第七話 幽霊探し

 先に待ち合わせたシティのパブで、大河を探す。

 あのガタイじゃあ、どうせ呑むだろうと自分用のクラフトビールの他に、ラガーを1パウントを買って……いたいた。

 似合わず、チビチビとビールを呑んでいる眼の前に、グラスを置いてやる。

 一気に手持ちをグッと空けて笑った。


「ご馳走さん。……で、こんな夜中にどこへ行くんだ?」

「ユニバーシティ・カレッジ・ディンドン……UCDだよ」

「大学? 夜学にでも通うのかい?」

「そんなタイプに見えるか? 幽霊探しだよ」


 ドサッと、『ディンドン怪奇マップ』をテーブルに乗せる。

 とたんにゴツい顔が渋くなる。


「幽霊って……あんまり得意じゃないぜ」

「得意な奴は、逆に珍しいだろう?」

「幽霊相手じゃあ、正拳も蹴りも効かねえだろうし……。ウチの大学は神道系だから、幽霊を祓うって系統は、向いてないんだ……」

「安心しろ、相手は10歳の女の子の霊だよ。実力行使は躊躇われるだろうし、話ができればと思うから、祓われちゃっても困る」

「ナンパでもする気か? 舞衣ちゃんといい、幼女趣味なのかよ?」

「違う。舞衣の前でそれを言うと、思い切り踵で足を踏まれるぞ……」


 それだけは、全力で否定しておく。

 幼女は、あんなに立派な胸をお持ちではないぞ。

 本人の前では、言えないけどな……。

 そう決めるまでの流れを、簡単に説明しておく。


「仲間を一人、亡くしたんだっけ……ご愁傷さま」

「本人は、ピンピンしてるから複雑だ。ゲームを出て、SNSなら普通に話せる」

「そりゃあ複雑だ」

「あいつも、幽霊と思うことにしてる」

「しかし……名探偵が現れたって嘘じゃないのだろうな? 俺もそうだけど、真っ先にあの住所に行った奴は、結構いたぜ?」

「殺された本人も、その口だよ。……今行ってみると、ちゃんと探偵事務所が有る」

「何で、突然現れたんだ?」


 そこが、一番の謎なんだ。

 ヨハンの死が突発事項っぽいだけに、運営が呼んだのか、群体AIとやらが呼んだのか。

 それによって見方が変わる。確かめる術が欲しい。


「いろいろ考えているんだなぁ……俺はそういうのは苦手だから」

「良くそれで、このゲームに挑む気になったな?」

「前みたいに、普通のRPG風なら、戦士でも武闘家でも需要があると思ったんだよ」

「ああ……肩透かしを食らったか」

「性格が悪いぜ、運営も……」


 グラスを空けて、店を出る。

 吹き抜ける冬色の風に身を震わせ、分厚い羊毛のマクファーレン・コートの襟を合わせた

 名探偵の格好良さに、同じインバネス・コートを買いに行って、より分厚く、ケープ部分の長いこっちに切り替えた。袖も有るから、より防寒向きだ。

 ……そろそろ、雪でも降るんじゃないか?

 コートなど買う余裕が無いのか、大河は恨めしげに鼻を啜った。


 色気も楽しみもなく、男二人で薄霧の夕刻を歩く。

 オープントップの馬車は、ほぼ女性専用。あれは、衣装を見せびらかす為に有る。

 チラチラとレディーたちを品評しているのか、大河の視線は流れがちだ。

 シティに背を向け、混み合う通りを大栄博物館に向かって歩く。コート無しなのは、大河くらいのものだ。今日の金で、中古のコートでも買っとけよ……。

 大栄博物館の前のパブで、今度は山崎白州やまざき はくしゅうと待ち合わせだ。

 UCDは、大栄博物館の真裏に隣接してる。


 ギリシャ神殿っぽい建物を横目に、混み合ったバブに入る。

 山崎は、相変わらず他の学生たちと、楽しげにグラスを傾けていた。


「すまん、遅くなった」

「相変わらず、日本人ひほんじんみたいなことを言う。……まだ約束の5分前だぞ?」


 懐中時計を見ながら、高笑いだ。

 もうすっかり出来上がってやがるな、こいつは。


「皆の者、彼が我らUCDを彷徨う幽霊と会いたいと願う、奇特なプレイヤーだ」


 山崎の煽りに、叫び声とともに学生たちがグラスを上げる。

 どういう状況だよ、これは。

 学生たちから、声が飛ぶ。


「会いたいのは、創設者の方か? お嬢さんの方か?」

「お嬢さんの方だよ」

「だろうな! いくら子供とはいえ、顰め面の爺さんより、やっぱり女子だ!」


 どっと笑いが起きる。

 そうなんだよ。UCDの幽霊と言えば、創設者の一人の方が有名だ。自分の骸骨に死顔のマスクと衣装をかぶせて保存させた話と共に、俺達の現在でも知られている。

 だから、そっちは除外した。できれば、会いたくもない。


「我らがUCDの『アリス』に会えたら、よろしく言ってくれ」

「『アリス』? 名前が解っているのか?」

「まさか! 水色のエプロンドレスを来ているそうだから、『不思議の国のアリス』になぞらえて、そう呼ばれているのさ」


 まったく……男子学生って奴は、何時の時代でも変わらない。

 世が世なら、グッズでも作って売り出しそうな雰囲気だ。

 呆れ返りながらも、山崎の前に紙袋を一つ置いた。


「これは、今夜の手間賃代わりだ。受け取ってくれ」

「おぉ……クルボアジェの4つダイヤではないか! 明日、ご相伴に預かりたい者は、我が下宿に参れ!」


 6千円ほどの中等級のブランデーだ。

 ホクホク顔の山崎は、しっかりとボトルを抱きしめて、少しくたびれたフロックコートを羽織る。


「いざ行かん! 我らが『アリス』と出会う為に!」


 芝居がかった口調で、ステッキを大学方向に向けた。

 酔っ払いめ、置いて行きたくなってくる。

 だが、こいつがいないことには、大学の敷地には入れないんだ……。

 俺は大河に、耳打ちした。


「校内で腰を落ち着けたら、なるべくこいつを俺から引き離してくれ。場合によっては、一緒に飲んじまっても構わないから」

「あはは……こんな五月蝿いのがいたら、幽霊も逃げちまうか」

「そういう事!」


 酔っ払いの相手は大河に任せて、UCDに進む。

 門を抜けようとすると、当たり前のように警備員に呼び止められた。この為の山崎だ。

 学生証のようなものを見せ、役目を終える。

 俺はその警備員に、『ディンドン怪奇マップ』を見せながら、囁いた。


「学生たちが『アリス』と呼んでいる女の子の幽霊に会いたいんだが、どの辺りに出る?」

「夜間は立入禁止だ」

「堅苦しいことを言わず……昼間じゃ幽霊に会えないだろう?」


 もう一つの紙袋を見せて、誘惑してやる。

 中身はハローズ・ワン・ダイヤモンド。こっちは3千程度の安ブランデーだ。

 途端に、警備員の顔から厳つさが消えた。


「あまり、騒ぎを起こさないようにな。夜警の連中にも伝えておく」

「誰か、見たって話はしてないか? ある程度場所を絞れると助かるんだけど」

「何が楽しいのか解らないが、三階の廊下を散歩するのがお好みらしい……。見回りの時には、お嬢さんを驚かさないように口笛を吹いてから、三階に上がるようにしてるんだぜ」

「時間は、何時頃が多い?」

「さあな……子供だろうと幽霊だろうと、女は気まぐれさ」

「……なるほど」


 紙袋を押し付けて、校内に入ってゆく。

 三階の隅の教室で夜を待ちながら、グラスを渡せば、山崎は勝手に呑み始める。

 それに付き合う大河は、さすがプレイヤー。呑んでもほろ酔い止まりだ。

 今日も濃く、ロンドンの夜は霧が立ち込めている。

 灯りもない、真っ暗な闇の中……大河は山崎のコートに一緒に包まる形で、歯をガチガチ鳴らして震えてやがる。

 俺もブランデーを呑んで、体を温めた。


「本当に出るのかな、『アリス』ちゃんは」

「出てくれなければ、また明日来るまでさ。……俺は廊下に出ているから」

「気をつけろよ」

「そっちもな、凍死は勘弁してくれ」


 むさ苦しい絵ヅラを見ないようにして、一人廊下に出る。

 闇に目は慣れても、この寒さはいかんともし難いな。

 肩を窄め、手袋をした手に白い息を吐きながら静寂の廊下を見つめる。磨き抜かれた木の床。歴史を重ねた漆喰の壁。幽霊見物には、絶好のロケーションだ。

 月でも出てくれりゃあいいのに、このディンドンの霧では、それも望めないか。

 小さく口笛が聞こえ、カンテラを持った夜警が階段を降りてくる。

 手を上げて挨拶をすれば、この階は見逃してもらえた。ブランデーのご利益はデカい。

 もう一度目が慣れるまで待っている内に、教室からイビキが2つ聞こえてきた。静かな廊下に響く響く。……この音で『アリス』が逃げちまったら、どうするんだよ。

 呆れながらも、凍えて待つ。いつしか、イビキも収まった。生きてるんだろうな、あの二人。

 耳が痛くなるような静寂と、全てを包み隠すような漆黒の闇。

 どれだけ待ったろう。


 ほんのり青く浮かび上がるエプロンドレスの少女は、いつの間にか、気取った足取りで真っ暗な廊下を散歩していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る