第三話 動乱のディンドン

「良かった……お婆ちゃんは名探偵の所に匿われていて、無事だって」


 パイロ夫人の安否を電報で確かめ、舞衣は顔を綻ばせる。

 朗報を知れば、もうホテルに留まる理由はない。ユーストロン行き最終電車の一等客室の切符を買い、凍えるような夜のリラプールを離れた。

 結局、日帰りか……。

 キャラクターを車内で就寝させ、ログアウトした。


「いきなり虐殺かよ!」


『トレジャーワールド・オンライン』攻略サイトには、怨嗟の声が飛び交っている。

 突然の魚人の襲撃には、納得しない声が多いのは当然だろう。

 直接運営に抗議のメールを送った者も少なくないが、返された言葉は、木で鼻を括ったような文言らしい。曰く


『攻略掲示板に、攻略情報が掲載されてから24時間以上経っていますよ? その間、あなたは何をしていたのですか?』


 運営を擁護する訳では無いが、俺も同じことを言いたい。

 ヨハンがすっぱ抜いた文言は、かなり切羽詰まった状況を訴えていたはずだ。

 それに応えて、どう動くのかを俺達は期待していたのに……。


『生き残っているプレイヤーは、ゲーム時間の明朝、スロットランドヤードに集まれ』


 最後の希望を託して、そのメッセージをアップする。

 最悪、俺達しか生き残っていない可能性だって有るのだ。

 コンビニ弁当を掻き込んで、明日に備えて眠る。……うっかり、舞衣の呆れ顔が浮かんでしまった。改めてシャワーを浴びてからにしよう。

 キャラには影響がないと知りつつも、やっぱり……なんとなく。



      ☆★☆



 到着したユーストロン駅は、何時になくごった返していた。

 ディンドンを離れようとする家族連れが多い。

 間違いなく、魚人たちの襲撃の影響だろう。くれぐれも、ネズ湖方面には行かないで欲しいと願いたい。あちらよりはまだ、ディンドンの方が安全だろう。

 改札を出た俺達を、ダストレード警部が待ち受けていた。


「署まで、ご同道願いたい」


 馬車に乗せてもらえるなら助かる。

 このデカいトランク2つの重さから、開放されるのは有り難い。

 そして、昨夜何があったのか? 新聞で確かめるより、直接スロットランド・ヤードの人間に確認する方が正確だろう。


 襲撃は、昨夜の10時頃。深い霧と闇に紛れて、行われたらしい。

 まだ眠るには早いどころか、ネットゲーマーにとっては、ゴールデンタイムとも言える時間だ。運営のフェアさには、涙が出てくるよ。

 不思議なほど、正確にプレイヤーたちの居場所を確信して、集団で襲ってきたのだと言う。根っこは運営の指示なのだから、プレイヤーの足取りは掴めるはず。

 襲撃はディンドン限定で、俺たち同様に、街を離れていたものは襲撃を免れたらしい。

 同様に、俺達が居なかった事もあって、パイロ夫人の下宿は襲撃されなかったのだと言う。念の為、名探偵が保護したらしい。

 パブなどにも現れたそうだから、衝撃はアリスの霊の比ではなかったろう。

 殺害方法は、棍棒などを使っての撲殺。VRゲームは感覚があるから、殺られたプレイヤーはトラウマものだろうな。

 同時多発の件数が多過ぎて、警察も手に負えなかったのだという。

 無線も、パトカーも、電話すら無い時代だ。連絡手段が、あまりにも遅すぎる。

 被害者リストの中に大河の名も有って、愕然とした。

 アリスの霊、倉庫の死体でビビっちまった代償に、一人だけ恐怖のフルコースだな……。


「俺たちの他に、生き延びたプレーヤーはいるのですか?」

「ほんの6人ほど、エディンバラに移動して難を逃れたグループから連絡があったそうだ。ただ、ディンドンに戻る気は無く、他の土地に身を隠すそうだよ」


 つまりは一緒に戦う気は無く、俺たちに賽を預けると言うことか……。

 それなりに、稼いでいる連中だろう。

 何かを持ち込んだ連中か? それも生き方だ。ズルイとは思わないが……がっかりだ。


「まさかの、孤立無援って言うわけね……」


 ルシータが呆れて呟く。

 状況は、俺たちの考えている以上に、絶望的だ。

 魚人たちは、一晩で何人のプレイヤーを襲ったんだ?

 一人一殺ではないにしても、数千という数が動いたと思える。

 それを相手に、俺たち、たったの4人で……どう挑めと言うんだ。

 ましてや、男は俺だけ。後は、音大生と女子高校生らしいのと……あと一人、何者だか知らんけど、女の細腕しか頼れない。

 ……これで、どうしろと?


 ウェストウィンスター橋近くのスロットランドヤードも、蜂の巣をつついたような騒ぎだ。放送局こそまだ無い時代だが、異常な事件後だけに、各新聞社の記者が詰めかけている。

 カメラが一般的でないだけに、ストロボを浴びせられることはない。だが、その分メモを持った記者たちの圧が強い。

 警官たちに守られるように庁舎に入ると、パイロ夫人が待っていた。

 飛びついた舞衣と抱き合って喜んでいる。無事で良かったよ。……これ以上、見知った人が不幸になるのを見たくはない。


「良かった……君たちは無事でいてくれたみたいだね」


 簡素な会議室で、待っていた名探偵と邂逅を果たす。

 握手を交わす手の力強さに、少しだけ心が浮上した。

 俺達は、孤立無援などではない。ルシータも、エリーゼも、舞衣も頷いてくれる。

 エドワードも、パイロ夫人も、名探偵も……この街を愛している者たちが、俺たちにこうして手を差し伸べてくれているのだから。

 そして、また一人。


「君たちは、無事だったのだな。良かった……」


 エドワードからの電報を受けて、ブルックラディー氏も駆けつけてくれた。

 この場にいる全員に知っていて欲しい。

 俺たちの抱えている、すべての情報をぶちまける。

『クトゥルフ神話』についてはぼかしつつ、魚人……深きものたちについて説明してゆく。

 知られたくなかったことだろうけど、エドワードの故郷であるインチガワーの民のこと。そして、アメリカから来たであろう魚人たちのリーダー種、ベアトリス・アルバータ。

 彼らの目的であり、最後に集まろうとしているネズ湖。


「昨夜の事件がなければ、馬鹿げた妄想と笑い飛ばしていた所だが……。アメリアの連邦警察にも確認を取った方が良さそうだ」

「ドイルの方にもお願いします。ベアトリスは、ディンドンに来る前にベルリーの大学にいたはずです」


 ルシータの補足に、ダストレード警部は頷いて指示をする。

 もう誰も魚人たちの存在を疑いはしない。

 現実の脅威として、対策が進められてゆく。


「残念ながら、もう一介の探偵の及ぶ範囲ではないね。僕は、パイロ夫人たちの警護に回ろう」

「おい、ホークス……」

「だが、それが現実的な判断だよ、ハドソン君。この先、必要になるのは頭脳ではなく、力だ。それを僕は持ち合わせていない」


 苦い笑顔で、名探偵が手札を伏せた。

 彼の言う通り、ここから先は魚人たちを一網打尽にして目的を達成させない組織力と、抑止力という名の暴力が必要となる。


「ここまで、ありがとうございました。ミスター・ホークス」

「力及ばずで申し訳ない。また、お困りのことが有れば、何時でも訪ねてくれたまえ」

「警察の及ぶ範囲でもなかろう……軍に出動を要請する必要がある」


 ダストレード警部までもが腕組みをして、肩を落とてしまう。

 不安顔のエリーゼが、縋るように訴える。


「今から、軍に手配して間に合うのでしょうか? 多くの時間は残されていないと思いますし、軍を動かすとなれば手続きだって時間がかかるのでしょう?」

「しかしだな……我々の力の及ぶ範囲は、このディンドン周辺くらいしか無い。警察組織というのは、まだこれからの存在なのだ」

「では、直接女王陛下に訴えよう。これは大栄帝国の危機だ」


 ブルックラディー氏の言葉に、誰もがギョッとして振り向いた。

 最も確かな方法だが、そんな伝手があるというのか……。


「もちろん、直接訴えるすべなどは持っていない。だが、それをできる人物と知己を得ている。……忘れたかね、君たちのお陰だ」

「……あの時の正餐会の?」

「君たちの考え出したモノポリーの結んだ縁だ。それに縋るべき時だろう?」


 手早く手紙を書いて、ブルックラディー氏は馬車へ向かった。

 訪問の知らせは、非常の折で電報での知らせでお許しをいただくつもりでいるらしい。

 何とか、女王陛下へ届いて欲しい……。

 ネズ湖へ向かうつもりの、俺たちの切符を手配してもらう。

 そこまで済ませしてまえば、あとはもう祈ることしかできなかった。


 俺たちの請願が届いたと知れたのは、一時間半ほどして、だ。


 ブルックラディー氏が戻るより前に、女王陛下の使者がスロットランドヤードに現れたのだから。

 舞踏会でも控えているかのようなタキシード姿の紳士が、俺達を迎えに来た。

 海軍特務中佐であると言う。


「急ぐのだろう? 最速の船を準備してある」


 疑っている余地はない。

 魚の臭いがしないと言うだけで充分だ。

 記者たちを押し分けながら、ウェストウィンスター橋の脇から、小型の蒸気船に飛び乗り、紳士は自ら舵輪を握った。


「この船で行くのですか?」

「まさか……海に出ないことには、合流できないだろう?」


 周りの迷惑も考えず、豪快に飛沫を上げながら、紳士は飛ばす飛ばす。

 急いでいると言った手前、止めるわけにはいかない。とはいえ、舞衣が青い顔をして、ヒロインにあるまじき状況になりつつ有る。

 黒煙を上げて迫る大型の海洋蒸気船の間を縫うように、ホームズ川を右に左にと小型船を振り回すのは、やりすぎじゃないのか?

 取り締まるべき警察も、非常時と黙認しているのだから、始末が悪い。

 まるでレースゲームのように対抗船を躱しながら、ようやく公海上へ出た。

 舞衣が酷いことになってるから、そっちには目を向けないようにしよう。


「これはお嬢さん……失礼をしてしまったようだ」


 うがい用の水と、着付けのワインをグラスで渡している。

 アイスペールまで持ち込むあたり、気障にも程が有るだろう。

 懐中時計を確かめて、水平線を見回す。


「そろそろ、待ち合わせの時間なのだが……」


 俺達も周囲を見回すが、船影など無い。

 この男、そのものに疑いを持ってしまう。

 本当に、味方なのかと?


 だが、待ち合わせ相手はやって来た。

 海面を揺らし、黒い艦橋が波間に突き出される。まさかの潜水艦!

 この時代に潜水艦なんて……。

 その黒い艦橋部に、誇らしげに描かれた金文字の『N』の紋章を見た時、俺は胸を鷲掴みにされた気がした。

 見てみろよ、ヨハン! やっぱり、お前も死んでる場合じゃなかったろうに……。

 この時代にたった1隻だけ、潜水艦が存在するじゃないか!

 ジュール・ベルヌの描き出した夢。

 この世界では、何と呼ばれているのかは知らない。

 ネモ船長の指揮する潜水艦『ノーチラス号』が、その勇姿を現そうとしていた。

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