第二話 エドワードの翳(かげ)
採光を考えられた見上げるほどに高い天井。
汽車の上にレールに沿って並べられた、逆U字の板で拡散された蒸気がホームにまで流れてきて、軽く咳き込んだ。
女子3人分の最低限の荷物らしい、大きなトランク2つを両手に持って、俺達はリラプール・エクスチェンジ駅のホームに降りた。
「……で、どこの町に行けば良いんだ?」
「エドワードは、爵位こそ無いけど地方領主の御子息よ。ファミリーネームがそのまま地名に決まってるわ」
当たり前の顔でエリーゼは言うけど、アイツのファミリー・ネーム……姓って聞いたことがなかったような?
俺たち全員の表情に気づいたのか、エリーゼは優しく微笑んだ。
「プレイヤーが姓を持たないから、彼はなるべく、ファミリー・ネームを名乗らないように気を使ってたものね。……インチガワー。エドワード・インチガワーが彼の名前よ」
大汗掻きながら、ホテルの部屋を取る。
エリーゼと、ルシータで一室。俺と舞衣は兄妹ということにして一室。一人ぶんむくれてるが、どうせ夜はログアウトするんだから、問題ないだろう?
「何で、あ、アオイくんは手ぶらなの?」
「どうせ、一泊くらいだろう? 護身用の杖と銃が有れば良い」
露骨に顔を顰めて、3歩離れる舞衣だ。
……朝には全部着替えてきてるから、まだ臭わないはずだけどなぁ。
ロビーに再集合する間に、一応こちらの地方紙の新聞を買っておく。何かあるといけないから、後で目を通しておかないと。
駅前で、四人乗りのグロウラーというタイプの辻馬車を確保した。
皺の深い御者がハンチングを取って、会釈する。
「で、旦那。どちらに参ります?」
「インチガワー領へ行きたいのだが、解るか?」
「インチガワー領……ですかい? どんなご用事で?」
いかにも、気乗りしない様子の御者に尋ねる。
こちらはまだ、どんな場所かも知らないのだ。
「気が乗らなそうだな?」
「あそこの連中とは、あまり交流が有りませんし……したいとも思いませんぜ」
「古い所領なのだろう? なにか理由が有るのか?」
「あいつらは……その……臭ぇんですよ」
思わず顔を見合わせてしまう。
舞衣が俺を睨むが、それはちょっと理由が違うと思うぞ?
「それは、魚臭さのことか?」
「ご存知でしたか。まあ、あそこに行こうってんだから、当然か……。どこまでご存知か知りませんが、向こうで露骨に嫌な顔をしたり、驚かれたりされると面倒なので、先に忠告させていただきますけどね……」
御者は軽く鞭をいれ、馬車を動かしてから言った。
「あそこの連中は、顔を見ただけで解るんでさぁ。目が離れていて見開かれ、鼻が低くて、額と顎は妙に後ろに下がっていて、唇が厚くてデカい口。肌もくすんでいて、表情が無いから、気味悪いったらありゃしねえ。……私らは『インチガワー顔』なんて言ってますわ」
ヨハン殺しの犯人、ダンカン・テイラーを思い出してしまう。
アイツが、インチガワー出身だとしても、驚かない。
「それに、2本足で歩けないのか、四つ足で歩いたり、カエル見てえに飛び跳ねたり……そんなのがウヨウヨいるんだ。あまり近づきたくもないんですよ。……で、インチガワーのどこに行きます?」
「領主の館につけてくれ」
御者が悲鳴を上げるので、多めに金を握らせる。
俺達の帰りまで、待っていてもらわなればならない。
きちんと連れ帰れば、酒出をはずんでやる約束をしておく。
巨大な外国船の黒煙が行き交うリラプールの港を左に、ゆっくりと馬車は北上していく。
音楽好きなら、居ても立っても居られない街なのだろうが、今はそれどころではない。
「エドワードは、どんな気持ちでディンドンで暮らしていたんだろう……」
一番付き合いの長いエリーゼが、ぽつんと呟く。
辻馬車の御者でさえ吐き捨てる、忌まわしい街の領主の家に生まれ、異様な街人の姿に、自分の未来を重ねながら……。
白いハンカチを握りしめる指先に、ギュッと力が籠もった。
重い空気を揺らすように、御者が素っ頓狂な声を上げた。
「ありゃあ……おかしいなあ?
「どうした? 何かあったのか?」
「いえね……もうインチガワーに入ってるってぇのに、街の奴らが誰も見えないんですよ? いつも、ふらふらしているはずなのに……」
言われて、馬車の窓越しに外を見る。
一見長閑な田舎町なのだが、どの家も窓を閉ざしたまま、洗濯物すら干されていない。
橋を越えて、漁港にさしかかっても、漁船は港に繋がれたまま、帆も畳まれたまま。
動くものは、飛び交うカモメと欠伸をする猫だけだ。
日陰に雪の残る静寂の表通りを、ただ蹄の音だけが通り過ぎる。
「旦那……着きやしたぜ」
「薄気味悪いのは解るが、ここで待っていてもらえないか。この様子では、帰りの足が見つかりそうにない」
「なるべく早くお願いしますよ」
決して小さな館ではない。
かつての栄華を思わせる館のノッカーを叩く。
反応はないかと思われたが、少し間を開けて薄く扉は開かれた。
「エドワード……か?」
「……やっぱり、追って来てくれたんだね」
魚臭いドアの奥へと、俺達は招かれた。
灯りは一切点けていない。薄暗い廊下を行くエドワードの背中が、どこか掠れたように見えた。
居間に招かれる。
カーテンを開き、振り向いたエドワードに俺達は言葉を失った。
「エドワード……なんだよな?」
「君たちには見られたくなかったよ……こんな僕を……」
虚ろに自嘲するエドワードの顔は、大きく面変りしていた。
眼球が溢れ出さんばかりに目は見開かれ、唇は分厚く横に広がっている。潰れた鼻を低く鳴らして、拳を握った。
「いつかはこうなる事は解っていた……。でも、今じゃなかったはずだった」
「やはり、ベアトリスか……」
「綺麗なレディだったからね……相談に乗れると聞いて、有頂天だったよ。甘い言葉を囁かれて……口づけをして……緩んだドレスから露わになった首筋にエラを見た時には、もう逆らえなくなっていた。……あんな素敵なレディとベッドをともにすることを夢見ない男なんているかい? モテない男が愚かな夢を見た結果が、これさ」
「そんなっ。あなたは素敵な人よ、エドワード」
「ありがとう、エリーゼ。……ヨハンがいなかったら、君に恋したのに」
有り得ない日を眺めるように、エドワードは遠い目をした。
その襟元には、俺達の贈ったネクタイが締められている。
「教えてくれ、エドワード……なぜ、この地は無人なんだ?」
「恐らくベアトリスの胎の中に、僕の子がいる。だから、インチガワーの民は彼女の指揮下になったんだ。そのために僕に近づいたんだから」
「ヤツは、どこに人を集めた?」
「ディンドンさ……まず、計画の邪魔をしそうなプレイヤーたちを抹殺するつもりだろう」
「だから、逆に君はディンドンを離れたのか……」
エリーゼは、ハッとしてエドワードを見た。
ぎこちない、深い微笑は全てを肯定する。
「君たちを失いたくない。……あの女に一矢報いることができるのは、君たちだけだ」
「でも、なぜあなたは、ベアトリスの指揮に入らずに済んでいるの?」
「まだ、完全に変わっていないからさ。……でも、もうじきダメになりそうだ。だから、君たちで、何としてでもあの女を止めてくれ!」
「任せろ。お前の無念は、きっと晴らしてやる。……それで、あの女はどこに邪神を降臨しようとしているんだ?」
「さすがだね。もうそこまで掴んでいるんだ。……解るだろう? 儀式には数日かかる。巨大な邪神の影が現れても不思議でない場所だ。この大栄帝国で唯一の……」
「…………ネズ湖か」
「君たち個人で行っても、恐らくは太刀打ちできない。できれば軍を動かして、奴らを一人も逃さず始末しないと」
「待って。その中に、あなたもいるのでしょう?」
「もちろんさ。僕はもう、アチラ側になるのだから。……でも、もし僕が正気を保てていたら、君らの力になるよ」
エドワードは立ち上がり、俺達に背を向けた。
ネクタイを解き、暖炉の上に置いて居間を出て行く。
最後に一言だけ、懐かしむように言った。
「もう一度、みんなとモノポリーで遊びたかったよ。……今度こそ、ヨハンに勝ってやりたかったのに」
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