第8話 水蛇
フルートは砂の上に座り続けていました。
早くここを出発しなくちゃ、と思うのですが、どこへ行けばいいのかわからなくて立ち上がれません。
急がなければゼンやポチが戻ってきてしまうのに……。
ゼンが心配していたとおり、フルートはひとりでここを旅立とうとしていたのでした。
フルートはそっとあたりを見回して耳を澄ましました。
ゼンとポチは姿も見えなければ声も聞こえてきません。怒ってずいぶん遠くへ行ってしまったようです。
「足手まといだ」と言ったときに彼らが見せた表情が浮かんできて、フルートは膝の上に顔を伏せました。自分は彼らを傷つけてしまったのです。
本当は、足手まといだなんて、一度だって考えたことはありません。
いつだって、ゼンもポチも、ポポロも、フルートを助けてくれます。
自分たちが傷ついて死にそうになっても、それでもフルートを助けようとしてくれるのです。
でも、だからこそ、本当にあの悪夢のようになってしまうかもしれない、とフルートは思うのでした。
癒しの金の石も、何もかも間に合わなくて、彼らを死なせてしまうかもしれない。そう思うと、フルートは身震いするほど怖くなります。
あれは確かに夢です。
けれども、現にこうして渦王が自分たちを妨害してきています。
悪夢が現実にならない、という保証はどこにもないのです――。
フルートは目を上げて海を見ました。
行かなくてはなりません。
どんなに腹をたてたとしても、ゼンたちは必ずまた戻ってきます。早くこの場を立ち去らなければ、結局、彼らを巻き込んでしまうのです。
海の中を歩いていこう、とフルートは考えました。
真珠と長老の魔法のおかげで、それは可能です。
どのくらいかかるかわからないし、どれほど歩けばよいかもわからないけれど、自分だけで海王を救い出しに行こう、と決心します。
ところが、フルートが波打ち際に立ったとき、遠くから大声が聞こえてきました。
ゼンとポチの声です。
どきりとなったフルートの耳に、またゼンの悲鳴とポチの声が響きました。
「ワンワン! ゼン、ゼン!!」
ただごとではない声です。
フルートは身をひるがえして声のほうへ走り出しました――。
海中から突然姿を現した大蛇に巻きつかれて、ゼンは身をよじりました。
力ずくで蛇をふりほどこうとします。
けれども、それを上回る力で蛇に締めつけられて、ゼンはまた悲鳴を上げました。ものすごい力です。
「ワン! ゼン!」
ポチが蛇に飛びかかりました。
青く輝く体に牙を立てますが、牙は蛇の体をすり抜け、ポチは海の中に落ちました。口の中に塩辛い海水の味が残ります。
そこへ、フルートが駆けつけてきました。ゼンに絡みついている青い蛇に目を見張り、すぐに背中から剣を抜きます。
ポチがフルートに言いました。
「ワン! こいつは水の蛇です! 体全体が海の水でできているんです!」
フルートはまた驚きました。
確かに青い蛇の体は半ば透きとおっていて、体ごしに向こう側の海が見えています。
けれども、蛇はゼンをしっかりと巻き取ったまま、高々と持ち上げているのです。
とても水とは思えません。
「ゼン!」
フルートは海に駆け込んで、炎の剣で切りつけました。鋭い刃で蛇の青い体を横なぎにします。
とたんに、ジュッと激しい音がして、もうもうと白い蒸気が上がりました。
炎の魔力を持つ剣と蛇の体がふれあって、一気に水が蒸発したのです。
ところが、蛇はびくともしませんでした。
剣に切られたところもすぐにふさがってしまいます。
フルートは唇をかんで、力任せに何度も剣を振り下ろしました。
ポチは風の犬に変身して飛び上がりました。こちらも犬の頭と前足の白い蛇のような姿です。
激しい風の流れになって水の蛇に絡みつくと、風圧で蛇の頭が大きくゆがみました。
風に吹き飛ばされた水が、白い泡になってあたりに飛び散り、ゼンを巻き取った蛇の体が、がくりと大きく下がります。
「ゼン!」
フルートとっさに手を差し伸べました。
ゼンも、懸命に蛇の体を押し返しながら、片腕を伸ばしました。
手と手が、あともう少しで握り合いそうになります。
その時、いきなり蛇の体が崩れました。
ザザーッと音をたてて水そのものの塊に変わると、海の中に落ちていきます。
大きな水柱が上がり、しぶきが飛び散って、ゼンが見えなくなってしまいます。
水柱がおさまり、しぶきも海に帰ったとき、ゼンの姿はどこにもありませんでした。
海の上にも、波の下にも、どこにもゼンが見あたりません。
フルートは、真っ青になってあたりを見回しました。たった今までそこにいたのに……。
ポチも風の犬の姿で海の上を飛び回ってゼンを探し続けました。
けれども、どこまで飛んでも、ゼンは見つかりません。ゼンを連れ去る水蛇の姿も見えませんでした。
「そんな馬鹿な……」
フルートは炎の剣を握ったまま呆然としました。まるで魔法でゼンを奪い取られたようです。
戻ってきたポチがフルートの胸に飛び込み、子犬に戻って頭を押しつけました。
「ワンワン! どうしましょう! ゼンは人魚の涙を吐き出しちゃったんですよ!」
フルートは顔色を変えました。
「なぜ!?」
「ワン! 咳をした拍子に口から真珠が飛び出したんです! 黒い魚が呑み込んで行ってしまいました! どうしましょう、フルート! ゼンが溺れちゃいます……!」
犬は涙を流せませんが、もしもできたなら、ポチは間違いなく泣きべそをかいていました。
フルートは、そんなポチを抱きしめて海を見回し続けました。
青い海原はどこまでも果てしなく続いています。
悪夢が脳裏によみがえってきました。ゼンが敵に打ちのめされ、傷ついて息絶えていきます――。
フルートは唇をぎゅっとかみしめました。
腕の中で震えている子犬を抱き直すと、強い声で言い聞かせます。
「大丈夫、ゼンはこんなことで死んだりしない。絶対に死ぬもんか……!」
それは自分自身にも言い聞かせる声でした。
フルートは海から浜辺に上がると、もう一度海を眺めました。
海はあまりに広すぎて、
フルートはあせって混乱しそうになる頭と心を必死で押さえながら、冷静に考えようとしました。
あの水の蛇はゼンを殺すのが目的ではなかったような気がします。
もし、殺すつもりなら、どこかへ連れ去る必要はないからです。
では、どこへゼンを連れて行ったのでしょう。
どこへ――誰の元へ?
「やっぱり
とフルートはつぶやきました。
西の大海に住むという、乱暴者の王のしわざに違いありません。
フルートたちが海までたどりついたのを知って、仲間を連れ去っていったのです。
だとすれば、ゼンは人質です。
人質は生きていてこそ価値があります。
ゼンは死んでいない。まだ生きている。フルートは改めてそう考えて、少し勇気がわいてきました。
太陽が頭の真上から照りつけていました。
ここに流れ着いたときよりも空の高い位置にあります。正午が近づいているのです。
フルートは太陽の位置から方角をつかむと、西のほうの海を眺めました。
腕の中の子犬に話しかけます。
「渦王は西の大海の島に城を築いている、ってマグロが言っていたよね。それがどこにあるのかはわからないし、ここがどこなのかもわからないけど、とにかく西に向かえば西の大海に出るような気がするんだ。誰かと出会って、渦王の居場所が聞けるかもしれない。ポチ、ぼくを乗せて海の上を飛べるかい? 渦王の島を探して、ゼンを助け出そう」
子犬は頭を上げました。
ついさっきまで、あれほど迷って悩んだ顔をしていたフルートが、今は強い光を瞳に宿して海を見つめています。
ポチは答えました。
「ワン、もちろんです。ゼンが見つかるまで、どこまででも飛んでいきますよ」
フルートはうなずき返しました。
ところが、ポチが風の犬に変身しようとしたとき、彼らの後ろから低い音が聞こえてきました。
何かがざわめくような音です。
振り返ったフルートたちは、ぎょっと立ちすくみました。
いつの間に現れたのか、たくさんの小さな海の生き物が、砂浜の上に集まっていました。赤い
「カニです。でも、こんなにたくさん──」
とポチが絶句しました。
カニは体長は5センチほどの小さな姿ですが、何万匹もの大群で白い砂浜の上を埋め尽くしていました。
数万匹のカニがフルートとポチに向かって赤いハサミをいっせいに振る光景は、どう見ても普通ではありませんでした。
フルートは姿勢を低くして炎の剣を構えました。
この小さな生き物たちも渦王が差し向けた敵かもしれません。襲いかかってきたら、即座に炎の弾で撃退するつもりでした。
すると、カニたちが急に人のことばで話し出しました。
「なぞなぞ、なぞなぞ……なぞなぞ、なぞなぞ……」
カニたちは、確かにそう言っていました。
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