第15話 森の子ども

 「森の子ども……?」

 フルートは目の前に立つ少年をつくづくと見ました。

 緑色と茶色の服に身を包んだ長身は、本当に一本の木のように見えます。

 シルヴァと名乗った少年は、ふふん、と鼻で笑いました。

「何も知らないんだな。この島にはな、森の民と海の民が住んでるんだ。俺は森の民の子どもなのさ。しっかし、意外だったな。金の石の勇者がこんなチビの泣き虫だったなんてさ」


 フルートは思わず真っ赤になると、頬に残っていた悔し涙を急いでぬぐいました。

「ど、どうしてぼくのことを知っているのさ?」

 と聞き返すと、シルヴァはまたおかしそうに笑いました。

「この島の連中は一人残らず一匹残らず、あんたのことを知ってるよ。あんなに鳥たちを大騒ぎさせて上陸したんだ。気がつかないわけないだろう。ものすごく強くて勇敢なヤツだって聞いていたんだけどね、結局、うわさなんて当てにならないってことか」

 フルートはまた真っ赤になりました。言い返したかったのですが、自分が泣いて悔しがっていたのは事実なので、何も言えませんでした。


 シルヴァは空を見上げて話し続けました。

「あんたの犬を連れ去ったのはメールの花鳥はなどりだ。ホント、あんなにあっけなくメールの計略に引っかかるんだもんな。馬鹿じゃないのか、あんた?」

 森の少年はかなりの毒舌家です。

 けれども、フルートはもう別のことに気を取られていました。

「メール? それは誰?」

「渦王の一人娘さ。わがままで乱暴者のお姫様だよ」

 ちらっとシルヴァの声に嫌悪の響きが混じりました。

「メールは花使いだ。咲いている花を自分の好きなものに形作って、それを操ることができるんだ。渦王の命令で、あんたの犬をさらっていったのさ」


 フルートは少しの間考えると、真剣な顔と声でまた尋ねました。

「シルヴァ、ぼくの友だちがもうひとり渦王にさらわれてきたはずなんだ。知らないか?」

「あのチビのドワーフのことか?」

 とシルヴァが言ったので、フルートは歓声を上げて飛びつきました。

「いるんだね!? やっぱり生きてたんだ!」

 緑の少年は面くらったように後ずさってフルートの手を振り払いました。

「なんだよ、いきなり……。ああ、ドワーフならハイドラに連れられてこの島に来てる。渦王の城に監禁されてるよ」

「ハイドラ?」

「渦王が使う水蛇のことだよ」

 シルヴァが面倒くさそうに答えます。 


 フルートは唇をかむと、改めて周囲を見回しました。

 草原になった花畑を風が吹き抜けていきます。風が行く先は森の中です。

 フルートは手の中の銀の首輪を見つめて、またシルヴァに尋ねました。

「渦王の城はどっちの方角にある? ぼくはどうしてもみんなを助けに行かなくちゃならないんだ」

「みんなって……海王も助け出すのか?」

 とシルヴァが言ったので、フルートは、はっとしました。

「やっぱり海王もここに一緒につかまっているの!?」

 シルヴァは肩をすくめました。

「どこにいるのか、俺は知らないよ。でも、島中のヤツらがそう噂してる。海王は海底の黒い岩屋に閉じこめられてるんだろうってな。ドワーフの友だちは渦王の城の牢獄の中さ。連行されるのを見たからな」

「ゼン……」

 フルートは鎧の上から金の石を押さえました。どうか無事で、と願います。


 シルヴァは首をひねって、面白そうにフルートをのぞき込みました。

「本気で行くつもりか? 渦王は本当に冷酷で乱暴なんだぞ。おまえみたいなチビなんて、あっという間にひねりつぶされちまうぞ」

 けれども、フルートは何も言わずにリュックサックにポチの首輪をしまうと、剣帯を締め直しました。炎の剣とロングソードが背中で触れあって堅い音をたてます。


 その様子に、シルヴァがまた、ふふんと笑いました。

「格好だけは勇ましいな。わかった、俺が城まで道案内してやるよ。この島のヤツらは、ほとんどが渦王の手下なんだ。見つかったら、あんたも一発でつかまっちまうからな」

「それは助かるけど……大丈夫?」

 とフルートは聞き返しました。絶対に案内人が必要な状況なのに、つい相手の心配をしてしまうのがフルートです。

 とたんに、シルヴァは目の中に鋭いものをひらめかせました。

「俺が渦王なんかにおくれを取るもんか! いいからついてこい!」

 どなると、先に立って、さっさと森に入っていきます。今までのからかうような調子とは、うってかわった激しさです。

 フルートは目を丸くすると、あわてて後を追いかけました。 


 森の中にはまっすぐな幹の木が高くそびえ、こずえから鳥の声がにぎやかに響いていました。

 頭上の木の葉を通った光が森の中に降りそそぎ、あたり一面を緑色に染めています。大きな葉の植物や蔓草がいたるところに生い茂っていて、森の緑をいっそう濃くしています。

 その中を、シルヴァはすいすいと進んでいきました。倒れた木や大きなやぶがあちこちにあるのに、まるで平地を歩いていくように軽やかです。

 ゼンも猟師だったので森の中を歩くのは得意でしたが、このシルヴァという少年の歩き方は、それよりももっと早くて、まるで本物の鹿かなにかのようでした。


 緑色と茶色の少年の姿は、うっかりすると緑の森の中に紛れていきそうで、フルートは後をついていくのに必死になりました。

 いくら追いかけてもシルヴァには追いつけません。

 そのうちに、フルートは息が切れ始め、足がもつれてきました。

 咽が焼けつくように乾きます。

 ちょっと待って、とシルヴァに声をかけようとしたとたん、目眩めまいがフルートを襲いました。

 フルートは倒れそうになって思わずそばの木にしがみつき、そのまま力なく崩れていきました。


 まもなく、シルヴァが後ろに誰もいないのに気がついて、引き返してきました。

 フルートが木の根元にうずくまっていたので、駆け寄ってきます。

「おい、どうしたんだよ!?」

 フルートは返事をしようとしましたが、目眩がひどくて声も出せませんでした。

 少年は眉をひそめました。

「どうした。具合が悪いのか?」

 とたんにフルートのお腹が盛大な音をたてました。空っぽの胃袋が代わりに返事をしたのです。


 少年は目をまん丸にすると、思い切りフルートの背中をたたきました。

「あっきれた! 腹が減って動けないのかよ! 信じらんないヤツだな! あんた、それで本当に勇者なのか!?」

 けれども、フルートはそれに答えることさえできませんでした。空腹でこんなに目が回るなんて、今まで想像したこともありませんでした。

 シルヴァは大きく肩をすくめて立ち上がりました。

「しょうがないな。食べ物を見つけてきてやるよ。ここで待ってろ」

 と言い残すと、あっという間に森の中へ消えていきました。


 ひとりになったフルートは、そろそろと背中からリュックサックを下ろすと、中から水筒を取りだして水を飲みました。

 焼けるような咽の痛みが消えて、体中に水がしみこんでいくような気がします。

 フルートはやっと呼吸が楽になって大きなため息をつきました。空腹もさることながら、咽の渇きもひどかったのです。

 油紙の中にポチの干し肉が少しだけ残っていました。

 それを口に入れてかみ始めると、じんわり塩と肉の味が広がって、何とも言えずおいしく感じられました。

 無理もありません。フルートは前日の朝食もろくに食べないうちに旅立ってから、ここまでほとんどまともに飲み食いしていなかったのです。


 できるだけゆっくり干し肉を食べながら、フルートはゼンのことばを思い出していました。

「まずは食え、だ。敵と戦う前に腹ぺこでぶっ倒れたんじゃ、笑い話にもならないだろう?」

 陽気に言って笑う顔が浮かんできます。

 本当だね、ゼン、とフルートは心でつぶやきました。

 空腹でいては、肝心の時に動けなくなって、何もできなくなります。戦士ならば食べることは基本中の基本と、きもに銘じなくてはならなかったのです。


 干し肉を食べ終わってまた水を飲むと、ようやく目眩は薄らいできました。

 けれども、まだまだ空腹はおさまりません。

 リュックサックの中にもう食べられるものはありませんでした。水筒もからです。

 シルヴァが食べ物を見つけてきてくれるのを期待するしかありませんでした。

 フルートはうずくまったまま、じっとシルヴァを待ち続けました。

 緑の少年はどこまで行ったのか、なかなか戻ってきません。

 そのうちに、フルートはうとうとと軽い眠りに入り始めました――。 


 その時、森に大きな声が響き渡ったので、フルートは、はっと目を覚ましました。

 また悲鳴が上がりました。シルヴァの声です。

 フルートは、がばと跳ね起きて声のした方を見ました。木立の向こうから何かが争う気配が伝わってきます。

「シルヴァ……!」

 フルートは背中のロングソードを引き抜くと、ふらつく足で走り出しました。

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