第五話 名探偵登場

「嘘っ……何で……」


 どうやら俺達の驚きと、エリーゼの絶句は性格が違うようだ。

 小声で理由を訊いてみる。


「だって……私とヨハンがここに住居を定めたのは。バイカー街がベイカー街のモジリだったからよ? 最初に調べたバイカー街221Bの住所はパブだったの。……名探偵がいるはずがないのに」


 確か、この下宿の話を聞いた時に、そんな事を言っていた。

 だが、現実に今、俺達の眼の前に、名探偵は存在している。


「まあ、立ち話もなんですから……」


 パイロ夫人に促され、俺たちは名探偵たちとテーブルに着く。

 簡単に挨拶を済ませ、夫人の煎れてくれた紅茶の香りを一頻り楽しんでから、この世界の名探偵シャムロック・ホークスは語り出した。


「事件の概要をダストレード君から聞いた時には、正直がっかりした」

「おいおい、ホークス。君はずいぶん乗り気だったのではないかね?」

「それは詳細を聞いてからさ、ハドソン君。……警察が見る通り、事件としては単純だ。おそらくは物取りの犯行だろう」

「物取りって……強盗の類だと?」

「Mr.アオイ、……君は、被害者の持ち物を確認していないね」

「見せてもらえなかった。IDカード以外は」

「実は、君たちが申告した被害者の持っていたはずのものが、2つ行方不明だ」

「2つ? それはいったい……?」

「銃と仕込杖だよ。おそらく、目的は銃だろう。……何かに使われる前に、ダストレード君が見つけてくれると、良いのだが」


 ……銃を手に入れる為? NPC同士ならともかく、それだけの目的でプレイヤーを殺害するものか?

 この世界の原則に反してまで……。


「そこが、この事件の興味深い所さ。被害者の友人たちを前に言うのも、申し訳ないが……。プレイヤーというものは、それこそ風のように現れ、風のように消えてゆく。我々と同じ街で暮らしながら、こちらから交わるものではない……そういう存在のはずだ」

「確かにそうだ。私も、プレイヤーの検死報告書なんて、初めて見たよ」

「直接の死因は、腹部を刺されての失血死……で間違いないね、ハドソン君」

「ああ……ホームズ川には、死後、投げ落とされたと見られる」

「どうして、わざわざホームズ川に、彼を投げ入れたのかしら?」


 ルシータが首を傾げる。

 うん、死体を運ぶような危なっかしい事をせずに、放りだしておけばいいのに。

 パイプに火を付け、生臭いニコチンの香りを漂わせて、名探偵は言った。


「ホームズ川の流れは、困ったことに、様々な証拠を洗い流してしまう……」

「でも、リーゼントパークからホームズ川までは、かなりの距離があるのに」

「失礼、レディ・エリーゼ。なぜ事件現場がリーゼントパークだと仰る? ダストレード君たちもまだ、現場の特定ができていないはずだが」

「あ……」


 思わず口にしてしまったエリーゼが、言葉に詰まった。

 名探偵の目が鋭くなるのを、俺はとっさに庇う。


「交霊会のようなものをやってみたんだ。……親しいプレイヤー同士なら、ほぼ確実に会話が行える」

「なるほど……交霊会か。自信を持って断言できるほど、プレイヤー同士の交霊は、確かな会話ができるのかい?」

「ああ、確実に本人を呼び出せる。……関係に深さによるけどね」


 この時代、交霊会は白眼視されていない。交霊については、これから解明していく科学的な事象という扱いで、貴族やジェントリー階級でも頻繁に行われていたはず。

 何しろ、名探偵の生みの親アーサー=コナン=ドイル卿も、心霊現象研究協会(SPR)を支援していた一人なのだから。他にも、マーク・トウェインや有名政治家など、錚々たるメンバーの支援を受けて、学術的な研究が行われていたくらいだ。

 俺たちの時代のSNSで、ロストしたプレイヤーと打ち合わせるのも、一種の交霊会のようなもの。その方が説明が容易い。

 俺は、ヨハン本人から聞いた通りのことを伝える。


「なるほど……殺人事件において、被害者の証言が得られるとは稀有な事だ。殺人事件の被害者が全てプレイヤーなら、僕は廃業せざるを得なくなるね」


 確かに。……ほとんどの場合、被害者は犯人の顔を見ている。

 関係者を集めて、「犯人は、あなただ」などとする必要は無くなってしまう。証拠集めだけなら、警察で充分だ。

 名探偵ファンの一人としては、そんな時代が来ないことを祈ろう。


「馬車や荷車のような揺れ……そして、魚臭い臭いか……」

「これなら現場も、すぐに特定できるだろう。ホークス、今回は君の出番は無さそうだ」

「ハドソン君。僕が最初に言ったことを忘れたかい? 事件そのものは単純だと。……問題は、その先だ。犯人は、なぜプレイヤーを殺害するに至ったか」

「たまたま、銃を持っていたヨハン氏を見かけた……では無いのか?」

「理由は解らないが、我々は心の奥底で、プレイヤーを害することを忌避しているんだ。犯人はその禁忌を超えた。……深い怨恨が絡んでいるわけでもない。この単純な物取りレベルの犯行で、だよ?」

「だが、ホークス。君は単純な物取りレベルと決めつけるが、本当にそうなのか? なにか深い因縁が裏にあるとか……」

「そんな深い因縁が有るなら、有無も言わさずに殺すとは思えない。そういう場合は、自分の顔を見せて、その因縁を理解させた上で殺すだろう」

「うぅ……む」


 ハドソン医師が、考え込む。

 言われてみれば、なるほどだ。行われた犯罪の動機の浅さに対して、飛び越えるべき禁忌が大き過ぎる。まるでバランスが、取れていないではないか。


「ハドソン君……もし君が今回の事件簿を『ストライド・マガジン』誌に発表するとしたら、これはまだ序章に過ぎない。この事件の裏には、もっと大きな物が隠されているはずだ。そう考えるからこそ、ダストレード君は、この僕に依頼してきたのだろうね」


 一頻り笑うと、名探偵はステッキを掴んで立ち上がった。


「さあ行くよ、ハドソン君。ここで訊くべきことは全て訊かせてもらった」

「行くって、どこへ?」

「スロット・ランドヤードに決まっている。彼らから聞いた被害者の証言を伝え、まずは、この事件の犯人を捕らえて貰おうじゃないか。この手の仕事は、彼らの方が得意だ」


 インバネスコートを翻し、颯爽と名探偵は去ってゆく。

 慌ててボーラーハットを持ったハドソン医師は、丁寧に常識的な挨拶をして、早足に相棒を追いかけた。

 何とも、強力な味方が現れたものだ。

 エリーゼが、クスッと寂しげな笑みを浮かべた。


「ヨハンが聞いたら悔しがるだろうね。あの、名探偵と実際に逢って、話しちゃったんだもの」

「それよりも、ひょっとしたら名探偵の事件簿に記述されそうな、事件の被害者って立場の方が、ずっと凄くないか?」

「タイトルは『ゲーム狂殺人事件』とか?」


 今日初めて、心の底から笑った。

 大丈夫……あの名探偵が味方についてくれるなら、何とかなる。

 そんな心強さが、彼から感じられた。

 舞衣が、待ちきれないように俺の袖を引いた。


「ねえ、確かめに行こうよ。バイカー街の事務所」


 気持ちは誰も同じだ。

 霧雨の中、俺達はほど近いバイカー街221Bへと足を早める。


「あぁ……」


 それを見つけたエリーゼが、感嘆の声を上げる。

 彼女が前に来た時は、パブになっていたはずのそこは、ドラマや映画で何度も見た建物に変わっていた。

 ヨハンの執念か、エリーゼの嘆きか。

 名探偵・シャムロック・ホークスは、この世界に出現したのだ。

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