第19話 第二の門

 門をくぐって城の中に入ると、そこは石畳いしだたみの広場になっていました。

 誰もいないがらんとした空間ですが、あちこちにかがり火がかれ、行く手にはまた石造りの塀とそれを取り囲む水路が見えていました。

 水路の上には、また跳ね橋が上がっています。


「第二の城門だ」

 とシルヴァが言いました。

「渦王の城は三重の城壁と水路で守られているんだ。それぞれの城壁にひとつずつ門があって、その前に跳ね橋がかかっている。これは二つ目の城壁さ」

「ということは、この奥にもうひとつ城壁と橋があるってことだね?」

 とフルートは言いながら歩いていきました。抜き身の剣を握りしめて、油断なくあたりを見回します。

 跳ね橋が上がっているということは、何かが行く手に現れる前触れのような気がしました。


 すると、ガボリ、と水路の中から音がしました。

 とても大きなものが水中でうごめく音です。

 フルートはすぐに身構えて、後ろのシルヴァに言いました。

「下がれ、シルヴァ! 城の外に出るんだ!」

 ところが、先の橋が音をたてて跳ね上がって、後ろの出入り口をふさいでしまいました。

 フルートたちは第一の城壁と第二の城壁の間に閉じこめられたのです。


 水音を立てながら大きな獣が水路から現れました。ひづめのついた前足を石畳にかけて上がってきます。

 見上げるように大きな白い雄牛でした。

 シルヴァが目と口を大きく開いて叫びます。

「シーブル!? 嘘だろう!?」

「何、それは?」

 とフルートはシルヴァの前に立って尋ねました。

「渦王が魔法で作った怪物だよ。むちゃくちゃ──むちゃくちゃ強いんだ!!」


 雄牛が雄叫びを上げて突進してきました。

 鋭い角を振り立て、地響きを立てて二人へ突っ込んできます。

 フルートはとっさにシルヴァを突き飛ばしました。

「隠れて!」

 と叫びながら、自分自身も横へ飛びます。

 すると、雄牛は素早く向きを変えてフルートに襲いかかりました。牛とは思えない敏捷びんしょうさです。

 あわてて城壁のきわまで下がったシルヴァが、震えながらつぶやきました。

「なんでシーブルが城内にいるんだよ。いつもと比べものにならないくらい警備が厳しいじゃないか……」


 フルートはまた雄牛の突進をよけて身構えました。

 荒い鼻息で前足で地面を蹴っている雄牛は、まるで小山のように大きく見えます。

 またシーブルが突っ込んできました。

 フルートは素早く身をかわします。

 が、向きを変えたシーブルの角に引っかけられて、小柄な体が宙に跳ね飛ばされました。石畳にたたきつけられて、ガシャンと鎧が音をたてます。


「フルート!」

 シルヴァは声を上げました。死にはしなくても、大怪我は間違いのない勢いです。

 けれども、フルートはすぐに跳ね起きて大きく飛びのきました。

 たった今までフルートが倒れていた場所を、シーブルの大きな体が通り抜けていきます。一瞬遅ければ踏みつぶされたところです。

 また剣を構えたフルートを見て、シルヴァはつぶやいていました。

「なんだ、あいつ……。どうしてあんなに強いんだよ……?」


 フルートが突進してきた牛をかわして切りつけました。

 剣の切っ先が牛の顔の片側を切り裂き、頭が炎に包まれます。

 牛は雄叫びを上げると、狂ったように突進を始めました。めくらめっぽう突き進んでいく先には、シルヴァが立ちすくんでいます。

「シルヴァ!」

 フルートは剣を思い切り振りました。

 切っ先から炎の弾が飛び出していって、雄牛の背中で炸裂します。

 雄牛は全身を炎に包まれ、ものすごい勢いで第一の城壁に激突していきました。石塀が崩れて大穴があきます。

 雄牛はそのまま壁の外に飛び出していくと、水しぶきを上げて水路に飛び込みました。


 シルヴァは、壁に開いた大穴の横にへたり込んでいました。

 きわどいところで雄牛が向きを変えたので助かったのです。

 フルートは剣を構えたまま、城壁の穴に近づきました。

 厚さが一メートルもある石の壁が見事なまでに粉々になっています。すさまじい勢いと力でした。

 外の水路の水面が静まっていくのを見て、フルートはつぶやきました。

「逃げていったかな……?」


 すると、はぁぁ、とシルヴァが大きな息を吐きました。

 ようやく口がきけるようになったのです。

 頭でも痛むように額を押さえながら話し出します。

「ホントに……何なんだよ、あんた。さっきまでと全然様子が違うじゃないか。なんでそんなに強いのさ。あんなにすごい勢いでたたきつけられたのに、どうしてぴんぴんしてるんだ?」

「魔法の鎧だから」

 とフルートは答えて、金の鎧に触れてみせました。

 エスタ王に仕えるノームの鍛冶屋が仕立てた、特別製の鎧兜は、どんな衝撃にも暑さ寒さにも平気なのです。


 ちぇっ、とシルヴァが舌打ちしました。

「ちょっと卑怯ひきょうくさくないか? 炎の弾が出せたり敵を燃やしたりできる魔法の剣と、どんな怪我も毒も直せる魔法の石と、それに魔法の鎧? 装備良すぎるよ、あんた」

 などと、どっちの味方かわからないようなことを言います。

 フルートは目を丸くすると、静かにほほえみ返しました。

「しかたないよ。だって、ぼくが戦う相手はいつも、これくらいの装備がないと勝てないような敵なんだもの。ぼくたちはみんな子どもだしね。いろんな人たちが、ぼくたちに強力な装備を与えてくれたよ。そして、みんな必ず言うんだ。闇の敵を倒せ、ってね……」

 そう言って城の奥へ目を向けたフルートは、どこか少し淋しそうに見えました。


 シルヴァがそれにまた何かを言い返そうとしたときです。

 外の水路から、低い水音が聞こえてきました。何かが水路をこちらへ近づいてきます。

 フルートは、はっとして身構えました。

「下がって、シルヴァ! また何かが来る!」

 べちゃり、と湿った音がして、何かが水路から這い上がってきました。雄牛が開けた大穴から、城壁の内側に入りこんできます。

 青と赤の派手な色の、巨大なナメクジのような生き物でした。全長が三メートル近くあります。

 その頭の片側に白い火傷の傷跡があるのを見て、フルートは目を見張りました。

「え、まさか……」

「シーブルだ!」

 とシルヴァが叫びました。

「こいつがヤツの正体なんだよ! お化けウミウシだ! 食われるぞ、気をつけろ!」


 そう言っている間に、ウミウシのシーブルが飛び上がって襲いかかってきました。

 声のしたほう――シルヴァにむかって飛びかかります。

「シルヴァ!」

 フルートはまた前に飛び出して剣をふるいました。

 すると、ウミウシは宙で向きを変え、派手な色合いの体にさざ波を立てながら落ちました。そのまま信じられない速さで地面を移動し始めます。


 と、またウミウシが飛びかかってきました。

 今度はフルートを狙っています。

 フルートが切りつけようとしたとたん、頭から水が噴き出しました。巨大な水鉄砲のように、勢いよくフルートの体を打ちます。

 水圧でフルートがよろめくと、ウミウシが飛びついて体の下敷きにしました。ウミウシの巨体はのっしりと重くて、フルートの力では跳ねのけられません──。

「フルート! おい、フルート!」

 シルヴァは青くなりました。助けようとするのですが、森の少年にはどうすることもできません。

 みるみるうちにウミウシはフルートの体をおおいつくして、派手な体の下に金の鎧をすっぽりと取り込んでしまいました。


 ウミウシの下で、フルートは必死でもがいていました。

 ウミウシがかみついてくる音が何度も響きますが、魔法の鎧はびくともしません。

 ただ、湿った柔らかい体に顔まですっかりおおわれてしまって、呼吸ができませんでした。

 もがいても、もがいても、ウミウシを引き離すことができなくて、フルートは次第に意識が朦朧もうろうとしてきました。シルヴァが必死に呼ぶ声が遠くなっていきます……。 



 遠くで少女が呼んでいました。

 今にも泣き出しそうに、懸命にフルートを呼び続けています。

 ずっとずっと聞きたかった、でも、聞くことのかなわなかった優しい声です。


 フルートの胸が震えました。

 本当はずっと待っていたのです。いつだって呼びたかったのです。

 その声が聞きたくて。美しい緑の瞳を見つめたくて。

 フルートは姿の見えない少女に向かって手を伸ばしました。

 名前を呼ぼうとします。


 けれども、その瞬間フルートの脳裏で深紅のしぶきが散りました。

 降りかかってくる血の雨の中、少女が息絶えていく夢がよみがえってきます――。



 フルートの全身が氷のように冷たくなって、一気に意識が戻りました。

 ウミウシが包み込むようにへばりつき、鎧をこじ開けて中のフルートを食おうとしています。

 フルートは炎の剣を握り直すと、力任せにウミウシに突き刺しました。

 ウミウシの体が火を噴き、あっという間にウミウシもフルートも炎に呑み込まれてしまいます。

「フルート! フルート──!!」

 シルヴァは真っ青になって呼び続けました。

 炎は夜空を焦がす勢いで、ごうごうと燃え続けます。


 けれども、炎がおさまり、燃えかすが風の中に崩れていくと、その中からフルートが立ち上がりました。

 全身にこびりついた黒い灰をふるい落とすと、金の鎧が現れて光り輝きます。

 シルヴァはぽかんとそれを眺め、やがて頭を振って言いました。

「わかったよ、これも魔法の鎧のおかげなんだろう……? あんた、これまでもずっとこんな戦いばかりしてきたのか?」

 シルヴァのフルートを見る目が、今までとは変わっていました。

 フルートは何も答えずに、ただ、ほほえみ返して見せました。

 やっぱり少し淋しそうな微笑でした。


 すると、重い音を響かせて、目の前の城壁から跳ね橋が下りてきました。

 地響きを立てながら水路の上に橋をかけ、第二の門が開きます。

「行こう」

 フルートは短く言うと門に向かって歩き出しました。

 その手には炎の剣がしっかりと握られていました――。

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