第四話 霧雨の夜

「お待たせ……」


 やっと階段を降りてきた舞衣は、初日に見て以来の私服姿だ。

 淡い色のワンピースは足首丈だし、髪は上げて無いしで、本当に最初から未成年の服装だったんだと、改めて実感する。

 時間がかかったのは、髪を洗っていたかららしく、花飾りのハットを乗せた髪は、久しぶりに艶々している。


「あ……雨なんだ」


 せっかくお洒落したのに、残念だね。

 元ネタのロンドン同様、このディンドンも雨が多い。

 日本のような粒の小雨ではなく、じっとりと湿らせるような霧雨だ。

 電球どころか、最近はLEDのギラリとした街灯も多い21世紀に慣れた目には、蝋燭の灯りかと思えるくらいに淡いガス灯は、実際以上に暗く感じられる。

 エリーゼさんと連れ立って歩いただろう、ヨハン氏の目には、ロマンチックと感じるのかも知れないけれど。

 ガス灯の光が届かぬ、街角の暗闇が蠢いているようで、ちょっと不気味だ。


 怖がりな子供は、知らず知らずに怯えた足取りで縋って来る。

 この時代の女性はコルセット着用が当たり前なのだけど、さすがに21世紀育ちのプレイヤーにはキツイらしくて……舞衣もそっち派であると判明した。

 すりすりされて、初めて解ることも有るもんだ。

 女子の下着事情までは知らないが、肘に触れる感触が生々し過ぎる。ドレス越しとはいえ……ほぼ素の感触だろ、これ。

 その上、チビのくせに意外にボリュームがある。……Eくらいあるぞ、この感じは。

 思わず全神経を肘に集中してしまう俺を、誰が責められようか……。

 店の前に来ると、慌ててパッと離れやがった。……残念。


 ルシータを見つけて、手を挙げる。それで気がついたのだろう。別テーブルのエリーゼさんたちも合流した。


「あちゃあ……私だけ、同伴者無しなんだ」


 ルシータの嘆きを合図に、ビール3と、炭酸水1、ブランデー1で乾杯する。

 ブランデーグラスを揺らしながら、ルシータが新顔3人を見て微笑んだ。色気虫のこいつには、ブランデーが絶妙に似合ってる。

 互いにフレンド登録をし合い、以降は名前呼びにしようと決めた。


「まずは、ルシータにお礼を言わせて。石鹸シャンプーは本当に助かったわ」

「どういたしまして。私もうんざりだったから」


 エリーゼと、ルシータの会話から始まる。

 念の為、訊いてみよう。


「ルシータは、髪が痛みやすい方なのか?」

「ん? ……痛みやすいわよ、髪も、心も」


 馬鹿言ってろ。

 エリーゼの予想は、ピタリ的中か。チラッと目をやると、得意げに笑う。

 ……お見事。

 そのやり取りに咳払いをしながら、ヨハンが切り出した。


「ここに揃ったのは、プレイヤーの中でも、かなり上手くやれてるメンバーだと思うが……、この先は、どう考えてる?」

「そうねぇ……何か動きが見えるまでは、しばらく現状維持?」

「でも、何がゴールかわからないのは不安」


 ルシータの言葉に、さっと舞衣が言葉を被せる。

 どちらも尤もなんだけど、俺の不安はちょっと違う。


「ゴールもそうだけど、情報集めが全然できてないだろう? 仕事に振り回されていて、微妙な動きが目に入らずにいるんじゃないかってのが、一番不安だよ」

「それは……確かに……」

「唯一の情報源として、なるべく新聞には目を通すようにしているけど……それ以外の事は、何もできてないだろう?」


 街を見て回る暇すら無い。

 ログインして、仕事して、ログアウト。下手をすれば、レストランだけで一日終わってしまう。

 リアルなら、それも良い稼ぎになるだろうけど……これはロールプレイングゲームだ。

 必ずストーリーがあって、他のネトゲと違ってエンディングがある。

 その糸口すら探す暇がないのは、とても拙くないだろうか?


「とはいえ……アオイくんだって、仕事をしないと、収入が無くて詰むでしょ?」


 ルシータは、『くん』呼びを辞める気は無いらしい。

 まあ、どうでも良いが。


「詰むよ……リアルの家賃や、生活費もあるしな。だから、それをクリアするのが次のステップじゃないかと思ってる」

「次のステップか……。不労所得……夢の印税生活? ……小説でも書くかい?」

「ヨハンたちの演奏みたいに、そんなスキルが有ったら、そうするけど……。徹底的に凡人だと身に沁みてるよ」

「ビートルズの曲でも、先に演奏したら売れるかな?」


 ヨハンは、そんな軽口をエリーゼに囁くが、どうにも乗り気では無さそう。

 うーんと考えていた、舞衣が手を叩いた。


「そうだ。石鹸シャンプーを売り出してみるとか」


 ヨハンたちも顔を輝かせたが、顔を歪めるのは俺とルシータ。

 ネットで調べたら、ちょっと欠点があるんだよな……。


「それも考えたんだけど……石鹸シャンプーって一週間くらいしか、もたないだろ?」

「うん……そこが問題。それに売るとなれば、数を作らなきゃならないわ。工場までいかなくても、作業場すら無い。人数も、この五人で作って、売ってじゃあ足りない」

「……そこまで、考えてるんだ」

「何としても、生き残りたいもの。だから、こうして仲間を作ろうとしてるのだし」


 ルシータの言葉に、皆頷く。

 思う所は誰でも同じだ。……それに、不安も。

 それだけに、情報集めに動けない現状は、不安でしか無い。今は順調であっても、運営しているのさじ加減ひとつで、そんなものはひっくり返されてしまうだろう。

 安住せずに、次々と運営の先回りして、ステップアップしていかなければ、何時振り落とされてしまうか解らない。


「アオイは、何か商売を始めるべきだと思ってるの?」


 じっとエリーゼに見つめられて、言葉を選ぶ。

 ここからは、いい加減なことは言えない。


「商売に限らず……まず、人を使う立場にならなきゃ駄目だと思ってる。人に雇われている内は、自由に時間を使えないから」

「それは、尤もね。手っ取り早いのは、ルシータの石鹸シャンプーのように、21世紀の知識で、商品を作り出すことかしら」

「商材があっても、流通ルートの問題もあるわ。何のコネも無いんだもの、私たち」

「物によって、流通ルートも変わるんだよなぁ……」


 ヨハンが頭を抱える。

 気持ちは解るけど、何とかするしか無いだろう。


「この時代に無くて、私たちの時代の知識で、素人が作れるもので、更にみんなが欲しがるもの……何が有るんだろう?」


 舞衣が両掌で頬を包むようにして、考える。

 本当、条件がキツ過ぎる。それだけに、こいつの鋭さに期待してるんだけど。

 ここで考えて、結論が出るものでもないか……。


「俺たちの時代に戻って、それぞれ考えよう。そろそろ、この店も閉店だ」


 21世紀と違って、パブもそんなに遅くまで営業しない。

 人通りの殆どない夜では、情報集めなんて無理だ。早い所、なんとかしないとな。

 ルシータは、エリーゼたちが送って行ってくれる。

 さて、こっちも帰るか。

 行きのラッキーを期待したが、舞衣のやつはさっさとログアウトしちゃってる。

 ……俺に、当たり障りのない会話しかしないお人形と、夜道を帰れと?

 こういう所に気が利かない辺りが、ガキだよなぁ。

 澄まし顔のオデコに、ペンで『肉』の字でも書いてやろうかと思ったけど、後で滅茶苦茶怒られそうだから、やめておく。

 まったく、様にならないぜ……。

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