第四話 ネズ湖に集う者たち
「お前が、ウィステリア女王の名代というわけか……」
「……解りやすいだろう?」
「ああ、お前は女王にしか懐かない犬だ」
「女王陛下の忠実な
艦橋から半身を現した、艦長帽を目深に被った初老の髭の男は、小舟の俺達を見下ろすようにして、海軍特務中佐と物騒な挨拶を交わした。
中佐は振り返り、艦長を紹介する。
「彼が待ち合わせの相手。自由に生きる海の男、ジム船長と彼の王国である潜水艦『ノースチラス号』だ」
俺たちの驚きが薄い事に、ちょっとがっかりしたように肩を竦める。
申し訳ない。俺たちの時代では色々と有名な船なんだ。
縄梯子が降ろされ、ドレス姿のレディたちのいる手前、中佐が先に登ってゆく。続いて俺が、船酔いで目を回しているのを背負って上がる。
しっかりしがみつくと、温かな体温と柔らかな身体の丸みがはっきりと伝わってくるが、そんなのは今更だろう? もう全部見られてるんだから、諦めろ。
青い顔が赤くなって、妙な顔色になってるぞ?
それから女性陣が登って来て、逆の順番で艦内に降りる。
「ここまで乗ってきた船はどうするんですか?」
「あとで、海軍が回収に来るだろう。気にすることはない」
乗り捨てかよ……。佐官ともなると、剛毅なことで。
潜水艦とは思えぬ豪華な内装は、さすがに俺たちの目を奪った。案内されたサロンにはパイプオルガンが備えられ、壁には数々の絵画や、タペストリーが飾られている。
展示物だけで、どれだけの財産になるのか想像もつきやしない。
まさしく、あの潜水艦だ。
ソファに座った俺は、まず気になることを尋ねる。
「中佐、俺たちはあなたを何と呼べば良いのでしょう?」
「その男に、名を尋ねるだけ無駄だ。そいつにはコードナンバーと仮名しか無い」
ジム船長が鼻で笑う。
意に介することもなく、中佐は出されたワインの香りを楽しんでいる。
ニヤリと笑って、答えた。
「名前が無いと困るなら、こう呼んでくれて構わない。ロンド……ジェームズ・ロンド」
思わずワインを吹き出しそうになり、噎せている俺達を不思議そうに見る。
時代が違うと言いたいが、女王陛下の
そしてその名は、代々受け継がれていたとしても、何の不思議はない。
これでこそ、大栄帝国オールスターだ。
「さて……話を聞かせてもらおうか。誇り高き帝国女王が、借りを作ることを承知で、このノースチラス号を頼らざるを得なくなった事態とは……何が起こったのだ?」
説明はロンド中佐に任せて、足りない部分を俺たちが補足する。
中佐には、魚人……『深きもの』たちの背景が伝わっておらず、俺たちは既に帝国海軍が動いており、ネズ湖を包囲しつつあることを初めて知った。
「噂に聞く『ダゴン教団』というやつか……そこまで大規模だとは」
火の着いていないパイプを揺らして、ジム船長が眉を顰める。
そんな知識があることに驚いてしまう。
船長は得意げに胸を張った。
「その男が人の世界の魑魅魍魎を相手取ってきたように、俺たちは海の中の様々な脅威を相手取ってきた。到底信じられないようなものとも、対峙しているのだよ。……『ダゴン教団』なるものが実在するというのなら、叩かねばなるまい」
「ご協力、恐れ入る」
「力を貸すのではない。許せぬ者を叩くだけだ」
「ノースチラス号には、ネズ川から海に逃げるものの掃討と、初撃をお願いしたい」
「ふん……目的は、対地魚雷か」
「海軍戦艦で艦砲射撃を行うより、殲滅力が高いという判断です」
「よかろう、費用は帝国に請求させてもらうが」
「それは覚悟の上。……できましたら、なるべくお安く願いたい」
「取り逃がすよりは良かろう。全弾撃ち尽くすくらいの出費は覚悟しておけ」
中佐は天を仰いだ。
対地魚雷の言葉にピンとこないが、ミサイルのようなものであるらしい。
たしかに、砲弾よりも効果が高そうだ。
艦長は大佐に、肩掛けバッグのようなものを渡す。
「これは?」
「無線通信機というものだ。電信と違って、直接話ができる。奴らの集まっているポイントを正確に伝えてくれ」
「色々便利なものをお持ちで……」
「電力確保の都合上、3分弱しか通話できん。無駄話は謹めよ」
「それは残念……」
軽い揺れを合図に、艦長に促される。もう着いたというのか。
艦橋から身を乗り出すと、寒風に体が震えた。
凍えながら、漁船に偽装した海軍の小舟に乗り込む。船内の木炭ストーブが有り難い。
「では、我が艦はフォートジョルジュの沖で連絡を待っている。タイミングはそちらに任せる」
「協力を感謝します」
敬礼に見送られて、ほんのひと時乗り込むことの出来た潜水艦ノースチラス号が進水してゆく。なるほど、最速の手段だ。まだ一時間も経っていない。
海面に消えてゆく艦影を見送ったロンド中佐は、改めて俺たちに向き直った。
「さて、いよいよ最終局面だ。……君たちはどうする? このままこの船で待機することもできるが?」
「最後まで、見届けさせてください。個人的に許せない相手がいるのです」
俺だけではない、エリーゼも、ルシータも、舞衣も頷く。
その為に、ここまで来たのだ。
ベアトリス・アルバータがこの場にいることを確かめて、全ての決着を見届けずにいられるわけがない。
「中佐。……現地からの連絡によると、ネズ湖中央部の畔、アーカルト城周辺に動きがあるということです」
ロンド中佐の開く周辺地図を、一緒に覗き込む。
イメージしていたのと違って、ネズ湖というのは、川幅が急に広がったような形の細長い湖だ。両端が細くなっており、ネズ川となる。
ネズ湖を過ぎればすぐにインザネスの街に入り、海に向けて口を開いている。
長さ38キロの細長い湖では、全体の監視も難しかろう。
霧も相まって、ネッシーくんの捜索に苦労するわけだ。
アーカルト城は、北東から南西に長いネズ湖の真ん中あたりにある。湖を臨む古城の廃墟は、邪神召喚の儀式の場として相応しいとも言えよう。
「歴史的遺物が、失われてしまうことは悲しいが……恨むべきは奴らと割り切ろう」
「万が一にも邪神召喚などされてしまえば、バッキングアム宮殿さえ、歴史の遺物になってしまいます」
「ああ、わかっている。……個人的な感傷だ」
ネランの港で船を降り、あとは馬車で現地に急ぐ。
馬は早足で駆けてくれるが、ノースチラス号の速さを実感してしまう。次第に太陽は傾き、ネズ湖湖畔を臨む頃には、すっかり西陽が消えようとしていた。
針葉樹の林に紛れるように馬車を停めて、様子を窺う。
無人のはずの廃墟の城には、小さな篝火が燃えていた。
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