第三章 プレイヤーたち
第一話 リラプールへ
(まさか……)
俺達は信じられない面持ちで、エドワードの抜け殻のような部屋を突っ切る。
そして、縋るような思いでベッドの掛け布団を捲った。
むあっと広がる魚臭さに、言葉を失う。
「どうして……何でエドワードの布団から、こんな匂いがする!」
マットレスを殴りつけ、俺は吠えた。
あいつも、魚臭い連中の仲間だというのか?
生真面目で、シャイで……俺達のモノポリー販売による成功に、決して少なくない助力をしてくれたアイツが……。
「待ってよ……エドワードから魚の臭いがしたことなんて、無かったでしょ?」
「でも、エリーゼ……実際にこうして……」
「お婆ちゃんに聞いてきた。……魚っぽい嫌な臭いがし始めたのは、今回熱を出してからだって……」
「本当か、舞衣?」
「うん。……お婆ちゃんが嘘を言う理由がないもん!」
パイロ夫人に懐いている舞衣が、眉を逆立てる。
それが真実だとしたら、なぜ?
「それこそ、詳しそうなヨハンの霊でも呼び出して、話を聞いた方が良いかも知れないわね。……吸血鬼伝承みたいに、魚人も感染して移るのかも知れないわ」
ルシータの目線が、名探偵を指す。
俺達に警告してくれたのは、ヨハンだ。彼の話を聞くべきだが、NPCたる名探偵のいる前では、滅多な話はできない。
もし魚人が感染するのであれば、ベアトリスの口づけは、エドワードにとって悪魔のキッスに等しかったのではないか?
全ての疑いは、ベアトリス・アルバータと、その背後にいるアルバータ商会を指している。
沈思していた、名探偵は決断する。
「君たちは、エドワード氏を追うのかね?」
「追いかけます。何があったか確かめなければならないし、助けられるものなら、助けてやりたい」
「よろしい。明日の朝9時36分発のユーストロン発の急行列車が、リラプールへ最も早く到着できる。私はディンドンに残って、アルバータ商会のことや、犯人の遺体についての情報を集めよう。……だが、くれぐれも無理をせず、気を付けて」
「あなたも……ミスター・ホークス」
名探偵と別れ、俺は駅に切符を買いに走った。
女性陣は旅支度が大変そうだから。ディンドンに置いて行くことも考えたが、今は分散しない方が良いのかも知れない。
大河に目をやれば、すっかりビビって顔を横に降った。
☆★☆
「下準備として、『クトゥルフ神話』と『深きもの』について、ネットで調べて来たかい?」
現代日本のチャットルームで、ヨハンが口を開いた。
キャラクター本体は、リラプール行きの急行列車の一等客席でのんびりと旅路を辿っているはずだ。
リラプールに行って、エドワードに逢うには、俺達には知識が足りない。
「調べてみたけど……B級のSF映画みたいで、ちょっとね……」
「このホラー神話体系を作り出したハワード・フィリップ・ラブクラフトという作家の誕生年が1890年だから。クラッシックなホラーであると同時に、象徴的な年号設定だろう?」
「そう言われちまうと、な……」
「ラブクラフトの作り出した世界を共有し、補完するように多くの作家が今でも、このホラー神話を綴っている。日本の作家も少なくない」
「相変わらず、変なことに詳しいのね、与田くんは」
「僕も小説の方は、あまり詳しくないんだ。知っているのはテーブルトークRPGの『クトゥルフ神話』だよ。……おなじみの剣と魔法の世界と同じように、この神話世界を背景にしたゲームさ」
「そのゲームは、邪神を退治するのが目的なの?」
「まさか……邪神が呼び出されたら、それこそ人類は破滅だ。使徒とも言うべき、人に紛れた連中の儀式を阻止したり、怪しげな遺物を確保したりだよ。キャラクターは正気を失いながら、知識や、壁登りなどの技能を鍛えて、事件に当たる」
「魔法を覚えたり、必殺技を覚えたりはしないんだ?」
「君らも、そんなものを身につけてはいないだろう?」
ヨハンの答えは単純明快だ。
ことごとく、俺達の現状に当てはまる。
もう確信しているのだろう。この世界が『クトゥルフ神話』に則ったものであると。
『幽霊少女のアリス』『魚人の特徴を持った犯人の死体』俺の周囲にいるものは、名探偵を含めて、この世に在らざるものを目の当たりにして、常識を修正する必要に迫られているのだから。
「ネットの知識だと、『深きもの』? ……あの魚人たちは伝染して魚人化するのとは違うみたいだけど……」
「うん……あまり言いたくはないことだけど、エドワードはリラプール近くの地方領主の息子だ。彼には、元から『深きもの』の血が流れていたのかもしれない」
「そんな……」
「だからこそ、彼は法律を学び……一族の人権を守る術を得ようとしたのかもしれないな。おそらくは血が薄くて、魚人化の遅い一族なのだろう」
「それなのに、どうして急に……」
「そのベアトリスという女が原因だ。魚人化を加速させる何か……だからこその発熱と、体調不良だろう。その女のドレスの下の首筋に、魚のようなエラがあっても、僕は驚かないよ」
「言われてみれば、あの女の出身はアメリアのマサリューセッツ州エルセクス群。現実の地名に合わせれば、アメリカのマサチューセッツ州エセックス郡……」
「そう、多分インスマスの出身だよ、その女は」
──『インスマスの影』
ラブクラフトの著作で、初めて魚人……『深きもの』が描かれた小説の舞台だ。
インスマスの女と、リラプール近くの漁港で栄える地方領主の息子。
すべてが繋がっていく……。
「じゃあ、奴らの目的はやっぱり……」
「思い込みは禁物だけど、邪神クトゥルフの降臨だろうな。経済どころか、この世界が崩壊してしまえば、それまでに稼いだ金なんて、何の意味もなくなるから」
「それを阻止できれば……俺達の勝ちか」
「恐らくは……。それ以上の手札が出てきたら、お手上げだ。ここまでに、何の気配も感じさせないのだから、不正と声を上げられる」
「ここが、正念場か……」
「腹を括ってかかれよ、みんな。僕の分まで生き延びて、運営にあっと言わせてやれ!」
理不尽な殺され方をしたためか、ヨハンにしては力が入っている。
うまくクリアできたら、こいつの留学資金くらいは出してやらなきゃな。
「リアリティ番組の方では、やっとヨハンの事件が放送されたわね。それも、犯人自殺というだけの放送」
「ヨハンの予想が正しければ、ゲームの肝の部分に迫ってる。詳細は、報じられないだろう」
「じゃあ、他のプレイヤーの手は借りられないのかな?」
甘いとは言われても、舞衣っぽい発想だ。
だが、鍛え方が違っていそうだった、大河のビビリようを見るとな……。
だが、ヨハンは違うことを考えたようだ。
「リアルマネーが絡んでいるから、気軽に手を借りるのは難しいだろうね。でも、無理矢理同じ方向を向かせる事はできる」
「どうする気だよ?」
「攻略サイトにぶちまけるのさ。『クトゥルフ神話』のこと、『深きもの』のこと、これまでの経緯。奴らの目的」
「そんな事をしたら、パニックになるわよ?」
「だろうね。……でも、逃げる奴、戦う奴。君たちと同じ方向を向くプレイヤーがはっきりする。手を組む相手が、はっきりと見えるだろう?」
大胆過ぎるヨハンの提案に、俺達も言葉を無くした。
だが、それを拒む理由は何も無い。……ここが正念場だ。
チャットを離れて、再びログインした俺達はリバプール駅に降り立った。
先に文章を用意していたのだろう。
攻略サイトへのぶち撒けた投稿に、大河から正気を確かめるメッセージが届いた。
答えてやる義理はない。
もう賽は投げられたのだ。
運営がどう出るのかは知らないが、俺達はゲームを最終局面に持ち込んだ。
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