第二章 探索者たち
第一話 ディンドン散歩
「水臭い事をするんじゃねえよ……」
なんて言ってくれるが、きちんとするべき事はさせてもらう。
とうとう完全に給仕の仕事を離れるにあたって、舞衣と二人で、最後の挨拶だ。屋根裏の同僚たちと、ホテルメイドたちにチョコの詰め合わせを。料理長と、給仕長にはそれぞれブランデーを贈らせて貰った。
なんだかんだで半年もいれば、情が移る……。
後釜に座ったのは、当然プレイヤーだ。二人共男子なので、見習いどもが嘆く嘆く。
だから……舞衣は、何を得意げな顔をしてるんだよ?
後釜に座った連中は、しごかれていて目礼で済ませた。
悪い奴らじゃなさそうだな。
くるりとステッキを回して、大通りに戻る。
これは格好つけで持っているのではなくて、護身用の仕込み杖だ。杖本体に鉄芯を仕込んで有るし、先端を外すと手槍になる。
『トレジャー・ワールド2』攻略ページに、名前と稼いだ手段、稼いだ額まで突然晒されて、プレイヤーたちが騒然となったのは当然だろう。
あまりにも正確過ぎる割に、肝心な法律事務所の件が抜けていたりと、人為的過ぎて、俺達は運営のリークと疑っている。
前のことも有るし、護身用に俺とヨハンは仕込み杖を、女性陣は小さなナイフを身に着け、いざという時は相手の腿を刺せ! と、言ってある。……念の為、拳銃の所持許可も得ており、俺達は胸のホルスターで、女性陣はポーチの中だ。
ここまでは、使いたくないんだけどな……。
嬉々として殺しに行くので無い限り、ブルックラディ法律事務所が弁護してくれるはず。
対プレイヤー用だけではなく、このゲームに挑むにも武器としての銃は、たぶん有効だ。
それから、舞衣を可愛がってるパイロ夫人が提案した「私の部屋の寝室が一つ空いてるから来ない?」の一言で、俺たちの住居問題が解決した。ルシータが舞衣と代わってエリーゼの寝室に収まり、パイロ夫人の下宿に全員集合!
対プレイヤーでも、いろいろ物騒になるのが予想されるので、全員が纏まった方が都合がよろしい。
居心地の良い下宿は、手放したくはないからね。
「さて、どの辺りを見て回る?」
「服装が服装だから……ピカダリーサーカスから、ホームズ川沿いかな?」
サーカスと言っても曲芸をやっているのではなく、広場の名前だ。周辺には、劇場や商店が軒を連ねるディンドンきっての繁華街。
今思えば、ゲームのスタート地点でもあったわけだが。
今日は……実は初期服で来てる。根が庶民だから、この方が落ち着くし、あまり高級な場所を歩く気もなかったから。
もちろん、ただの散歩ではなく情報収集……と言いたいのだが、どんな情報を集めれば良いのか、未だに解らん!
お天気は曇りとイマイチだが、雨じゃないだけマシだ。
今日の舞衣の衣装じゃあ、濡れても透けないからな。何も楽しくない。
17歳の、それもかなりの美少女とお散歩なんて、リアルじゃ絶対に有り得ない事なのだから、文句は言うまい。
下手な事を言うと、また踵で足を踏まれる。足癖が悪い奴だ。
この街は、並んでる建物がみんな高いんだ。価格的もそうだが、物理的に。
どこもかしこも、5階建て、6階建て。屋上ではなく、屋根が塔のように尖っていて、更に屋根裏部屋があったりする。地区は違うが、パイロ夫人の下宿も6階建てだ。
石造りの建物のショウウインドウは、歩道の半分くらいまで、長いテントのひさしがせり出している。そのウィンドウを一つ一つ覗いては、はしゃぐ姿は、可愛いとしか言い様がない。
……まあ、役得か。
「あ、本屋さんがある。覗いてみようよ!」
小さな手が、俺の手を掴んで駆け出す。
無邪気さは、罪だね。勘違いしそうだけど、これ、無意識なんだよなぁ。
こらこら、道路を横断する時には、馬車に気をつけろって。俺たちの時代の車ほどじゃないけど、生き物が曳いてる分、急には止まれないんだから。
繁華街だけあって、乗合馬車や辻馬車が多数行き交ってる。顰蹙ものだぞ。
舞衣は、まっすぐに少女雑誌のコーナーに向かう。
有るんだわ、この時代。子供向けの雑誌も。PTA推薦的なモラルの高いやつから、冒険小説がメインのやつとか……。エリーゼ情報によれば、舞衣は少女雑誌のロマンス小説にハマってるらしい。
ルシータには、「奥ゆかしすぎちゃって……」と一刀両断されてた代物だ。
俺もそれには付き合いきれず、フラフラと怪しげな雑誌を見て歩く。
あ……『ディンドン怪奇マップ』だってさ。買っておこう。
「また変な本を買ってる……」
って、少女雑誌を大事に抱きしめている奴には、言われたくない。
幽霊話の面白さが解らないなんて、ロマンを解さぬ娘だ。
お財布に余裕ができたら、俺達は急にディンドンの街を堪能し始めた。
ヨハンは、若い世代中心のボードゲームクラブの会員になって、そこに入り浸りつつ情報集め。エリーゼとルシータは、それぞれにウインドウショッピングの毎日だ。別行動なのは、趣味が違いすぎるから。
俺は、形式張った場所が苦手なので、中流よりちょい下くらいの服装で、街を歩いている。舞衣は大概、俺にくっついてる状況。意外に下町好きと見える。
子供の独り歩きなど、論外な時代だから仕方がないか……。すぐ誘拐されちまう。
調査がてら歩き回れば、歩き回るほど、刺激的で面白い街なんだ。このディンドンは。
「今日はまだ、何も起こらないな……」
「そんな毎回毎回、何か有ったらお嫁に行けなくなっちゃうでしょ!」
俺の密かな呟きに、しっかり反応してくる。
舞衣と二人で歩いてると、ラッキースケベ発生率が高いんだよなぁ……。
まだノーブラ状態の頃に胸を触っちゃったし、濡れて透けた服越しに、おっぱい見ちゃったし。
この先となると……いろいろ問題が有るから自重して欲しい。
舞衣本人も認める通り、すべて俺のせいじゃないのだから。
「あ……何かやってる。大道芸?」
人集りに足を止める。この時期に上半身裸は、寒そうだ。しかも裸足……。
プレイヤーらしく、頭の上に『大河』の文字が浮いている。
「ハァッ! ……ヌゥ……ハッ!」
鍛え上げた筋肉を躍動させ、空手の型を披露してゆく。
次第に熱を帯びた身体から湯気が立ち始め、見る者を唸らせる。有段者、だよな?
最後は、瓦6枚を叩き割って大拍手だ。
開いたまま置かれたボックスに、次々とコインが投げ入れられる。
俺達がプレイヤーと気づいて、IDカードを差し出す大河氏に、俺も舞衣も千円づつ投げ銭をした。
「こんな額、良いのかい? ……ひょっとして、アオイと舞衣って。サイトに出てた」
「幸い、稼ぎは安定してるから」
「瓦代……大変そうだし」
心配そうに舞衣が言うと、豪快に笑ってから小声で付け加える。
「瓦工場の、不良品を貰ってきてるから大丈夫。普段は、そこで働いてるんだ」
なるほど、それは上手い流れだ。
大河氏が片付け、服を整えてから、しばらく三人で歩く。
「少しでも余録がないと、生活に追われちまうから」
「解る。俺達もやっと落ち着いて、攻略にかかれるようになったばかりだ」
「大道芸をやりながら見てるが、何が有るのかさっぱりわからんよ。……運営は、地味に何かを仕掛けてるというけど」
「こっちも同じだよ。どこにゴールが有るのか、検討もつかない」
「御覧の通り、腕っぷしだけはあるから……手が必要な時は連絡をくれよ。大概、この辺で芸をやってるから」
まだフレンド登録するほどでもないと、お互いに承知している。
どこかの大学の空手部って感じだ。仲間にはいないタイプなので、ちょっと頼もしい。
俺もヨハンも、腕力にはまったく自信が無いからな。
シティの中心で、手を振って分かれた。
だいぶ……霧が出てきた。
ディンドン橋まで行ったら、Uターンする形で、ホームズ川沿いを歩く。
当時のロンドンとは、衛生面がまるで違うんだ。
水質が良くて、悪臭はない。……たまに死体が浮く所は、変わらないみたいだが。
そもそも、この世界の馬車馬は道路では排泄しない。水道水はそのまま飲むには勇気がいるが、上下水道も完備している。水質的にも、お値段的にも。
ホテル『ラフロイグ』では、従業員の生活水は、昔ながらの井戸だったぜ。
そんなわけで、光がオレンジがかった夕刻に、霧が深くなったホームズ川沿いを歩く風景ってのは、意外にロマンチックだったりする。
少女雑誌のロマンス小説にハマるような子供は、うっかりと気分を出してしまう。
締め付けのキツくないコルセットをしてると言っていた通り、肘に当たる感触はもう一つ楽しさに欠ける。唯一の楽しみだったのになぁ……。
霧に煙って、擦れ違う人の顔も判別できないくらいだ。たまには舞衣の気まぐれに付き合ってやるのも悪くない。
振り回されっぱなしじゃないか? という疑惑は、頭の隅に押しやろう。
対岸の貧民街の工場は、霧の中のシルエットだ。
濃密なシチューの中に浸かっているような霧に、道行く人達のリアル感が薄れてゆく。
舞衣じゃないが、世界に二人だけになって、歩いているような気持ちになる。
そんな気分を一瞬で台無しにするのも、また舞衣だ。……お子ちゃまめ。
ニャアという声が聞こえ、目を輝かせて猫を探す。
男より、猫かよ!
不吉な知らせだと思うんだが、眼の前を横切る黒ニャンコをしゃがんで抱きしめる。
「ほら……可愛い子がいた」
しゃあねえな……と舞衣の向かいで腰をかがめる。緑の目の、まだ子猫かな?
……だけど、それよりだな。
さすがに凝視するのも憚られ、コツンと舞衣の頭にゲンコツを落とした。
「もう、いきなり何よぉ!」
足を踏もうとするのを、今日は躱す。
2度、3度と躱すと、まるでダンスしてるみたいだ。
「人をぶっておいて……素直に足くらい踏まれなさいよね!」
「お前も少しは慎みってものを持てよ!」
「もってるもん! 文句有るの?」
さて、どう伝えれば良いのやら……。
「あのなぁ……今初めて知ったんだけど、そのドロワーズっていう下着、左右に分かれていて、中央部は開いちゃうんだな」
「それがどうした……の……って!」
慌てて猫を離して、両手でスカートを抑える。
多分、顔は真っ赤。
はい。舞衣の……というか、きっと中の人である
せめて、スカートとペチコートを抑えて、膝に挟んでからしゃがめよ……。
「お前、迂闊過ぎだろ……」
「うぅ……見なかったことにならない?」
「霧でぼやけたのは、不幸中の幸いと思え」
嘘です。あの距離で霧は関係ありません。鮮明に見えてしまいました。
それは記憶に留めるだけで、本人は慰めておく。
既に半べそ状態だし。
「うぅ……あ、アオイくんといると、何でこうなるの?」
「全部お前のミスだし、すべては偶然のラッキー」
「恥ずかしすぎる……」
「帰ったら、パイロ夫人に習って、その慌てん坊の所作を直してもらえ。俺だけならまだしも、この時代の美少女M字開脚は、刺激が強すぎる」
「うーっ」
唸りながら、ポコポコ人の背中を叩くな。
パーティードレス以外は、女性服の露出が少ない時代に、これだけラッキースケベを引き起こすのは、一種の才能ではなかろうか?
それにしても、このゲームのキャラクターモデルは、作り込みが完璧なんだな……。
舞衣には悪いが、はっきりと解った。
そこから予想されるトラブルは、あまり気持ちの良いものではない。
そんなトラブルに舞衣たちが巻き込まれそうになったら、俺は躊躇いもなく銃の引き金を引けるだろう。
それは確信している。
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