第16話 緑の森

 「こいつ、放せ! 放せったら!」

 森の中に現れた怪物につかまって、シルヴァがわめいていました。

 少年より大きなヒトデです。丸い星の形の体から触手のような太い腕が五本伸びていて、その一本が少年をつかまえています。

 怪物の周りには果物や木の実が散らばっていました。シルヴァは、森から食料を集めて戻ってくる途中で、この怪物に出くわしてしまったのです。


 駆けつけたフルートは怪物の姿に一瞬目を見張りましたが、すぐに剣で切りかかっていきました。

「この──!」

 切っ先がかすめると、大ヒトデは身を引いてフルートから距離を置きました。

 シルヴァがヒトデをふりほどこうとしながらわめきました。

「おい、この腕を切ってくれ! こいつは渦王の手下なんだ!」

 とたんにフルートの脳裏でシルヴァと水蛇につかまったゼンがだぶりました。

 ゼン……! と心で叫びながら飛び込み、力任せに剣をふるいます。

 とたんに肉を断ち切る音が響いて、シルヴァは触手ごと地面に倒れました。

 小柄なフルートが一太刀でヒトデの腕を切り落としたので、シルヴァは目を丸くします。


 腕を一本失ったヒトデは、怒ってフルートに飛びかかってきました。

 小柄な体を押し倒して、おおいかぶさってきます。

 ヒトデは体の内側に無数の吸盤を持っていました。金の鎧に貼り付いて引きはがそうとします。

 フルートは剣でヒトデを突き刺そうとしましたが、その腕にも蛇のような腕が絡みついてきました。剣が振れなくなります。

「おい!」

 シルヴァの焦った声が聞こえてきました。彼にもどうすることもできないのです。

 フルートは空いている手を背中に回すと、炎の剣を抜いてヒトデに切りつけました。

 やいばが怪物をかすめると、傷口が火を噴きます。

 ヒトデはフルートから飛びのいて森の奥へ逃げ出しました。すぐに水音が上がって、怪物の気配は消えました。


「行ったな」

 ほっとしたように、シルヴァが言いました。ヒトデが残した腕を振り落として立ち上がります。

 フルートはヒトデが逃げた方へ行ってみました。

 森の木立の中に小さな泉があって、水をまんまんとたたえています。外に水が流れ出していない、不思議な泉です。

 すると、シルヴァが言いました。

「この島にはあっちこっちにこういう泉や水路があって、渦王の城や海とつながってるんだ。渦王の手下はこういう場所を使って自由に行き来しているのさ。この水は海水だぜ」


「渦王はぼくたちに気がついたのかな?」

 とフルートが尋ねると、シルヴァは首をひねりました。

「あんたが上陸してるのはもちろん気づいているけど、俺たちがここにいるのは知らなかったんじゃないかな。渦王は、自分の海で起こっていることはなんでも知ってるけど、島の上で起こっていることはわからないからな。だから、手下を島のあちこちに送り込んで警備させているんだ。あのヒトデもそうさ」

「じゃあ、あのヒトデが報告して、ぼくたちの場所がわかっちゃうね」

「ああ、ここを早く離れた方がいいな。歩けるか?」

「大丈夫だよ」

 とフルートは少々無理をして答えると、二本の剣を背中の鞘に戻しました。

 が、とたんにまた目が回ってよろめき、あわてて木にもたれかかりました。


 それを見て、シルヴァは頭を振りました。

「ホントに、強いのか弱いのかわかんないヤツだな……。そら、これなら歩きながらでも食べられるだろう。泉から離れたら、そこでゆっくり食わせてやるよ」

 と地面から果物を二つ三つ拾い上げて放ってきます。

 見慣れない形の果物にフルートがとまどっていると、シルヴァはじれったそうに言いました。

「皮を手でむいて食べるんだよ! ホントに馬鹿か、おまえ!?」

 初めて見るものばかりなのですから、フルートが何もわからないのは当然なのですが、島の少年は容赦がありません。

「そら、出発するぞ。ついてこないと置いてくからな」

 フルートはあわてて後を追いかけ、歩きながら果物と格闘して、なんとか中身を口にすることができました。

 初めて食べた果物は、柔らかくて甘い味がしました。 


 森はますます深くなっていきました。

 大きなやぶに色鮮やかな花が咲き、虫が羽音を立てて群がっています。

 高い梢から蔓草つるくさがロープのように何本も垂れ下がり、猿のような動物がそれを伝って枝から枝へ飛び移っていきます。

 森の中は生き物の気配でいっぱいでした。


 やがて、ただ歩くのも退屈になってきたのか、シルヴァが話し始めました。

「この島は、もともとは森の民のものだったんだ。この島に渦王がやってきて城を建てたのが二十年あまり前。その時から、あんなふうに海の生き物が森の中を歩き回るようになったのさ」

「森の民と渦王は敵対してるの?」

 とフルートは聞き返しました。甘い果物のおかげでだいぶ元気になっていました。

 シルヴァは肩をすくめました。

「渦王に喜んで仕えてる森の民もけっこういる。どうしてだか、俺には理解できないけどな」

「君は渦王が嫌いなんだ」

 とたんに、シルヴァは、かっと怒りを目にひらめかせました。

「あんなヤツ! 何が偉大な海の王だ! ただ何でもかんでも自分の手に入れたいだけのごうつくばりじゃないか!」

 怒ると、シルヴァの青い瞳が燃えるように輝きます。

「あいつはな、西の大海だけでなく、この緑の森も自分のものにしたんだ。海王を倒して東の大海も独占しようとしてる。そして、あいつは――!」

 言いかけてシルヴァは口を一文字に結びました。

 本当に、渦王の話になると、この少年は驚くほどの激しさを見せます。


 フルートは少し考えてから、慎重に聞き返しました。

「何か、渦王にひどい目に遭わされたことがあるの?」

 すると、シルヴァが鋭く振り返りました。

 燃える目でにらむように見据えたまま、ゆっくりと笑い顔になります。

「ひどい目? そうだな。これくらいひどい目もないだろうな……。俺の母さんは渦王に殺されたんだよ」

 よそよそしいほど冷たい声でそう放つと、少年はまるで悪魔のような笑い方をしました。

「俺がなんで危ない真似してまであんたを渦王の城まで案内するか、これでわかっただろう? 俺は渦王を倒したいのさ。あんなヤツを島や海の王にしておくわけにはいかない。金の石の勇者と協力して、ヤツを王座から引きずり下ろしてやろうと思ったんだけど――」


 そこまで言って、シルヴァは急に我に返ったようにフルートを見つめ、苦笑いになりました。

「まさか、勇者がこんな情けないヤツとは思わなかったもんなぁ。当てが外れたかもしれないな」

 フルートは思わずまた赤くなりました。そんなことはないよ! と反論したいところですが、どうも分が悪すぎました。


 すると、シルヴァが急に行く手の茂みを指さして、声の調子を変えました。

「ああ、あそこで休もう。真水まみずが流れる川があるんだ」

 ちょっと前の激しさが嘘のような、軽やかな声です。

 シルヴァは怒るのもあっという間なら、機嫌を直すのもあっという間なので、フルートはなんだか面食らってしまいました。


 川辺で冷たい水をたっぷり飲み、シルヴァが抱えていた果物や木の実を満腹になるまで食べて、ようやくフルートは人心地ひとごこちがつきました。

 水筒にもまた水をいっぱい汲んでおきます。

「よく食ったなぁ」

 シルヴァが呆れたようにそれを見ていました。

 少年はフルートの食べっぷりを見て、途中でまた食べ物を集めてきてくれたのでした。

「まずは食え、さ。そうでないと、いざってときに戦えないからね」

 とフルートは答えて、一人でちょっと笑いました。


 茂みに囲まれた小さな空き地に、緑の光がいっぱいに降りそそいでいました。

 太陽がちょうど真上にさしかかっているのが、木の葉の天井を通して見えます。

 それを見上げながら、シルヴァが言いました。

「渦王の城まであと一時間くらいだ。このままだと、明るいうちに到着するし、そうしたら見張りに見つかるからな。ここで暗くなってくるまで待とう」

 フルートはうなずくと、すぐにその場にごろりと横になりました。「まずは食え、そして寝ろ」という、ゼンたちドワーフの教えに従ったのです。

 川のそばの地面は湿ったこけに厚くおおわれていて、ふわふわの布団の上のようでした。


 あっという間に寝入ってしまったフルートを見て、シルヴァはまた呆れ顔になりました。

「ほんっとに、変なヤツ! 臆病なのか図太ずぶといのか、全然わかんないや!」

 梢の高いところでは、鳥が賑やかにさえずっていました――。

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