴァは言うと、ためらうことなく身を
シルヴァは水路の底へまっすぐ泳いでいきました。
水路の両脇は石の壁ですが、底はどこまでも深く、その奥から海水がゆるやかに噴き出してきて流れを作っています。
前にフルートに話したように、水路は水底であちこちの場所の泉や海とつながっているのです。
そこを通り道にする者たちのために、水路の壁には灯りがともされていました。自ら光を放つ海藻や海の虫やヒトデの照明です。
水路の底に近い場所に、水蛇のハイドラに巻きつかれたフルートが見えました。
水に引き込まれてからもう一分以上が過ぎています。早くしないとフルートの息が続きません。
シルヴァはさらに速度を上げて泳ぎました。
すると、蛇のとぐろの中からフルートが顔を上げました。
シルヴァを見上げる目は、驚くほどしっかりしたまなざしをしていました。
「来るんじゃない、シルヴァ! 早く外に出るんだ!」
水中なのに、フルートの声がはっきりと聞こえました。
シルヴァが驚いて水中で停まると、フルートが力強くうなずき返します。
フルートに何か考えがあるのだと気がついて、シルヴァはすぐに上へ引き返しました。
途中で振り返ると、フルートを絞め殺そうとして難儀している水蛇が見えました。
魔法の鎧がフルートを守り続けているのです。
フルートはまだシルヴァを見ていました。
シルヴァが外に逃げるのを待っているのです。水中でも全く苦しそうな様子がありません。
「あいつ、人魚の涙を呑んでいるのか……」
とシルヴァはつぶやくと、急いで水面に出て岸に上がりました。
水路を振り返って見守ると、やがて水面に大きな泡が上がってきました。
ボコリ、と音をたてて泡が弾けます。
続いて二つ三つとまた泡が上がってきて弾け、次第にその数が増えてきました。
ごぼごぼと湧き上がるように、水中から泡の塊が浮かんできます。
シルヴァは驚いて水面を見つめました。何がこんな泡を立てているのか、想像がつきません。
すると、激しい水音を立てて、水中からまた水蛇が飛び出してきました。
体にはまだフルートを巻き付けたままです。
真っ白な蒸気がまた漂い、シュウシュウという音が響き渡ります。
フルートは絡みつかれたまま、蛇の体に炎の剣を突き立てていました。
どんなに蛇が暴れ狂っても、突き刺したまま決して手を離そうとしません。
蛇の巨大な水の体が魔剣の熱で次第に温度を上げ、ついに沸点に到達して蒸発を始めているのでした。
青い水の体の中は真っ白な泡でいっぱいで、体の表面から音をたてて吹き出しては、白い蒸気に変わっていました。
シルヴァは立ちすくんでしまいました。
こんな光景は今まで見たことも想像したこともありません。
渦王最強の魔法の生き物が、金の鎧の少年の手で蒸発させられそうになっているのです。
ついに水蛇がフルートを放しました。鎌首を大きく振り回して、苦しそうに水面でのたうちます。
けれども、フルートは剣にしがみついたまま、蛇を突き刺し続けていました。
熱湯に変わった蛇の体が、激しく泡立ち蒸気に姿を変えて、消滅しようとします──。
そのときです。
城の中庭でザザッと何かが揺れる音が響いたと思うと、木立や草むらの中から飛び立ったものがありました。
まるで虫か小さな鳥の大群のように空に舞い上がり、いっせいにフルートに襲いかかってきます。
それは何千という花の群れでした。
赤、青、黄、紫、白……色とりどりの大小の花が、ひとりでに花首を離れ、羽根のはえた生き物のように飛びかかってきます。
島に上陸したときにポチを襲い、フルートの腕を絡め取った花の群れと全く同じ動きでした。
フルートは剣を引き抜いて襲いかかってくる花を切り捨てました。
宙で炎が上がり、花が燃えながら地上に落ちていきます。
けれども花は数え切れないほどの量でした。
いくら切り捨てても、後から後から押し寄せてきます。
ついにフルートは、すっかり花に取り囲まれて、何も見えなくなってしまいました。強烈な花の香りに包み込まれます。
すると、水蛇が大きく身震いしました。
蛇にまたがっていたフルートは、弾き飛ばされて地上に落ちました。かなり激しくたたきつけられたのですが、もちろん、魔法の鎧を着ているので平気です。
すぐにまた跳ね起きますが、水蛇は目の前で水路に姿を消していくところでした。
大きな波紋が水面に広がり、やがて消えていきます……。
フルートの体にへばりついていた花たちが、力を失ったように地上に落ちていきました。空中に浮いていた花も、雪のようにばらばらと落ちてきます。
地面に触れたとたん、またそこで根を張り、茎や葉を伸ばして、一面の花畑に変わってしまいます。
その様子にフルートは目を見張りました。間違いなく魔法の
そこへシルヴァが近寄ってきました。
その目は、驚きを通り越して怯えるような色さえ浮かべていました。
すぐには声も出せない様子です。
フルートはシルヴァに話しかけました。
「花がひとりでに襲ってきたよ。例の渦王のお姫様の魔法だね」
「ああ……メールだ。どこかで見ているんだろう……」
とシルヴァはまだ呆然とした顔で答え、ゆっくりと第三の城壁を見ました。
「メールだけじゃない。渦王も、他のヤツらも、みんなあんたの戦いを見ているよ……。みんな、自分の目を疑っているだろう。なにしろ、あのハイドラを消滅させかけたんだからな……」
そして、シルヴァは横目でフルートの様子を盗み見ました。
フルートはもう城壁を見つめて剣を握り直しています。
勇ましい姿とは裏腹な、少女のように優しい横顔が、松明の明かりに照らし出されています。
彼らの目の前で、最後の跳ね橋が下りてきました。
音をたてて水路の上にかかり、その先に入り口を開きます。
「いよいよ城内だね。行こう」
とフルートは先に立って橋を渡り始めました。
シルヴァは小さく頭を振ると、後について歩き出しました。
その唇が何かをつぶやきましたが、それは誰の耳にも届きませんでした。
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