第十一話 学生街再び

「この半年で変わった、ホームズ川周辺の会社なんかはこんなものかしら」

「意外に少ない感じよね?」

「潰れるか、買収しないと変わらないから……あの辺りは」


 新聞等から拾い上げたメモを広げて、みんなで額を寄せ集める。

 ドック関係では2社。店舗は3つ。

 ドックの2社は、共にアメリアの会社が買収したものだ。その内一つは『アルバータ商会』というから、多分ベアトリス嬢の実家だろう。

 もう一つは大英帝国から、アメリアへの重機輸入の会社『エズラ社』となっている。

 可能性としては、水産業のアルバータ商会の方が魚臭いかな。

 店舗は、古道具屋に古着屋。どれも魚臭くはなさそう。


「扱っているものが魚臭いとは、限らないの……かしら?」

「それほど、解りやすくはないのかもね」


 舞衣とエリーゼが嘆く。

 まあ、幽霊の証言だからなぁ……霊的に魚臭いのかもしれない。

 鮮魚倉庫が魚の霊で充満していたら、それは嫌な光景だろう。……冗談だけど。

 リアルヴィクトリア朝ロンドンと違って、こっちのディンドンは水質も悪くはないので、公害に恨みを持って死んでいった魚は少ないはずだ。

 ……化けて出る魚も、少なかろう。


 とはいえ、あれ以上……アリスとは話せない。

 情報を貰う前に、俺の方があっちの世界に行っちまう。

 少しづつ、糸を手繰り寄せている気がするんだが……まだ細過ぎる。


 ドアを閉じる音がして、パイロ夫人がエドワードの部屋から出てきた。

 あの日、ベアトリス嬢を送ってから戻ったあと、熱を出して寝込んでるんだよ。俺たちは、恋愛熱とか、キス熱とか笑っている。

 病弱な方では無かったから、パイロ夫人は心配しているけどね。


「まだ、エドワードは食欲が無いの?」

「そうみたいね……ミルク粥にも、ほとんど手をつけていないのよ……」


 舞衣と二人、心配している者同士の会話だ。

 お姉さんチームは、発熱で追求を逃れたエドワードを追求したくて、仕方のない様子。寝込んでいる枕元で、質問攻めにしないだけのデリカシーは有るようで、安心する。

 俺も気になるから、早く回復して欲しい。


「私たちの追求から逃れるために、わざと寝込んでたり?」

「本当に苦しそうなのだから、疑っては駄目よ」


 冷めきったミルク粥を処分しながら、パイロ夫人が唇を歪めた。

 スプーンの先すら、汚れていない。溜め息も吐きたくなるだろう。


「この先は、どうする?」


 う~ん……。決め手に欠けるから、情報集めを続けるしか無いか。

 女性陣は図書館での資料集めから、市場などでの噂集めに切り替えた方が良いかも。


「あ、アオイくんは今日も、ドックの方のパブ回り?」

「続けるしか無いと思ってる。酔っ払いばかりで、あまり成果は望めないが」

「それなら、私と学生街に行かない?」


 突然のルシータの提案を、思わず訝しがってしまう。

 エドワードが熱を出しているから、ベアトリス嬢の方から聞き出そうって腹じゃないのか?


「あははっ……その手も有るわね。ベアトリス嬢に、エドワードが寝込んでいることを教えてあげたいし、あなたの他にも、アリスちゃんに興味を持った学生がいるかも知れないでしょう?」

「なるほど。山崎辺りは話の種に、何か調べている可能性もあるな」


 何しろ、幽霊探しに同行したものの、酔い潰れて何も見ていないのだ。

 話題の中心にいながら、それは悔しかろう。

 行ってみる価値はありそうだ。

 大河が来た場合の伝言をパイロ夫人に頼むのと併せて、瓦工場の大河に電報を打っておく。この時代、これが最速の通信手段だ。

 学生街で、山崎を目当てに探してくれれば、合流はできるだろう。

 帽子とコートとマフ……左右から両手を入れる、手袋代わりのフカフカの筒を装備してきたルシータと連れ立って、学生街へと出かけた。

 相変わらず霧は深く、今にも雪が降り出しそうに寒い。もうじき、クリスマスシーズンになる。そろそろ雪が積もり始めてもおかしくない。寒……っ。


 山崎を見つけるのは、それほど難しくはなかった。

 2、3軒話を聞けば、だいたい居所は知れた。カウンターで欠伸をしている猫を撫でながら、もうすっかり出来上がってやがる。


「おいおい……ビールにジンなんてぶち込んで、美味いのかよ?」

「美味いわけが無かろう。だが、安く酔える。そうそうブランデーなど買ってられんぞ」


 ちらちら、催促する目にうんざりだ。

 留学が終わる頃には、立派なアル中になってるんじゃないか?

 軽くラガービールで唇を湿らせたルシータは、山崎から猫を奪って撫で始める。……蚤を移されても知らねえぞ?


「今日は、ベアトリス嬢は一緒じゃないのか?」

「残念ながら、彼女は酒精の道を共に歩んではくれん。今日は講義にも出ていなかったと、学生たちも残念がっていたぞ」


 あらら……彼女も風邪でも引いたのかな?

 仲の宜しいことで。

 ついでに、エドワードが寝込んでいることも伝えておく。噂の噂で、ベアトリス嬢の耳に届けば、上出来だ。


「生身のお嬢さんはともかく、幽霊のお嬢さんの方はどうなのだ? 色々話を聞かれるのだが、私は会っておらんのでな」

「幽霊になんて、出会わない方が身の為だ。この世にまだ、未練が有る内は……」

「さもありなん。たった一夜で、お主はえらく消耗していたからなあ」

「その後、アリスちゃんについて、何か解ったかい?」

「記録を照合しただけだな……。幼な過ぎて、肖像画も残っていないそうだ」


 盛大に酒精を吐き出して、山崎が目を瞑る。

 黙祷でもしているのだろう。この酔っぱらいにしては、殊勝なことだ。

 新たな事は、解っていないみたいだな。

 学生たちも噂の内は面白がっていたが、実際に出るとなれば話が別だ。確かめに行くような馬鹿もいないらしい。さすが、ジェントリー階級。


 山崎は意外に顔が広いようで、挨拶に来る連中と話せば情報収集は容易い。

 尤も、何の手がかりも無いわけだが。

 ベアトリス嬢不在なら、ルシータは目立つ。

 話しかける学生たちの相手をするのも面倒くさそうに、ひたすら猫を愛でている。

 なるほど……猫は、この為のアイテムか。

 日暮れ前に、大河も合流してきた。酒飲むだけで、日当を払うのも違うような気がするが、まあ仕方がないか。

 これ以上は、居ても無駄かなと思った時に、いきなりは、来た。


「な、何だ……?」


 ゾワッと、全身が総毛立つ。

 店の灯りという灯りが、全てかき消された。


「落ち着いてくれ……すぐに灯をとも……ヒィッ!」


 客を落ち着かせようとした店主が悲鳴を上げて、へたり込む。

 ねっとりとパブに満ちた闇の中、そこだけぼんやりと蒼く掠れて見えた。

 くるくるとした巻き毛を2つに束ねた少女が、その掠れた光の中で微笑む。紺碧の濁ったガラスの瞳を向けて、ゆっくりと歩いて……。


「あなた……ね? 探していたの……」


 アリス・ヘーゼルバーン伯爵令嬢……。UCD(ユニバーシティ・カレッジ・オブ・ディンドン)の少女霊が、どうしてこんなパブに……?

 毛を逆立てて唸った猫も、その瞳に凍りついたように動かなくなる。

 すべての音すら包みこんでしまった闇が、じわりと俺の前に立った。

 心臓は早鐘を打つのに、血の温もりさえ奪われてしまった。身体が冷たい。懸命に酸素を求める肺も、送り込まれる冷気に凍えてしまう。

 強張った俺の頬に、長手袋の指先が触れた。

 触れた指先に、そこから体温を奪われてゆく。


「私を……ホームズ川に返して……あの嫌なものを追い払って……」

「い……嫌なものって……どこにいるんだ……」

「ホームズ川中に……いるじゃない……わからないの……?」

「すまん……主にどの辺りにいるっていうんだ?」


 濁った瞳が、蔑むように見た。

 期待に添えない使用人に呆れた、高貴な令嬢の仕草で。

 少女が気持ちを乱すと、とたんに冷気が増した。歯の根が合わない。ガチガチと、情けないほどに震えが止まらない。


「わからない……の? 大きな船が…………いっぱい……とまっている……倉庫に……暗くなると……集まっている……でしょう……?」

「ドックか……どの倉庫にいるんだ?」

「魚臭い……の……わからないの?」

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