第六話 休暇と買い物

「うわぁ……これは凄いね」


 21世紀慣れしているはずの舞衣が、ぽかんとその威容に目を丸くする。

 巨大なデパート『ハローズ』は、この国の歴史そのものといった儀礼的な佇まいで、俺達を圧倒した。

 銀座のデパートの比じゃない。この上ない場違い感で、居心地が悪い。


「と、とにかく……お土産だけは買っていかないと……」

「お、おう……」


 気圧されながらも、入店して売り場を探す。

 舞衣は同室のホテルメイドたちにチョコの詰め合わせを、俺はレストランの同僚たちにクッキーの詰め合わせを。給仕長と、料理長には何を買うか……。

 先に土産を買うことにして、良かった。

 これから俺達が向かう、安い店の袋などを抱えては、とてもここには入れない。


 何で、こんな事になっているのかと言うと……。

 発端は、一昨日の夜だ。


 いつも通りの会合に、いつも通りのドレスで向かおうとした舞衣が、同室の子たちに呼び止められたらしい。曰く


「もうこの時期に、そのドレスはないでしょう?」


 なんだかんだで、もう5月も半ばだ。

 冬物ドレスは季節外れ。……で、あっても他の服なんて持ってない。

 それが給仕長経由で、料理長の耳に入ったらしく


「店の品位に関わる。今日の分の賃金は出すから、買い物に行ってこい」


 と、なって、ひょっとして? の俺も同じと判明。ボディガードよろしく、一緒に買物に出ることになったんだよ……。

 そんな経緯だから、お礼のお土産は必須。

 それなら、ディンドン最高権威、プロンプト通りの『ハローズ』へ! となった結果だ。


 どうにかこうにか、買い物だけ済ませて、逃げ帰る。

 肩身の狭さは、銀座のデパートどころじゃないぜ。さすが、王室御用達。

 一度戻って、エリーゼたちが下宿してるパイロ夫人に荷物を預かってもらって、カウフォード通りの『セルフブリッジ』という百貨店へ。ここは庶民的なお値段だと、ホテルメイドたちに、舞衣が教えてもらってきた。

 ……もう既に、服は店で購入する時代になってるんだな。

 オーダーメイドで作るほどのお大臣じゃないし、かといって、安売りの店では品位が下がる。服装で身分が解るらしいから、多少は値が張っても、ホテル『ラフロイグ』の従業員に相応しい物を、身に着けなくてはいけないだろう。

 そういう意味では、同僚推薦の百貨店なら、間違いはない。

 さすがに頭の回る、舞衣だ。


「あぁ……先に下着を買わないと。初期の一枚きりだろ、お前も?」


 痛えっ! 思い切り踵で、それも勢いをつけて人の足を踏むなよ……。

 少しタレた目を吊り上げて、ぷくっと頬を膨らませている。


「レディに対して、そんな事を思ってても言わないのっ!」


 お前は、まだ未成年だからガールだろ? なんて言ったら、もう一撃食らうのは必至。黙っていよう。

 そのまま舞衣に付いて行ったら、女性下着売り場の前で追い返された。

 仕方がない。下着購入が終わるまでは別行動な。

 この時代のちょうちんブルマーみたいなパンツを見ても、色気はまるで感じないんだから、別に良いと思うんだが……。

 サイズの合うものをさっと買って……まだ向こうは時間がかかりそうだから、ついでに一式買ってしまう。ワイシャツを3枚と、グレーとダークグレーのスーツを一着づつ。生地が薄いだけで、男性の物はそれほど変わらない。

 帽子と靴はそのままでいいし、あとはネクタイを二本増やせばお終い。

 標準体型過ぎて、裾のお直しもいらないしな。

 待ち合わせ場所に、それでも遅れてきた舞衣は、こっちの買い物が終わったと聞いて、唖然としていた。……普通だよな?

 荷物は売り場に預けて、後で取りに行くことにしてある。……悪い予感がしたから。


「ねえ、こっちの緑色のと、こっちの水色の……どっちが似合うと思う?」


 2枚のスカートを代わる代わるに腰に当て、舞衣は華やいだ声を上げる。

 同僚情報は、デパートだけではなく、お洋服の種類にも及んだらしい。ワンピースよりも、ブラウスとスカートに分けた方が着回しが効くとか、最近の流行とか。

 21世紀の流行にも疎いのが、この時代の流行が解るかっての。

 他の女性達を見ても、インコや熱帯魚のように色とりどりに着飾っているし、色使いは俺たちの時代より派手じゃないか?

 とはいえ、貴族でもないからそんなに派手に着飾るわけにもいかず、かなり色のチョイスも難しいみたいだ。下層階級のような、ただ汚れの目立たぬ色ではなく、かと言ってカラフルに成り過ぎず……。女子は大変だ。

 ところで、舞衣ちゃんや……いつもより、お胸が大きくなってないかい?

 俺の疑惑の視線に気づいて、ベェと舌を出す。


「あまりキツくない、コルセットを買ってきたの。いちいち、胸を触られるの嫌だもん」


 触ってない! 押し付けられているんだ。

 と言い返したいが、感触を楽しんでいるのは同じだから、文句は言わない。

 ちぇっ……もう楽しみはないのか。


 3時間がかりでようやく、ブラウス3、スカート2、エプロンスカートというらしい、スカートの上にエプロンのように重ねるのが2、お帽子1、靴1。あとは、こっちをチラチラ見ながら、女の子向けの定番アクセサリーの珊瑚のネックレスを買ってる。

 そんな目をしても、俺が買ってやる理由はないぞ?


 ササッと買った服に着替え、春の装いになった舞衣は、ついでに大きな鍵付きのスーツケースを買って、着てたものと買ったものをそこに仕舞った。

 雑魚寝部屋での、衣装ケース代わりにするそうな。

 おお、その手があったか。俺も真似しよう。

 春の装いで浮かれている舞衣とは裏腹に、天気の方は雲行きが怪しくなってきてる。

 一日で、雨の降る時間が無い日の方が、少ない国だ。にわか雨は、いつもの事。

 珍しい晴れの日だったのになぁ……。


「辻馬車でも止めて、急ぐか?」

「もったいないよ、今日はちょっとお金を使い過ぎちゃってるし」


 急ぎ足でも、この大きなスーツケースを持ってちゃあ走れない。

 俺にスーツケースを全部押し付けてるんだから、お前だけ走ろうと思うなよ?

 せめて、エリーゼたちの下宿である、パイロ夫人の所まで辿り着ければ、雨をやり過ごせるんだけど。

 カウフォード通りからポンド通りに曲がってすぐ、雨が降り出した。

 エリーゼたちは面白がって、ベーカー街ならぬバイカー街に下宿を見つけているから、もうすぐなのに……。

 無念、土砂降りになっては堪らずに、近くのパブの軒下に逃げ込む。

 くそっ、びしょ濡れだ。


「あぁん……せっかくの新しいお洋服なのに……」

「多分通り雨だから、パイロ夫人の所で着替えさせてもらおうぜ」


 幸い、今日から着替えは充分にあるんだから。

 エチケットのつもりなのか、初期服にハンカチが入っていて助かった。こんな物を持ち歩くようなタイプじゃないからな、俺。

 帽子を拭って、ジャケットの水滴を払う。ちゃんと防水加工が効いているが、時代的に合っているのだろうか?

 春物に着替えたばかりの女の子に、防水加工はないらしい。


「もう……買ったばかりなのに……」


 可哀想にと、その姿を眺めた俺は……一点を凝視し、堪能しきったあとで、ジャケットをかけて、隠してやった。


「何よ……珍しく優しいじゃない」

「舞衣、胸が完全に透けてるぞ……」


 コルセットで下から持ち上げている上、雨から逃げるように走ったこともあり、シュミーズとかいうサマードレスみたいな下着(この間調べてる時に、ついでに知った)から、大きな胸の先端が、飛び出してしまっている。

 雨でびっしょり濡れた薄い春物ブラウスが、透けないはずはなく……。

 うん、悲鳴を上げるよなぁ。


「そうか……女子のキャラクターも、そんな所まで再現されてるんだな。乳首や乳暈ばかりでなく、右の乳首の横のほくろまで」

「見るな! 言うな! すぐに忘れろっ! ……まったく! なんで、あ、アオイくんといると、エッチなことになるのよ!」

「別に俺が、何かしたわけじゃないだろう? アクシデントと、不可抗力だよ」

「解ってるけど……もう、嫌ぁ……」


 半べそ掻く気持ちは解るけど、諦めろ。

 ボリュームは大人びてるが、初々しくて、可愛いおっぱいじゃないか。


「俺のせいじゃないから」

「あ、アオイくんが悪い!」


 完全にブチ切れてる……。

 何だよ、この痴話げんかみたいなのは……。

 それに、お前は何で俺の名を言う時にいちいち、口ごもる?


「アオイなんて、キャラ名にしてるからでしょ!」

「本名だから仕方ないじゃないか」

「普通、本名をそのまま付ける? 馬鹿じゃないの!」

「八つ当たりするなよ! お前だって似たようなものだろ?」

「舞衣は本名じゃないもん!」


 嘘っ? じゃあ何でそんな名前なんだよ?


「名字が舞浜だから、そこから舞衣だもん!」

「じゃあ、下の名前は?」

「もごもご……」

「何だよ、はっきり言えよ、聞こえない」

「葵よ! 舞浜葵まいはま あおい! 自分の名前と同じだから、言いづらいの!」


 マジかよ……女にも多い名前だと知ってるけど。

 訊いてみたら、漢字まで一緒だ……。


 これは気不味い……今更、キャラ名変更なんてできないよな?

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