第二話 過去と未来

 いつもはカップ麺で済ませてしまう朝昼兼用の食事を、今日はわざわざ遠くまで歩いて、きちんと済ませる。

 ……とはいえ、行けるのは、安い中華料理屋くらいなのだが。


 VRゲームで最悪なのは、健康状態によるドクターストップだ。

 通常の8時間よりより長く、12時間の接続が許されている『トレジャー・ワールド2』だけに、健康を損ねやすい。

 VRユニットのバイタルチェックで、強制的に病院送りになってしまえば、金が稼げないどころか、余計な借金を背負うケースも有る。

 そうならない為にも、オフラインの時間はきっちり睡眠を取り、健康維持に努める必要がある。

 午前中から、ニラレバ炒めなど食っても、ゲームの中の接客には、何の問題も無い。リアルの口臭や体臭は、体力や筋力と違って、ゲーム内には影響しないんだ。


 俺、東條葵とうじょう あおいは、スマホで銀行口座を確認し、実際に残高が増えているのに、安堵した。


 ネットニュースによると、当たり前のようにディンドン郊外の小型の魔物に挑み、早くも2千人弱……4割ほどのプレイヤーが脱落したらしい。

 こまめに働くのが正解ではないか? という当初の読みが、図らずも大正解だったようだ。多くのプレイヤーが割の良い仕事を求め、悲鳴を上げている。


 ……これでは現実と、大差が無いぜ?


 素早く、一流ホテルのレストランの給仕となった俺は、賃金は並よりマシな程度だが、予想通りにチップの額で稼げている。倉庫の屋根裏部屋で、ベッドを並べて雑魚寝とはいえ、棲家も得られた。

 どうせ、眠る時はログアウトするのだし、食事はリアルでしなければ意味がない。

 暫定の住所が、しかも名の通ったホテルの従業員として得られたのも強みだ。

 ここまでは、上手くやれているはず。

 俺はザッとシャワーを浴びて、戸締まりを確認すると、ゲーム内にログインする。

 稼げる昼飯時は、オートで動くキャラクターと替わらなければ、稼ぎに関わるじゃないか。


      ☆★☆


『中身』が入ったのに気がついたのだろう。

 コックコートにスカート姿の舞衣が、トンと指先で伝票を叩いて示してくれる。

 もう客が入っているらしい。

 俺が担当しているテーブルは……あのテーブルか。

 相変わらずツンケンしていて、まだフレンド登録さえしてもらえない。それでも、仕事に支障をきたさない程度には、きちんと対応してくれる。

 まぁ……お互い様でも有るのだけれど。

 この店は、まだ主流になっている大皿ビュッフェのようなフランス式給仕ではなく、一人一人の客に順番にコース料理を提供する、ロシア式給仕を採用している。

 給仕役の腕の見せ所であり、それだけチップも稼ぎやすい。

 給仕長の所作を見習いながら、やっと様になってきた……と思う。


「何か、変わったことは有る?」

「今日から、ロビーの所に楽団が入ったわ。その内、二人がプレイヤー」

「それで、曲が聞こえているのか……」

「アイヴィ・ホテルが好評だから、真似たんでしょうね」


 ピンで頭を掻きながら、舞衣は肩を竦めた。

 接客業だから、身だしなみはきちんとしたいのだが……いかんせん、この時代の石鹸は使いづらい。プレイヤーはともかく、キャラクターは風呂なんて贅沢ができない。髪も石鹸で洗って、手桶に組んだ水で濡らしたタオルで拭うくらい。

 何とかならないものか……身体も同じようなものだからなぁ。


 まだまだ、昼がディナーで、夜はサパーの時代だ。

 貴族や富豪でも、昼にみっちりと食って、夜は酒の肴程度の食事で済ませる。この時が一番の稼ぎ時。小声で確認し合いながらも、目は担当テーブルの食事の進み具合のチェックを怠らない。

 そろそろ俺の担当テーブルは、メインディッシュの火を入れて良さそうだ。

 給仕長の了承を得て、厨房に指示を入れた。


 一日の仕事を終え、店内の掃除を済ませた頃……。

 ルシータから、フレンドチャットで誘いが来た。

 いくらゲームで男女格差が調整されているとはいえ、薄暗いガス灯の照らす夜の街。ビール・ハウスで待ち合わせるとは、良い度胸をしている。

 念の為、舞衣も誘ってみたが、あっさり拒否してログアウトしやがった。

 ……意固地な奴だな。

 カウンターでスタウト・ビールを1パイント……大きめのグラスで1杯って所かな。それと、ナッツをつまみに買って、ルシータを探す。

 いた。濃い目のビールは合わないのか、日本で主流のラガータイプのビールのグラスを傾けつつ、スタンドテーブルに凭れている。


「やっぱり、ホテル・ラフロイグは稼げるみたいね。……羨ましい」


 緩く結った髪を揺らして、勝手に俺のナッツに手を伸ばす。

 まあ、いいけどな。


「フェイダーズ・インも悪くはないけど……まだ舞衣って娘はクビになってない?」

「後釜を狙っても無駄だぞ。あいつは、要領がいい」

「チェッ……何か、客から良さげな話は出てきてない?」

「眉唾ものの話なら、『街の外の魔物用に、銀の武器を持っていかないと』とかは聞いたけど、吸血鬼なんかと混同しているっぽい」

「まあ、それも情報よね……念の為の」


 ハイネックブラウスから微かに見える白い喉を鳴らして、ビールを呑む。

 悪い女じゃないんだが、この誘うような態度には慣れない。

 他のゲームじゃあ有り得ないのだが、キャラクターの俺の股間には、見慣れたものがぶら下がってるし、ちゃんと勃つ。

 使えるのか? とか、女子も同じか? とかも考えるけど、試してみる気はない。金持ち連中が覗き見してるっていうのに、そんな真似ができるかっての。


「あとは、ホテルのロビーに楽団が入ったな。ピアノとヴァイオリンがプレイヤーだ」

「音大生か、バンドマンかな? そういう特殊スキルは羨ましいっ」


 身を捩ると、露骨に胸が揺れる。

 身体スキャンで、本当に見慣れたモノがぶら下がってるだけに、乳暈や乳首まで本人のままなのだろうか? と、うっかり思ってしまう。

 そんな考えも、視線も見透かしたように、ルシータはしなやかな髪を指で弄ぶ。


 ……ん? 髪?


「なあ、ルシータ。お前の髪は、どうしてそんなに、しなやかで艶が有る?」

「あら? それは口説き文句?」

「全く興味が無いとは言わないが、どこから覗かれてるか解らない所でやれるかよ。……それに、真面目な話だ。この時代じゃあ、有り得ないだろう?」


 シャンプーもトリートメントもない。

 整髪料はベッタベタなものばかりで、それを落とせるほどの水も使えない。屋根裏の使用人部屋から、井戸まで、水桶持って、階段を何階登り降りしなきゃいけないと思ってる?

 そんな中で、ルシータの髪の艶は異常だ。

 ルシータはいかにも楽しそうに笑って、片目を瞑った。


「あのね、アオイくん……。ゲームの舞台は19世紀でも、私たち自身は21世紀に生きているのを忘れてない? 私たちの時代の知識で、この時代に存在するものを使えば、代用品くらいは作れるのよ?」


 あ……。


 目から鱗が落ちるとは、この事だろう。

 VRMMOはリアルな生活ができるだけに、うっかりこの時代の人間の考え方をしてしまうけれど……確かにそうだ。

 必要なものが有るなら、リアルの時代でこそ、調べてみればいいじゃないか。


「求人広告のヒントを貰ったお礼も有るから……これをアオイくんにあげよう。小瓶2つを余計に準備しておいて正解ね。舞衣って娘と、その楽団の娘もこれを餌にして、仲間にしちゃおうよ」


 ルシータはポーチから、小さめのペットボトルサイズと、ドリンクサイズのガラス瓶を2つ並べた。

 これがシャンプーの代用品らしい。

 でも、俺は全く別のことを考えていた。……まだそれには金が足りない。

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