第十話 報告と恋と調査

「幽霊などというものを、まともに相手にする必要が有るのかな?」


 名探偵はヴァイオリンを撫でながら、そっけなく言った。

 まあ、そう言うだろうと思った。

 理詰めで物を考えるのが、俺の知ってる名探偵だ。

 だが、その眉を開いて俺を見る。


「しかし、僕らにとっては眉唾ものでも、君たちプレイヤーにとっては信用できる証言なのだろう。……身元も確かなようだ」


 バイカー街221B。

 男子なら誰もが一度は憧れるであろう居間のソファで、俺は名探偵と向き合っている。

 ヨハン、お前死んでる場合じゃないぞ?


「ホームズ川の畔を、魚臭くするモノ……。あまり論理的ではないが、現状はそれが唯一の手がかりだ。調べてみるべきだろう」

「だが、ホームズ。……真面目に幽霊を相手にするのかい?」

「確かな証言に、人も幽霊も違いはないさ。それに、ヨハン氏は呪い殺されたのではなく、刺殺されたのだよ。ハドソン君。……確実なのは、追いかける先にいるのが幽霊などではなく、生きている人間ということさ」

「……名探偵シャムロック・ホークスの出番というわけだ」

「そういうことだ。……ミスター・アオイ、何か解った事があれば、すぐに知らせて欲しい。……今度は、生きた人間の証言であってくれると助かるよ」


 前回はヨハンの、今回はアリスの……どっちも死者の証言だもんな。

 申し訳ないと詫びつつ、夢見心地で事務所を後にした。

 薄霧の町並みを10分も歩けば下宿に戻れてしまう。

 湿り気を帯びたコートを脱ぐと、何やら女子が騒がしい。……何かあった?


「実はね……今、エドワードの部屋に、凄い美人が来てるのよ」

「アオイくんは前に逢ってるでしょ。ベアトリス・アルバータ嬢よ」


 エリーゼの情報を、ルシータが補足してくれる。

 ああ、あのアメリアからの留学生か。

 前に山崎白州と、一緒に紹介されたな。

 まだ、エドワードが微笑ましい感じだったけど、そこまで仲が進んだのかよ。


「残念ながら、あまり色っぽい雰囲気にはなってないかな? 少なくとも、二人きりで話すくらいには、脈が有るみたいだけど……」


 ルシータ姐さんの見立てなら、そんな感じなんだろう。

 何となく、百戦錬磨なイメージが有るし。

 リラプール出身の法律家の卵と、この時代に娘を留学させるようなアメリアの富豪の娘。取り合わせに無理があるっぽいが、貴族じゃあるまいし。……恋愛に家柄の話は、野暮の極みだろう。


「……あら?」


 ドアが開き、ベアトリス嬢の横顔が覗く。

 面識の有る俺とルシータを見て、笑みを作り目礼した。


「ご無沙汰しております。……ハクシュウが、アオイと幽霊見物に行ったそうですが、逢えまして?」

「逢えたけど……もう懲り懲りだ。この世のもので無い者と話すと、生命力が持っていかてしまう気がするよ」

「そうですか……。とても疲れた顔をしていたと聴きましたので、心配していたのです……」

「ありがとう、もう大丈夫」


 少し間を置いて、エドワードも降りてきた。

 女性陣の意味ありげな視線を集中されて、慌てている。


「違う違う……ベアトリス嬢の父上の会社が、ロンドンに支社を出すというので、手続きに必要な書類の相談に乗っていただけだよっ」


 この時代だと、アメリカから遥か船旅だからなぁ。

 俺たちの時代と違って、足りない書類を取りに戻るにも一苦労だ。……確か、片道6日から10日はかかるはず。書類に不備があれば、それだけで半月遅れ確定か。

 エドワードの慌てぶりが楽しいから、ちょっとからかってやろう。


「おい、エドワード。唇に紅がついてるぞ?」

「えっ……まさか」


 慌てて、手袋をした手の甲で唇を拭う。……おいっ。

 女性陣がとたんに色めきだったのは、言うまでもない。

 頬を染めたベアトリス嬢は、小走りに玄関に逃げてしまう。慌てた後を追ったエドワードが、言い訳するように女性陣を遮断した。


「ぼ、僕は彼女を送って行かないといけないから……!」


 バタンと音を立てて、玄関のドアが閉められた。

 みんなで一瞬、顔を見合わせて大笑いする。


「エドワードも、隅に置けないわね……」

「奥手そうに見えるのに」

「びっくりしちゃいました!」


 すまん、許せエドワード。

 からかうつもりが、やぶ蛇だったらしいな。

 その方面に色めく女性陣の追求から、何とか逃れてくれ。


        ☆★☆


「楽しそうにやってるなあ……」


 そんな馬鹿話を聞いて、大河が呆れた。

 日常話をする必要もないとはいえ、他に話題が無いんだよ。

 何の因果か男二人、黄昏のホームズ川沿いをディンドンブリッジに向けて歩いている。

 霧の具合も良く、隣が女の子なら言うことは何も無い。

 これから行く先が貧民街の方面では、残念ながら、女子を伴うわけには行かないから。


 昼間に一度ドック……ホームズ川の巨大な船着き場に行ってみたものの、周りが忙しすぎて話を訊くことも出来やしない。

 出直しで、仕事帰りに一杯のパブで聞き込みをするつもりだ。

 大西洋に開かれた港がリラプールなら、ディンドンのドックはヨーロッパ貿易の玄関口。

 明るい内には、もうもうと黒煙を上げた蒸気船が次々と押し寄せていた慌ただしさは、陽が落ちるまでの事。弱いガス灯にこの霧では、事故の元だろう。

 人気の無いドックの影と、中央の人工湖のゆらめきを眺めながら、ドアを潜るべきジンハウスを探す。

 見つからないのではない。多過ぎるのだ。


「さて、どこに入れば良いものか……」

「任せる、俺はボディガードで付いているだけだから」


 その通りなんだが、割り切られ過ぎるとちょっと寂しい。

 どこまで仲間に引き込むかを、ちょっと考えちまう。

 賑やかそうな店を選んで、ドアを潜った。

 カウンターで大河の分と、グラス二杯分のジンを買う。日本でいうワンカップ清酒のサイズに、波々と注がれたストレートのジンが一杯五十円。アルコール度数もチューハイ缶の比ではない。アル中一直線に決まっている。

 カウンター周りだけがガスの灯りに照らされた、薄暗い店は案の定、馬鹿笑いと呂律の回っていない大声に満たされている。据えた臭いに顔を顰めながら、俺達はカウンター付近の壁に凭れた。


「この雰囲気は、何処も変わらないな……」


 馴染んだ顔で、大河が呟く。

 ああ、体育会系の大学の運動部の飲み会も似たようなものだろうな。

 さすがに、ここよりは品がありそうだが。


「もう潰れてるのがいるけど、大丈夫なのかな」


 テーブルに突っ伏して高イビキの男を見て、心配になってしまう。

 そんな心配を、足元で床に座り込んだおっさんが笑い飛ばした。


「ギャハハ……閉店後もまだ潰れたままなら、地下室の藁の上に放り込んでくれるさ。この店の藁は、他より厚めに敷いてくれてるぜ」

「おいおい、家に帰らなくていいのか? 不用心過ぎるだろう」

「帰ったって、湿気っぽいベッドが有るだけの薄汚い小屋が待ってるだけじゃねえか。ここで呑んだくれている方が、百倍マシってもんだ」

「せめて酒でのも呑まなきゃあ、やってらんねえよな」


 大河がしゃがみ込んで、意気投合する。

 グラスを鳴らして、乾杯してやがる。この雰囲気に馴染む奴だな。

 俺なんか、この喉を焼く蒸留酒を持て余してるのに。プレーヤーやほろ酔い止まりとはいえ、強すぎる酒は苦手だ。


「俺は最近流れてきたんだけど、なかなか仕事にありつけなくて困ってるんだ。……何かコツみたいのは有るのか?」

「そんなもんが有ったら、俺も知りてえよ。せいぜい真面目にやって、雇い主に気に入られるくらいしかねえな」


 貧乏暮らしが板についている大河に、このおっさんは気を許してるみたいだ、

 ニヤニヤ笑いながら、立派なガタイを眺める。

 俺は援護射撃と、ジンを一杯頼んで大河にそっと渡した。


「そんな事言わないで、教えてくれよ。……最近できた倉庫とか、狙い目は無いのかな?」

「へへ……ご馳走さん。お前さんのガタイなら、ジェムソンの材木屋か、マッカイの石炭屋辺りが気に入りそうだな。でも、間違ってもアメリアの……何とかいう商社には応募するなよ。あそこは日雇いの割には、いつも同じメンバーしか雇わねえ」

「そんなの有りなのか?」

「雇う側の勝手だもんな。日雇いを入れねきゃいけねえ決まりでも有るんじゃないか? 手続きさえ踏めば、文句はないだろうってやつさ。だから、あそこはやめとけ」

「何て名前の商社だい?」

「何だっけなぁ……忘れちまったい。最近できた所だから、解るだろう?」

「俺も最近流れて来たって言ったろう?」

「じゃあ、しょうがねえや……ギャハハハハッ!」


 大河が肩を竦めて、両手を広げる。

 まったく、酔っぱらいという奴は……。

 何件回っても、似たようなものだ。情報収集にもなりゃしない。

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