第2章 謎の海

第6話 砂浜

 フルートは白い砂の上に倒れていました。

 波が音をたてて押し寄せては引いていきます。

 時折大きな波が打ち寄せると、海水は少年の金のよろいの下まで流れてきて、ひたひたとあたり一面をぬらしました。

 かぶとをつけた少年の顔が水をかぶりましたが、それでも少年は目を覚ましません。


 すると、フルートの背中のリュックサックが動き出しました。ゆるんだ口から子犬が頭を出して、あたりをきょろきょろ眺めます。

 そこは長い砂浜でした。弓なりに伸びた砂の海岸に、波が白い泡を立てながら打ち寄せています。

 砂浜の奥は見たこともない木が生えている森。頭上には青空が広がっていて、太陽が照りつけてきます。真冬とは思えない強い日差しです。

 波が戻っていく先は、見渡す限りの青い海原でした。


 ポチは苦労してリュックサックの中から抜け出すと、フルートの頭のほうに駆け寄りました。

「ワンワン! フルート、しっかりしてください!」

 それでも少年は動きませんでしたが、ポチが必死で顔をなめると、ようやく目を開けました。

「ポチ……無事だったんだね」

 自分のほうが長く気を失っていたのに、フルートは開口一番、そんなことを言いました。

 子犬は少年に頭を押しつけました。

「ワン、ぼくはなんともないですよ。フルートこそ大丈夫ですか?」

「うん、怪我もしてないよ……。あ、ゼンは!?」

 フルートは顔色を変えて跳ね起きました。近くに親友の姿が見あたりません。

「ゼン! ゼーン……!」

 フルートが必死で呼んでいると、ポチがワン! と吠えました。

「いました! あそこです!」

 あまり遠くない波打ちぎわの浅瀬に、青い胸当てをつけた小柄な少年が倒れていました。体の上を波がしぶきを立てて通り過ぎています。


 フルートとポチはゼンに駆け寄りました。

「ゼン! ゼン、大丈夫!?」

「ワンワン。ゼン、しっかり!」

 声をかけると、ドワーフの少年もすぐに目を覚ましました。

「お、フルート、ポチ。助かったんだな、俺たち」

 フルートは一瞬、泣き笑いのような顔をしました。

「うん。長老の魔法で守られてたみたいだよ。それと、人魚の涙にも」

「だな。あんなにすごい流れだったのに、全然溺れなかったもんな。おっと、弓矢も剣もちゃんとある。よかった」

 ゼンは大切な武器がちゃんと身についているのを確認して、ほっとした顔になりました。

 フルートも荷物はひとつも失っていませんでした。

 確かに、泉の長老の水の魔法は可能な限り少年たちを守ってくれたようです。


 彼らは立ち上がって、改めて周りを見回しました。

 目の前に一面の海原が広がっていました。フルートやゼンにとっては、生まれて初めて見る海です。

 海は青いと聞いていましたが、実際に見る海は、単純な青一色ではありませんでした。

 岸に近いところは白っぽい青、そこからだんだん鮮やかな青に移り変わって、沖に行くに従って緑がかった深い青に変わり、はるか彼方の水平線で、また色合いの違う青空と接しています。

 海面には無数の波が揺れていて、日の光を返して、きらきらと銀色に輝いています。

 水平線の近くに、すーっと白い筋が見え始めたと思うと、どんどんこちらへ近づき、しまいには泡立つ波になって打ち寄せてきました。

 波は、戻っても戻っても、何度でもまた押し寄せてきます。

 それは、海が誕生した太古から、一瞬も休むことなく繰り返されてきた海の営みでした。

 絶え間ない海鳴りと波の音が耳を打ち、風が強烈なしおの香りを運んできます。


「すげえな……」

 とゼンがつぶやきました。

 フルートも声もなく海を見つめ続けます。

 見渡す限りの荒野も一面の深い森も、今までに何度も目にしてきましたが、海はそれよりはるかに大きく力強く感じられました。


 すると、ポチが言いました。

「ワン、ところで、ここってどこなんでしょうね? マグロさんは近くにいないのかしら?」

 波の音がうるさいので、自然と声が大きくなります。

 フルートは黙って首を振りました。

 マグロはトンネルの中で分岐点から別の通路に押し流されていきました。自分たちの近くにいるとは思えませんでした。

 道案内を失ってしまった少年たちは、途方に暮れて立ちつくしました。

 これからどうしていいのか、さっぱり思いつきません。ここが東の大海かどうかさえ、彼らにはわからないのです。


 すると、ゼンがフルートの腕を引っ張りました。

「来いよ。飯にしようぜ」

「え?」

 フルートが驚くと、ゼンは大真面目で言いました。

「腹が減ってると、いい知恵も浮かばないんだ。まずは食え、だぞ。ちょっと腹ごしらえしてから、これからのことを考えようぜ」

 ドワーフは、どんなときにも食べることを忘れません。

 食欲など全然わかないフルートを引きずって、もっと陸のほうへ上がっていくと、適当な場所に座って背中の荷袋を下ろしました。

 荷袋が海水でぐっしょり濡れていたので、ゼンは顔をしかめました。

「ちぇ、やっぱり中まで水が入ったか。荷物にも魔法が効くのかと思ったんだけどな」

「ワン、ぼくたち、みんな濡れてますよ」

 とポチがぶるぶるっと体を振って、体に貼り付いた毛から水気を飛ばしました。

 泉の長老の魔法のおかげで、水中にいてもあまり水の感触がしなかったのですが、それでも子どもたちは全員しっかり濡れていたのです。


 ゼンが荷袋をかき回して、濡れたパンや食料を取り出し、一口かじっては次々砂の上に放り出していきました。

「ダメだ、ふやけて塩辛くてとても食えない。まともなのはこれだけだな」

 と油紙の中から大きな薫製くんせい肉のかたまりを取り出します。自分がしとめたいのししを自分で薫製にしたものでした。ナイフで大きく切り取って、フルートとポチに差し出します。

「食えよ。食えるうちに食っておかないと、次の食料を見つけるまで何も口にできなくなるぞ」

 ゼンは猟師です。見慣れない海や森で食料を調達ちょうたつするのが難しいことは、すぐに予想がついたのでした。

 言われたとおり、フルートとポチは薫製肉を食べ始めました。

 ゼンも真ん中に水が入った水筒を置くと、大口を開けて肉にかぶりつきました。

 が、急ぎすぎたのか、咽に引っかかりそうになって、あわてて水筒に手を伸ばしました。

 しばらくは誰も何も言いませんでした。浜辺にはただ波の音が聞こえるばかりです。


 やがて、フルートは食べる手を止めて、ぼんやりと考えこみ始めました。黙って足下の砂を見つめています。

 一切目を食べ終わったポチが、新しい肉をゼンに切ってもらいながら言いました。

「ワン、本当にこれからどうしましょうね? ここで待っていたら、マグロさんが探しに来て、見つけてくれるでしょうか?」

「見つけに来てほしいよな。どこに行きゃいいのかわからないってのが、一番困るぜ」

 とゼンはぼやきました。

「森に入って行くのは簡単だが、そうすると、海から遠くなって、マグロが俺たちを見つけにくくなる。かといって、海がこんなに広いんじゃ、当てずっぽうに探し回ったって、とてもマグロに出会えないだろうからなぁ」


 ゼンは話しながらフルートに探るような視線を向けました。

「なあ、天空の国に助けを求めるべきだと思うぞ。俺たちだけじゃどうしようもない。ポポロを呼ぼうぜ」

 フルートはぎくりとしたようにゼンを見ました。たちまち、ためらう顔になります。

「それは……」

 と言いかけて目を伏せると、また黙りこんでしまいます。それきり、もう口を開こうとしません。


 とうとう、ゼンの堪忍袋の緒が切れました。

「いい加減にしろよ、フルート! いったい何を気にしてやがる!? ポポロは俺たちの仲間だぞ! 俺たちは全員そろって勇者の一行なんだ! なのに、どうしてポポロを呼んでやらないんだよ!?」

 ゼンの大声に、フルートはさらに目をそらして、低い声で言いました。

「だって、ポポロは一日に一回しか魔法が使えないんだよ」

「それがどうした!? その一回だけの魔法に、俺たちはさんざん助けられたじゃないか! 天空の国で魔王を倒せたのだって、あいつがいたおかげだぞ! そんなことくらい、おまえだって充分わかっているじゃないか!」

 けれども、フルートは頑固に目をそらし続けていました。明らかに態度が変です。

 ゼンは、かっとなって、さらにフルートを問いつめようとしました。


 すると、ポチが海に向かって急に吠えだしました。

「ワンワンワン! フルート、ゼン! 天空の国です! 天空の国が見えますよ!」

 少年たちはびっくりして海に目を向けました。

 水平線の上の空に、遠く岩の塊が浮いていました。

 岩の上には森や町の影が見えます。中央にそびえる山の頂上には城がそびえています。白くきらきらと光っているのは、きっと町の尖塔の屋根です。

 フルートは立ち上がると、真っ青な顔でその場にすくんでしまいました──。


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