第4話

「あのカップルの男の子。私の元カレなの」

 私の言葉に、彼は驚いた表情を見せたが、すぐに「なるほど、それで」と小さくつぶやいた。

 私自身、カレがあの場にカノジョを連れてくるだなんて思ってもいなかった。私の知る限り、カレは甘いものが好きなわけじゃなかったのに。

 大方カノジョが甘いものが好きでそんなカノジョの気を引くためにやってきたんだろう。

 自分と別れてすぐに別の男と一緒に恋人がたくさんいるような場所にやってきた私をカレはどう思うだろうか。

 私をあんな理由で振ったカレもカレだといえばそれまでかもしれない。だけど、私は怖かったんだ。家族も、友人も、みんな私から離れていった。最後に残ったのがカレだった。そんなカレすらも離れていってしまうことが。

 缶コーヒーを持つ両手が震える。夏の昼間、まだ暑いに決まっているのに、どうしてだか寒気がする。

 彼はそんな私の隣に黙って座っている。

 下手に声をかけてこないのは、彼なりの優しさなんだろう。

 私はそんな彼を私のせいでいつまでもここにとどめておくことが申し訳なくなって、残ったコーヒーを一気に口に流し込む。

 微糖にも拘わらず、甘さは感じず、ただただ苦い。

 すべて飲み干した私は、そのままベンチから立ち上がって彼の方を見る。

「今日はありがとう。楽しかったよ。ごめんね、こんな話に時間をとらせちゃって」

 彼は「そんなこと」と何かを言おうとするが、私はその言葉を待たずに後ろを向く。

「じゃあ、またね!」

「ちょ!」

 呼び止める彼の声を無視して、私は公園からかけ出る。

 何がまたねなんだろうか。明日なんてないのに。また会う日なんてもうないのに。

 逃げるようにして、住んでいる駅前のマンションのエレベーターに乗り込む。

 一階、一階とエレベーターが上に上る。

 チーン

 甲高い音を立ててエレベーターは私が指定した階に留まってドアが開く。

 私は自分の家の玄関を開ける。

「ただいま」

 そういっても帰ってくる声はない。

 以前まで私が帰ってくると必ず聞こえてきた「おかえり」という言葉をもう聞くことはできない。

 靴を脱ぎ、入ってすぐのリビングに置かれているソファに手提げかばんを放り投げ、私はそのままソファに座り込む。

 以前まで、ここにはよくお父さんが座ってスポーツの中継を見ていた。幼いころは一緒になって盛り上がっていたけど、いつしか私は自分の見たい番組があるのに絶対にテレビのリモコンを譲ろうとしないお父さんをうっとうしく思っていた。

 缶コーヒーを飲んだというのに走ったらのどが渇いた。

 私は水を飲みにキッチンに向かった。

 コップをとり、蛇口から水を注ぎこむ。

 ここにはよく、お母さんが料理をしていた。毎日、毎日料理をするお母さんに、昔はいつものようにおいしいと言っていた。だけど、大きくなるにつれて食卓で家族と話す機会は減っていった。

 当たり前だったから、気づかなかった。

 当たり前だったから、大切にしなかった。

 テレビなんて録画すればいつでも見られるし、料理だって一言いえばいい。なのに、それをしなかった。

 そのあとカレが来た。カレは優しく、常に私を支えてくれていた。だけど、そんなカレももういない。

 ふと、さっきまで一緒だった彼のことが思い出される。

 ああそうか。私はただ、彼をカレと重ねていただけなのかもしれない。

 彼で私の寂しさを埋めようとしていただけなのかもしれない。

 そんな彼は私が突き放してしまった。

 みんな、みんな私から離れていってしまった。

 私は一人になってしまった。

 でも大丈夫。あと少しで世界は終わるから。

 大丈夫。私はもうすぐ死ぬんだから。

 大丈夫。それまでの辛抱だから。

 自分にそう呼びかける。

 だけど、このまま一人寂しく死んでいくことを考えると、いいようもないほどの恐怖が私にまとわりついてくる。

 怖い怖い怖いこわいこわいこわい

 寂しい寂しい寂しい寂しいさびしいさびしいさびしい

 振るえる身体を落ち着けようとソファで身体を丸める。

 ピンポーン

 チャイムが鳴る音がする。

 当然郵便なんか頼んでいない。

 誰だろうかと思い、ゆらゆらと身体を起こしてインターホンの映像を見る。

 そこに移っていた人物の姿に、思わず息をのむ。

 そこにはさっき別れたはずの彼の姿が映っていた。

 いったいどうして。

 震える手で、通話のボタンを押す

「あっ、あn」

 しかし、私が何かを言うよりも早く、彼が口を開く。

「ここがもし違う人の家だったらすみません。今すぐ通話を切ってもらって大丈夫です。そうしたら僕もこの場からすぐに立ち去ります。もしもあっているとしても、いやなら通話を切ってくれて構わない。正直自分でもやっていることが相当気持ち悪いことだということくらいわかっているから。それでも、一体何があったのか教えてほしい。それまで明るかったのに急に暗くなった君を放っておけない!」

 彼の言う通り、このまま通話を切ったってかまわない。むしろ、この状況は切るべきだろうと思う。

 それでも、今は誰かに一緒にいてほしくて、私は玄関の扉を開けた。

 

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