第7話 いさかい
天空の国は、魔法使いたちの住む国でした。
かつては地上にあった都市が、魔法の力で浮かび上がり、世界の空をゆっくり回り続けています。
地上の人々はその国を見ることができません。常に魔法でおおい隠されているからです。
ただ、天空の国のために戦ったフルートたちだけには、魔法の国もベールを脱いで、姿をはっきりと見せてくれていました。
天空の国は決まったルートを回っているわけではありません。いつも思いがけないときに空に現れては、少年たちの頭上を通り過ぎていきます。
それを見るたびに、少年たちは天空の国にいる仲間の少女を思い出し、風の犬に乗って会いに来るのではないかと期待して待ちました。
何故だか、ポポロはこれまで一度も地上に下りてきてくれませんでしたが。
今も、海の上のはるか彼方に天空の国が見えたとたん、少年たちは同じことを期待しました。
ポポロがこちらに向かって飛んでくるのではないかと思ったのです。
けれども、天空の国は海上をゆっくり左から右へ移動しながら、遠ざかっていきました。
「ワン! 行ってしまいます!」
とポチはあわてた声を出し、ゼンは急いで天空の国へ呼びかけようとしました。
ところが、そのとたん、フルートが飛びついてゼンの口をふさいだのです。
「ワン、フルート!?」
ポチはびっくりして、金の鎧の少年を見ました。
フルートの顔は真っ青です。
そうしている間に天空の国は水平線の向こうへ飛んでいって、見えなくなってしまいました。
「何しやがんだよ、いったい!」
ゼンがフルートの手をふりほどいてどなりました。
フルートは首を振りました。
「呼んじゃだめだ。呼ぶんじゃない」
「だから、どうして!?」
フルートの言っていることは、さっぱり意味がわかりません。
すると、フルートは、ぎゅっと眉と目をしかめて、何かをこらえるような表情をしました。
「……ポポロが弱いからだよ」
ゼンとポチは、またぽかんとフルートを見つめてしまいました。
「おい、おまえ──今さら何を言ってるんだよ? そりゃ、ポポロは俺たちと違って弱いさ。女の子だからな。力だってない。でも、あいつの魔力のものすごさは、俺たちが
「でも、一度きりだ!」
とフルートは
「それを使い切ってしまったら、もう彼女には何もできないじゃないか。ぼくたちが守ってあげるしかない。それじゃ、とても戦えないよ!」
ゼンたちはまた
「ワン、フルート。ぼくがいますよ。ぼくがポポロを守ります」
とポチが言いました。心配そうな目をしています。
ゼンもうなずきました。
「俺たちはみんな互いに助け合ったじゃないか。俺たちだって、ポポロに守られたぞ。だから、魔王が倒せたんじゃないか。本当にどうしたんだ? 絶対におかしいぞ」
フルートは、また目をそらしました。その顔つきは、痛みをこらえる人にそっくりでした。
「もう、心配するのが嫌なだけだよ。こっちの身がもたない。ポポロだけじゃない。君たちもだ。今だって、君たちが溺れ死んだんじゃないかと思ったら――」
少年は一瞬ことばに詰まりました。そむけた横顔の中で、唇が震えています。
フルートは大きく息を吸い込むと、吐き出すように言いました。
「こんなに気持ちをかき乱されるのは、もうたくさんなんだよ! ひとりのほうが、よっぽど気が楽さ!」
ゼンは目を見張りました。顔つきがみるみる険しくなっていきます。
「……つまり、俺たちは足手まといだ、って言いたいのか?」
ゼンがいきなりフルートの鎧の胸ぐらをつかみました。
ゼンは怪力のドワーフです。フルートの小柄な体が軽く宙に浮きます。
「もう一度言ってみろ! その足手まといな俺たちに数え切れないほど助けられたのは誰だ!? 俺たちがいなかったら、おまえはどの敵だって倒せなかったじゃないか! それともなんだ! 本当は自分ひとりで全部やっつけられたとでも言うのか!?」
すると、フルートがゼンをにらみ返しました。
「ぼくには魔法の金の石がある。石が守ってくれたさ」
ゼンは絶句しました。ポチも驚いてフルートを見上げています。
ゼンはつかんだときと同じように、いきなりフルートを砂浜に放り出しました。
「勝手にしろ! 自分一人で立派に戦えるって言うんなら、やってみせろ! 見事やりとげたら、拍手
どなるだけどなると、怒りに肩を震わせてその場を離れていきます。
フルートはそっぽを向いていました。唇が
ポチは、二人の少年を見比べて迷ったあげく、浜辺を歩いていくゼンを追いかけていきました。
砂浜の途中に黒い岩が大きく突き出た場所がありました。
波に削られて丸くなった岩には、あちこちにフジツボや貝殻がへばりついています。満潮のときには、そこまで海が押し寄せてくるのです。
岩陰まで歩いてきたゼンは、くるりと向きを変えると、岩に
人間なら手を痛めそうな勢いでしたが、ドワーフのゼンはびくともしません。逆に岩にひびが入りました。
「あの馬鹿っ!」
ゼンがわめきながら、また岩を殴りつけました。岩が大きく砕けて、大小のかけらが飛び散ります。
それを避けながら、ポチが話しかけました。
「ワン、フルートは気にしているんですよ。悪夢で見るみたいに、ぼくたちが敵に殺されてしまうんじゃないかって。だから、わざとぼくたちをついてこさせまいとしてるんです」
「そんなこと、わかってる!」
とゼンはどなると、また力まかせに岩を殴りました。
岩の角が粉々になって崩れ落ちます。
ゼンはしばらく肩で荒い息をついてから、ようやくまた口を開きました。
「あいつが考えそうなことくらい、俺にだってわかってる。あいつは俺たちを心配してあんなことを言ってるんだ。泉を出発するとき、本気で俺を置いていこうとしやがったからな」
「ぼくがマグロさんにしがみつけないって言ったときにも、フルートはぼくに『残れ』って言おうとしてました……。それがわかったから、ぼく、さっさとリュックサックに入っちゃったんだけど」
「ったく、あの大馬鹿野郎!!」
とゼンはまたわめきました。
「俺たちがいなくて何ができると思ってやがるんだ! あいつはいつだって人のことばかり考えて、自分を守ることを忘れてるんだ! あんな危なっかしい戦い方するヤツが生き残れるもんか! いくら金の石や魔法の鎧でも守りきれないぞ! なのに……!」
ゼンが歯ぎしりします。
すると、ポチが悲しそうに言いました。
「ワン、ゼンは、フルートが夢を見ているところを知らないから……。ものすごくうなされるんですよ。寝言を聞いていると何を夢に見ているかわかるんだけど、ポポロだけじゃなく、ゼンが死んでしまうことも、ぼくが死んでしまうこともあるみたいで──いつだって、ぼくたちの名前を泣きながら呼ぶんです。あれを聞いていると、ぼく……」
ポチは口ごもりました。しょんぼりうなだれながら、ことばを続けます。
「ワン、ぼくたちを心配するのがつらいっていうのも、本音じゃないかなって思うんですよ。ぼくたちはフルートが何て言ってもついていっちゃうけど、フルートにはそれが本当に負担になってるのかもしれないんです」
ゼンはじろりとポチをにらみました。
「こら。おまえまであいつのペースに巻き込まれてどうする? 俺たちがあいつから離れてみろ。真っ先に、あいつがあの世に行っちまうぞ。ったく、なにが金の石の勇者だ! あいつくらい危なっかしいヤツ、いないじゃないか! なのにこっちの気も知らないで……!」
ゼンは大きなため息をつくと、腕組みして空を眺めました。
よく晴れ渡った青空です。もうどこにも天空の国は見えません。
「ポポロのことだってそうだ。確かにあいつは本当に弱いさ。魔法だって一回こっきりしか使えない。だけど、あいつだって勇者の仲間のつもりでいるんだ。フルートが呼ばないせいで、どんなにあいつが悲しむか、考えたことあるのかよ」
クーン、とポチが鼻を鳴らしました。ことばでは何も言えなかったのです。
目の前の砂浜では波が寄せては返していました。
少年たちがこんなに言い争っても、波の音と海鳴りは、少しも変わることなく延々と続いています。
砂浜に小さな鳥が舞い下りて、二、三歩つつつと歩いてから、またすぐに飛び立っていきました。
それを見るともなく見ていたゼンが、突然はっとした顔になりました。
「くそっ、そういうことか……!」
と頭をかきむしり、驚いているポチに言います。
「戻るぞ! 俺たちがいない間に、あの馬鹿が旅立っちまうかもしれない! あいつ、そのためにわざと俺を怒らせたんだ!」
ポチは目をぱちくりさせて、すぐに納得しました。
仲間たちを危険な目に遭わせないために、仲間を遠ざけて自分ひとりで出発する。確かにフルートが考えそうなことでした。
ところが、ゼンが岩陰から出ようとして、急に咳きこみ始めました。
むせたわけでもないのに激しい咳が止まらなくなって、前かがみになります。咽に何かが引っかかったのです。
「ゼン?」
ポチが驚いて振り向いたとき、下を向いたゼンの口から、ぽーんと何かが飛び出しました。小さな青い粒――人魚の涙です。
彼らが、あっと思ったときには、魔法の真珠は波の中に飛び込んでいました。
「やばい!」
ゼンはあわてて波打ち際に駆け寄りました。
「ちきしょう。だから、薬を飲むのは苦手だって言ったんだよ……!」
ぶつぶつ言いながら目をこらすと、幸いなことに、青い真珠はすぐに見つかりました。波にもまれて白い砂の上を行きつ戻りつしています。
ところが、ゼンが拾い上げようとしたとき、一匹の黒い魚が泳いできて、砂の上の真珠を呑み込みました。そのまま身をひるがえして、沖へ泳いでいってしまいます。
「あっ、こいつ!」
ゼンはあわてて魚の後を追いました。
ポチも一緒になって水の中を走りました。長老の魔法のおかげで、陸上と同じように走れます。じきにポチが魚に追いつきそうになります。
その時です。
ゼンの目の前で、海の水がぐぐっと盛り上がったかと思うと、海中から一匹の大蛇が姿を現しました。
青く輝く体は大木のように太く、高々と持ち上げられた
鎌の先で銀の目がドワーフの少年と子犬を見下ろしています。
「なんだこいつ!?」
「ワン! ゼン、危ない!!」
ふたりが同時に叫んだ瞬間、蛇が動きました。目にもとまらぬ早さでゼンに飛びつくと、太い体にゼンを巻き取ってしまいます。
「うわぁっ!!」
「ワンワン! ゼン、ゼン!!」
ゼンとポチはまた同時に声を上げました――。
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