第三話 女の勘
「……機嫌が良さそうね?」
小声で、舞衣が睨めつける。
食事する客の様子を見ながらでも、小声のやり取りくらいはできる。
知らん顔をしていたら、さらに追求が続いた。
「昨夜は、どこかの誰かと逢っていたと思ったら、今日は楽団の娘? 意外に女好きなのね?」
「舞衣は誘っても、付き合ってくれないだろう?」
「誰がっ!」
思わず声を荒げた舞衣を、給仕長が小さな咳払いで注意する。
慌てて居住まいを正す舞衣に、そっと囁く。
「そんなんじゃねえよ。……明日になれば、解る。お前は素直じゃないから」
余計なことを言って、また睨まれた。
意外に、からかうと面白いタイプだ。
待ち合わせたのは、昨日と違うパブ。
昨日はビールだけを出すビール・ハウス。今日はビールとエールと、食事も出すエール・ハウス。他にも、ジンだけのジン・ハウスだの、食事と酒、泊まることもできるタヴァーンや、宿泊メインのイン……。
ロンドン……じゃない。このディンドンには、どれだけパブが有るんだか……。
演奏後は腹が減るという、お二人さんの意向でそうなったけど……キャラクターでも、そんな事が有るのか?
気分的な問題なんだろうけど……。
お二人さんの待つテーブルについて、昨日と同じスタウトビールを1パイントと、何となく空腹を刺激されて、フィッシュ&チップスを頼む。
ヴァイオリニストの方が女性で、エリーゼさん。茹で卵のようにツルンとした顔立ちで、小さいけど、睫毛の長い黒目がちの目が印象的だ。演奏の手前、胸の大きく開いたドレスを着ている為か、襟元までしっかり覆うコートを脱がずにいる。
ピアニストの男性は、ヨハンさん。神経質そうな、線の細い男性。視線が落ち着かないのは、警戒心が強い証拠か?
二人は、同じ音大のサークル仲間らしい。
海外留学の資金が欲しくて、このゲームに参加したとのこと。
楽器が無ければ始まらないと、二人の所持金を突っ込んで安物の中古ヴァイオリンを買って、まずエリーゼさんが楽団に加わり、ヨハンさんを引き入れたそうな。
まあ、ピアノはどこでも据付の楽器だから、そうなるか。
「お二人さんは、付き合ってるの?」
「まっさかぁ……違うわよ」
即座に否定して笑うエリーゼさんと、言葉に詰まるヨハンさん。
ご愁傷さま、そういう関係ね。
「でも、本当に髪が艶々ね……」
今日はわざと整髪料を付けずにいる俺の髪を見て、羨ましそうにエリーゼさん。
同じプレイヤー同士とはいえ、見かける程度の俺の誘いに乗ってきたのは、それを知りたいからだろう。
ヨハンさんはボディガードというより、心配で付いてきたに違いない。
「昨日は整髪料だらけだったのに、それで私に声をかけたって事は、その髪の理由を教えてくれるつもりなんでしょう?」
「鋭いなあ……同じ職場の舞衣なんて、知らん顔なのに」
「あら? 舞衣ちゃんなら、ずっとプリプリして『ズルい』って愚痴ってばっかりよ? 気が付かなかった?」
「いや、まったく……」
そんな様子は、まるでなかったけどなぁ……。
いつも通りにツンツンして、事務的な対応しかしてないぞ?
「本当、可愛いなあ、あの娘。……大人なんだから、ちゃんと優しくしてあげなさい」
「大人ったって、大して歳は違わないんじゃないか?」
「まったくもう……深くは聞いてないけど、彼女はまだ十七歳よ?」
「ウソっ……その割には老け……」
「大人びてるの!」
俺の失言に被せるように、言い換えた。
言われてみればチビっこいし、表情もガキっぽい気もするが……十七歳だと?
「クールな印象だし、顔立ちが綺麗だから、大人びて見えるのよ。そもそも、髪を上げてないじゃない」
「確かに、子供らしさのない美人顔だね、彼女は」
変な所で、ヨハンさんも口を挟む。
言われてみれば……舞衣はボブカットの髪型のまま、結い上げてもいない。この時代の成人は18歳。それを過ぎると、髪を上げ、スカート丈も長くするのが常識だ。
最初から、子供アピールしていたじゃないか!
まあ、あのツンツン娘のことは、どうでも良いや。話を進めよう。
トンと、テーブルにドリンク剤サイズの小瓶を置く。
エリーゼさんはそれを取ると、蓋を開けて匂いを嗅いだり、人差し指に垂らして擦ってみたり。
「薔薇の香りの……シャンプーっぽいけど、これは?」
「石鹸シャンプーだよ。材料は石鹸と、蜂蜜と、薔薇のアロマオイル」
「なるほど……」
少し、エリーゼさんが考え込む。
その間に、ヨハンさんも同じ様に匂いを嗅いだりして試している。
「舞衣ちゃんがヤキモキするわけだ。……これは、どこの女性が作ったのかしら?」
「え……なぜ解る?」
「手作りシャンプーって、男の人の発想じゃないもの。こういう物を作ろうとするのは、大概、女性ね。きっと、髪質のデリケートな人……でしょ?」
「髪質までは知らないけど、正解。ゲームのスタート当初に知り合って、唯一フレンド登録をしている相手だよ」
「恋人さん?」
「違うって。そこそこ頭も回りそうだし、孤立無援でいるよりは、仲間がいた方が良いと思ってるから」
「ふむ……じゃあ、私たちも仲間に入れちゃおうって言うわけだ。多分本命は、舞衣ちゃんなんだろうけど」
エリーゼさんが、楽しそうに笑った。
この人、意外に鋭いな。
「久々に出たな、エリちゃんの千里眼。……何でそう言い切れるんだか」
「だって、舞衣ちゃんは、アオイくんと同じく、稼ぎの良い場所に、素早く潜り込むくらい切れる娘だよ? 仲間に引き込みたくもなるわよ」
「すんなり誘えば良いのに……」
「あの娘はアオイくんにツンツンしてるから、取り付く島も無さそうだもの。だから、私経由で石鹸シャンプーの良さを吹き込んで、抱き込もうとしたんでしょ」
「ああ、なるほど……」
ニヤニヤ笑いながら、生暖かい目で見るのはやめてくれ。
どうにも、こうにも居た堪れなくなる。
あのツンツン娘は戦力になると思っていたけど、このエリーゼさんも、意外に得難い人なのかも知れない。
「21世紀慣れしてると、この髪の痒さは不満だったもの。役得として、ありがたく受け取りましょう。……ちゃんと舞衣ちゃんにも、宣伝しておくわ」
「恐れ入ります」
「これを作った人も、紹介してくれるんでしょ?」
「舞衣を抱き込んだらね。……一度、集まった方が早い」
「じゃあ、さっそく明日、宣伝しなくちゃ。石鹸シャンプーの良さと、これを作ったのは恋人さんじゃ無さそうよって」
「何だよ、そりゃ……?」
この人もラガービール程度で、酔うなよ。
明るい酒で、何よりだけど。
翌日、ログインして楽団スペースを見ると、エリーゼさんはもちろん、ヨハン氏まで艶々の髪をしていた。
目線だけで挨拶をして、レストランに戻る。
いつもの事ながら、舞衣のログインは俺よりも早い。
相変わらずツンツンした態度なものだから、意地悪をして、俺も知らん顔で事務的に対応してやる。
実は十七歳だと解ると、可愛いものだ。
石鹸シャンプーの事など、お首にも出さずに知らん顔していると、ギリギリ視界の隅っこに入り込んでは、何やら自己アピールっぽいことをしている。
お前は、構ってちゃんの子犬か!
面白いから、しばらく放っておこう。
昼食時を過ぎ、客の引いた間に手早くテーブルの丁度を整えていると、我慢の限界が来たのだろう。肩を怒らせて、真正面に立たれた。上目遣いに睨んでる。
仕方ないと、メイドキャップの頭の上に小瓶を乗せてやった。
身長差があるから、ちょうど良い高さなんだ、これが。
「これ……なの?」
「ああ……。今夜集まるから、仕事の後、付き合え」
「でも、私……お酒飲めない」
「エリーゼさんから聞いた。未成年じゃしょうがねえから、食事メインの店にしたよ。炭酸水くらい置いてあるだろう」
「わかった。予定しておく」
そう言えば、舞衣の笑った顔って、初めて見る気がする。
笑うと……年相応にガキっぽいじゃねえか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます