第2話 自己犠牲
K市の城下町において、
「商人の街」
と、
「武家屋敷」
の間に、一級河川が流れていて、
「以前は内濠だった」
ということは、前述のとおりだが、商人の街の一番川から近いあたりに、昔からの老舗の店が残っている一帯があった。
このあたりは、一級河川からの水が、店で作るものに大きな影響を与えたり、川からすぐに、小舟を出して、そのまま海上交通ができる大型船に、ここから小舟を使って、荷物を運搬できるのだから、
「何とも便利なものだ」
ということで、江戸時代から、お濠の後を、商業目的で利用するということが行われていたのだ。
何といっても、今では、水もだいぶ汚染されえ来たと言われるが、少なくとも江戸期、さらには、明治時代までは、このあたりで重工業のようなものが流行ったということもなく、工場があったという話は聴かない。
しかし、大正から昭和にかけての、
「大日本帝国時代」
というと、重工業が発展していったので、K市にも、軍需工場ができて、川の水も、産業排水によって、かなりひどい状態になったという話であった。
それでも、戦後は、このあたりにあった軍需工場は、ほとんどが空襲でやられてしまった。
そのせいもあってか、そのおかげで、それ以降、高度成長時代であっても、このあたりに、工場ができることはなく、比較的平和な地区であった。
だが、貧富の差の激しいところであった。
というのも、
「このあたりには、昔の部落のようなものが残ってもいるし、山の麓あたりには、会社社長の家が乱立していたりと、まさに、天国と地獄のような様相を呈していた」
といってもいいだろう。
そんな、
「天国と地獄」
のような土地は、戦後、下手をすれば、どこにでもあったといってもいいだろう。
没落したとはいえ、元華族のような人たちの屋敷があったり、財閥系の会社の社長がいたりと、どちらも、戦後没落の一途をたどったところもあったり、さらには、
「差別の権化」
と言ってもいい、部落扱いされているところもあったりした。
K市というところも、類に漏れることなく、そんなところだったのだ。
戦後の混乱時期は、どうしても仕方がないと言ってもいいだあろう。
特に、
「ハイパーインフレ」
が起こり、物資が致命的になかった時期は、田舎に行って、食料と、着物などの、
「金目のもの」
との交換も、ままならないくらいだった。
何しろ、農家の方は、都会から、そうやって物資を食料と交換と言ってきても、皆が似たものを持ってきても、限りある食料を分けるのだから、そこらあたりはシビアであった。
だから、なかなかうまくもいかない。
そんな時代を乗り越えて、政府の強引な
「新円の切り替え」
によって、何とかハンパーインフレはなくなることになるが、貧富の差はさらに激しくなったかも知れない。
とにかく、札束が、紙切れ同然になったのだ。新円に切り替わってしまうと、本当の紙屑と化す。
そうなると、
「貧しい人はさらに貧しく」
ということで、歯止めが利かなくなる。
「どうやってでも、生き残ることができる人が強い時代」
だったのだ。
そんなことを考えると、貧富の差が激しいのは、当たり前のことだった。
そんな中で、比較的、老舗と言われるところも危なかったのだろうが、キチンと切り盛りできる番頭さんがいるところは、何とか生き残ることができた。
それ以上の高度成長時期には、その勢いをかって、しっかりと昔の勢いのまま営業を続けられたことだろう。
次第に、日本が高度成長から、
「富んだ国」
に変わってくると、昔からの老舗というのは、結構、見直されてきて、無難な経営をしているところは、しっかりした商売で、地道ではありながが、しっかりとした経営ができているのだった。
そんな時代の、昭和も終わりかけた頃であろうか、もう、昔に戦争があったなどということを口にする人もいない、
「日本は平和憲法に守られている」
という、
「お花畑的な発想」
を持っている人もいるが、
「果たして、そうなのだろうか?」
と感じさせられるであった。
というのも、世間は、結構、時代の流れに敏感で、昭和の終わりに近い頃というと、社会的には、
「比較的、平和な時代だった」
と言ってもいいかも知れない。
というのも、この時代には、
その少し前が、
「高度成長期が続いているが、その裏で、社会問題も起こってきている」
というのが、見えてきた時代だった。
「誰も想像がつかなかったのか?」
とも感じる時代で、その大きな問題というのは、
「公害問題」
と言われるものだった。
その公害問題というと、工場からの排水であったり、煙突からの煤煙であったり、それによって、身体に変調をきたす人も多く、さらには、生まれてくる子供が、正常ではない状態で生まれてくるなどの問題があった。
中には、
「予見できたはずなのに、分かっていて、排水を流していた」
という、
「確信犯」
のところもあった。
たぶん、
「どうせ、因果関係を証明できないと、罰することはできない」
とタカをくくっていたのだろうが、分かってしまうと、もうどうしようもなくなることであろう。
何と言っても、ここまでの社会問題なのだ。社会的にも、大きな問題として、
社会では、
「被害者集団訴訟」
というものが巻き起こり、
「数十年に渡って、裁判が続く」
ということになる。
その間に、被害者は増え続けることになり、
「これ以上のひどいとはない」
という、
「昭和時代の汚点」
といってもいい状態になっていたのだった。
そんな時代において、当時小学生だった男の子がいるのだが、その子は、喘息を患っていた。
実際には、喘息だけだったので、それほどひどくもなかったので、
「定期的な病院への通院」
ということで、何とかなっていたのだった。
ただ、本人が、意識していなかっただけで、どうも、精神疾患のようなものがあるということだった。
その病気というのは、今の時代で言われているような、いろいろな精神疾患とよく似ているという病気であったが、実際には、
「実にごくまれな病気で、
「医者の中には、この病気をほとんど認識していない」
という人もいた。
ただ、今の時代になり、あたかも、
「最近になって発見された」
という風に実しやかに囁かれてはいるが、実際には、
「今に始まったことではなく、昔からあったことだ」
ということであった。
しかし、それをあまり大っぴらに言えないのは、
「実は、この病気が、公害が元で起こったものだ」
という論文を書いた人がいたが、
「何と学会も政府も、この論文を抹殺した」
ということを、一部で言われていた。
基本的に、
「まさかそんなことはないだろう」
ということで言われるようになったので、誰も、言わないというのか、
「緘口令」
というものが、
「暗黙の了解」
であるかのようにされたのだった。
そんな状態において、
「俺たちさえ、黙っていればいいんだ」
という、良心の呵責があるのかどうか分からないが、
「言ってしまうと、どんな目に遭わされるか分からない」
ということになってしまえば、
「もうどうすることおできないのではないか?」
ということになるのであった。
それを考えると、
「今の問題も、さかのぼれば実は昔からあった問題なのかも知れない」
ということだった。
一つ大きな問題として。分かっていることが少しだけあったのだが、それが一番厄介なことであり、
「この精神疾患は、遺伝する」
ということであった。
しかも、
「なんと、まるで風邪のように、相手に移せば、移した方は、治ってしまう」
ということであった。
だから、
「移せば勝ち」
ということであり、移さないと、下手をすれば、
「遺伝で子供にその症状が出る」
ということであった。
しかし、この時の遺伝で移った場合は、父親が治るということではない。
あくまでも、外部え移った場合だけ治るというもので、そのあたりが、矛盾しているようで、
「摩訶不思議な病気だ」
と言われるゆになったのだった。
その病気は、
「突然変異」
と言われるようになった。
「伝染病」
であり、遺伝するということは分かっているのだが、外部で伝染するのは、
「何をすると伝染するのか?」
ということは、解明されていなかった。
致死率の高い、
「恐怖の病気」
と言われているあの病気であれば、
「体液感染」
と言われている。
「性行為であったり、血液感染などでしか感染しない」
ということが分かっていれば、対策はハッキリと分かるのだが、性病などのように、性行為だけではなく、
「銭湯でも感染する」
と言われるものは、本当に用心しないといけないということになるのだ。
「空気感染する」
という病気は、この間の、
「世界的なパンデミック」
のように、マスクや、消毒などで対策を取るしかないということだ。
しかも、隔離が必須で、感染者が増えてくると、パニックとなり、
「医療崩壊」
というものが流行ってきて、
「受け入れ病院がないので、救急車の中で、死を迎える」
ということが、どんどん増えてくることになるのだ。
それでも政府の政策のひどさから、患者は減ることもなく、ひどい状況になり、最後には、
「自分の命は自分で守ってください」
と言わんばかりの対策で、匙を投げた状態になったではないか。
これらの病気が、伝染病による
「精神疾患だ」
ということになった時、研究者たちが、まず最初に取り組んだのが、
「いつから、この病気が流行り出したのか?」
という情報収集だった。
「いつから流行り出したのかなどということは、関係ないではないか?」
という人もいるかも知れないが、それは大きな間違いである。
というのは、
「いつから流行り出したのかということを探っていけば、そこから行き着いた時代の近辺で、伝染病が早く土壌がどこかにあったはずなので、もっといえば、下手をすれば、まだ見えていない他の病気も影響しているのではないか?」
ということが言えるのではないかと考えられるのではないだろうか。
それを思うと、
「時代をさかのぼるということをいかに考えるかということであるが、基本的には、すべての襄王が開示されている」
ということになるのではないか?
ということである。
ただ、逆にいえば、実際には、過去の歴史というものを使いこなせていないことで、
「ちゃんとわかっていれば、すべてのことが分かったのではないか?」
という発想になるのではないかと言えるだろう、
逆にいえば、
「過去において、そのある地点よりも前の歴史は、過去になる」
もっといえば、歴史というのは、すべてが時系列で繋がっていて、途中の時代に分からないことがあったとしても、過去から続いてきた歴史と、その結果として出てきたことも、歴史の一ページだと考えると、
「原因と結果があるのだから、経過を創造するのくらいは、難しいことではない」
と言えるのではないだろうか?
それが繋がれば、タイムパラドックスであったり、
「ロボット問題における、フレーム問題も解決することができるのではないだろうか?」
と言えるのである。
フレーム問題というのは、ロボットの人工知能が、一つのことを考える時、果てしなく考えて動けなくなることを解消する発想で、
「次の瞬間には、無限の可能性が広がっている」
という命題から、ロボットが考えがまとまらず動けなくなってしまうということから、
「じゃあ、無限にある可能性を、パターンでパッケージ化すればいいんじゃないか?」
という発想なのだが、考えてみれば、
「無限から何を割っても、無限にしかならないので、パッケージ化するのも無理がある」
という問題をフレーム問題だというのだ。
しかし、これを、歴史学のように、
「その答えとなる瞬間だけ分からないのであれば、そこに行き着くまでの発想を感性で結び付けたりすると、前を、前提としての、時系列と考え、未来に起こることを結果として捉えるとすれば、そっちのモノの見方をする」
ということで、
「時系列と結果という発想から、フレーム問題を解決できるのではないか?」
という発想であるが。果たしてどうなのだろうか?
ということであった。
確かに、
「フレーム問題」
というのは、すべてを、
「無限」
と考えるから難しいのであって、無限という言葉にだって、有限の部分があるのではないか。
つまりは、
「無限の中の有限」
さらには、
「有限の中の無限」
という、ある種の、
「限りなく何かに近いもの」
という発想にいきつくのではないだろうか?
そんな街において、老舗商店街の中に、
「お菓子屋さん」
と、
「酒屋さん:
があった。
それぞれに、旧家ということで、江戸に収める献上品を、それぞれ、この店で作っていたということである、
これだけ大きな城下町だと、お菓子屋にしても、酒屋にしても、いくつも店がある、
大体は、最初に決めればその店が、
「天下の献上品」
ということで、いつも同じ店が行うというのが、当たり前になっていた。
だから、ここも、この両家が、昔から収めることになっていたのだが、この藩は、一つに決めたら、ずっとその店ということではなかったようだ。
機関がどれくらいだったのかは分からないが、数年に一度か、十数年に一度かくらいの割合で、
「コンクール」
のようなものが行われ、そこで、献上品が決められるという。
そう聞くと、
「何かきな臭いものがあるのでは?」
と誰もが思うだろう。
確かにそういうものもあったかも知れないが、基本的には、
「他の店にもチャンスを」
ということで、そのチャンスが回ってくることで、
「城下町の活性化につながる」
と言えるのではないか。
それが、名目ではあったが、やはり、
「贈収賄」
という問題がどうしてもあることは、
「暗黙の了解」
と言ってもいいだろう、
領主が、どのような考え何か分からないが、ここの城下町では、
「初代藩主から、行われていた」
ということなので、贈収賄というわけではなかっただろう。
しかし、途中からわいろを受け取るなどということはあったかも知れない。そのあたりはよく分からなかった。
ただ、一つ言えることは、他のミソであったり、醤油などの産業は、ちょくちょく店が変わっていたようだが、
「お菓子屋さん」
と
「酒屋さん」
に限っては変わったりはしていないということであった。
それだけ、
「店が大きく、他の追随を許さない」
というほどだったのか、
「賄賂がすごかったのか?」
と言えるだろうが、どちらにしても、
「金がなければ、どうなるものではない」
と言えるだろう。
それを考えると、
「ここの産業は、お菓子と、酒だったのか?」
と思われるが、そうではない。
ということは、やはり、この二軒は、他の追随を許さないほどだったに違いないということであろう。
おかげで、今のずっと続いてきていて、明治期の混乱、戦後の混乱を何とか抜けてきて、今では実に珍しい。
「江戸時代から続く老舗」
となっていたのだ。
「創業百年以上」
などという店は、全国でも珍しい。
それだけでも、大変な店に違いないのだ。
その二つの店において、
「どちらが先に開業したのか?」
ということにおいては、正直、今ではハッキリとしない。
というよりも、諸説あるようだ。
正直、そんなことは、別にどうでもいいことのようなのだが、今の両家の間では、深刻な問題になっているようだ。
最初は、仲よくやっていたのだという。同じ時期に同じように、幕府に献上する品を作っていた。それも、自分のところと同じように作っていたので、
「自分のところができても、相手ができていない」
逆に、
「相手ができているが、自分たちができていない」
などということは、許されない。
どちらもできてこその献上品なのだ。
それくらいのことは、二人とも分かっていることだろう。
それを思うと、
「仲たがいなどできるわけはない」
ということであった。
「お互いに助け合わないと、お互いに生き残ることができない」
というもので、両家は、どこかからか、お互いに子供たちが、それぞれ、
「許嫁」
ということで、生まれた時から、その運命は決まっていたといってもいいだろう。
だが、子供が、どう都合よく、結婚できるわけもなかった。お互いの子供が、
「男ばっかり」
だったり、
「男の子が生まれない」
などということもなかったわけではない。
仕方なく、用紙を取って、その子と結婚させるというようなことも行われてきた。
基本的には、男の子のところに、女性が、
「嫁入り」
ということになるが、
「三代以上、続くという時は、三代目は、女性側の家に入るということを、両家の規則としていた」
というのも、
「一つの家に子孫が集中してしまうと、パワーバランスが崩れる」
ということがあるのを懸念してのことだった。
だから、
「男の子に恵まれなかった時は、養子をとるか、女の子を当主にするか、それはどちらでもいい」
ということであった。
「婿養子を迎えて、養子を当主にする」
ということも最初はあったようだが、血のつながりを考えると、
「養子では、頼りない」
ともいえるのだ。
そもそも冷静に考えると、
「男の子ではないといけない」
というわけではない。
「武士だというわけではあないので、絶対に男子でないといけない」
ということもない。
そもそも、戦国時代などでは、
「おんな城主」
などというのも、多かったではないか。だから、
「当主は絶対に男でなければいけない」
ということはない。
むしろ、女性であっても、家系を世襲しているのであれば、
「立派な跡取りだ」
と言ってもいいだろう。
だから、嫁に行くのも、長女であっても、次女であっても、もっといえば、数人姉妹の末っ子であってもかまわない。両家の話し合いいよって決まるのだから、何も問題はないということであった。
そんな両家であったが、江戸時代は、実に平和に営めたようだった。
何しろ、幕府による締め付けがあったが、その代わり、天下泰平の世であったのは間違いない。
「決められたことをしてさえいれば、平和に過ごすことができ、幸い、幕府の存命の時には、献上品は、滞りなく、納めることができた」
ということであった。
両家は、江戸時代、さらに、明治、大正、さらに、昭和の敗戦まで。
という時期は、
「決められた伝統を守ったからか、うまく運営できていた」
と言えるだろう。
要するに、明治以降は、
「大日本帝国」
という、
「立憲君主国」
という政治体制においてだった。
幕府がなくなると、献上するところがなくなってしまい、
「それまでの特権階級が、なくなってしまうのでは?」
と懸念された。
何と言っても、それまで、武士の時代だったことから、最終的に、武士も、
「士農工商」
という身分制度も撤廃し、
「立憲君主」
という国の体制を作り上げたのだから、その道筋は、かなりのいばらの道だったに違いない。
時代は、帝国主義の植民地時代。
欧州列強は、
「どうやって、アジアでの派遣を握るか?」
ということを考え、日本だって、うかうかしてはいられないということを、明治の元勲は分かっていた。
「とにかく、諸外国に追いつけ、追い越せで、そうなった時点で、屈辱的な、不平等条約を何とかしなければならなかった」
ということである。
それでも、この時代でも、献上品の制度は密かに続いていたようで、しかも、
「江戸時代には、幕府へ献上問屋」
という肩書があるおかげで、売り上げもそこそこあったことで、それ以降も、老舗の名に恥じぬ、功績を残したということで、その力は、揺るぎのないものだった。
そんな時代、今度は献上先が、軍になった。
それまでは、
「幕府御用達」
だったものが、今度は、
「陸軍御用達」
「海軍御用達」
ということになったのだ。
他の県の御用達も、それぞれの地域に拠点を置く、軍の支部、師団にそれぞれ献上することになった。
それは、K市においても、同じことであったのだ。
当時の日本は、
「国力を上げる」
という目的の元、
「富国強兵」
「殖産興業」
などというスローガンのもとに、帝国を、そして、帝国軍を強く、さらに、富ませるということを目標にしたのだ。
もちろん、国を富ませるには、産業が充実していないといけない。そして、国が富むことで、兵力を整え、外国が侵略してこないほどの軍を育成し、次第に近代国家としての様相を呈してくることになるのだった。
最終的には、外国から一方的に押し付けられた、
「不平等条約を撤廃させる」
というのが、最終目標だったのだ。
だから、明治初期には、
「鹿鳴館」
などという、迎賓館を造り、そこで毎日のように、国賓をもてなすような振る舞いをしていた。
すべてを静養に彩ってはいるが、来賓の中には、日本のことを、
「まだまだ」
と思っていて、そもそも考え方が、
「野蛮」
と思えたのもありなのだろう。
そもそも、諸外国の住民たちは、
「日本などという国は知らない」
と言っていただろう。
確かに、わざわざ教育で日本を取り上げることはない。
日本だって、イギリスやアメリカがどれだけ超大国であっても、その歴史までというと、ほとんど知らないと言ってもよかった。
今でも教育を受けているとはいえ、中途半端な知識しかないだろう。その時代であれば、まだまだ教育が行き届いていないどころか、その国に長く滞在していなければ分からないことであろう。
だから、諸外国が、日本のような豆粒のような国を、いちいち気にするというものだろうか。
世界のほとんどの人は、
「日本? 何それ?」
と思っていたことだろう。
だからこそ、戦後になって、民主国家となってからも、
「日本人は、ちょんまげを結い、腰に刀を下げている国で、カメラを首から下げている出っ歯な国民」
という印象が芽吹いていただろう。
さらに、日本というものは、
「ハラキリ」
「カミカゼ」
などという、
「自己犠牲」
が強い国だと認識されていることだろう。
だからと言って、
「敬意を表している」
というわけではない・-。
「何て、野蛮な国なんだ?」
と思っているのではないだろうか。
今の日本人だって、イスラム過激派などが行っている
「自爆テロ」
などを見ると、果たしてどう思うだろうか?
何かの目的にために、皆必死になって戦っているわけで、自分が自爆テロをしても、
「この世で報われることもなかったので、組織に入隊したということなのだから、最後まで報われることもなく、散っていった」
ということである。
冷静に考えれば、自爆テロをしたことで、自分が報われるわけではない。
「社会が変わって、イスラムの人が爆発的に、生活がよくなるわけでも、迫害を受けることがなくなるわけでも、何でもない」
いくら、
「祖国のため」
と言っても、結果は、相手国の罪もない一般住民を、数人殺すというだけのものでしかないということである。
「そんな自爆テロというのは、日本のハラキリとは精神が違うが、カミカゼとも違っている」
と言える。
ハラキリは、自分が法度に背いたことで、その規律を守るために、覚悟を決めて死を選ぶということであるが、そもそも、その法律が効力がどこまで及ぶかということなのだが、基本的に、
「人に迷惑を掛ける」
ということはないだろう
では、
「カミカゼ」
の場合はどうであろう?
戦争に勝利するという意味で、最後の手段として行われるのが、
「カミカゼ特攻隊」
と呼ばれるものだった。
そもそも、この時の、
「大東亜戦争」
というものは、真珠湾において、アメリカ側が、
「騙し討ち」
などとほざいているが、実際には、アメリカの策略ではなかったか。
そもそも、
「ヨーロッパの戦争に協力してほしい」
と言うチャーチルの言葉を聞いておきながら、実際には、
「開戦に持っていくには、議会の賛成が必要だったが、なぜヨーロッパの戦争にアメリカが介入しなければいけないのかということが根底にあったのだ」
と言えるだろう。
「アメリカは遠い国なので、ナチスドイツの勢力が拡大しても、アメリカには関係ないという意味で、国民感情として存在したイデオロギーである、モンロー主義が寝強く残っていたのだ」
と言えるのだ。
だから、アメリカは、日本を攻撃させておいて、日本に戦闘状態にあるということは、同盟国である、ドイツに対しての、
「宣戦布告」
であることに変わりないのだった。
だから、日本からすれば、
「アメリカの都合に合わせて、ヨーロッパ参戦のための、欺瞞だった」
と言っても過言ではないだろう。
だから、宣戦布告は、
「アメリカによって、わざと妨害され」、
アメリカにとっても、大義名分を与えたことで、アメリカは、
「いい国」
ということにない、日本は引き釣り出されたということで、
「悪役」
になってしまったのだ。
だから、日本は、本来なら、普通に戦争をしていたのに、アメリカは、自国の都合のために、日本を利用した。
それは、
「飛んで火に入る夏の虫」
ということで、最初だけは、日本有利だったが、最終的には、日本のほとんどが焦土となり、
「組織的イな戦闘は、すでに終わってしまっていた」
ということで、
「爆弾を積んで敵機に突っ込む」
という決死の作戦を行うしかなかったのだ。
もちろん、相手国にも被害が出るが、
「正当な戦闘」
において、
「相手をせん滅させるのが、戦争だ」
ということになると、
「カミカゼ特攻隊」
というのも、ある意味、戦争の方法としては、正当だといえるのではないか?
そんな戦争で、相手に犠牲者が出るのは当たり前で、
「戦闘」
の作戦としては、
「カミカゼ特攻隊」
ということも、
「自爆テロ」
というものも、見た目は変わらないだろう。
しかし、カミカゼ特攻隊というのは、あくまでも、
「国家間の戦争」
つまりは、国際法に乗っ取った戦争であれば、良し悪しは別にして、
「祖国のために」
あるいは、家族のため、いや、スローガンとして、の建前以外に、
「家族のため」
という、人間であるからこそに考えが至るということではないだろうか?
それを考えると、
「自爆テロ」
というのは、影で暗躍していて、国家間の正当な戦争とは違う。
あくまでも計略として、
「ある一定数の敵を、さらには、しかも、一般市民を攻撃するという。それだけでも国際法違反である」
ということになるだろう。
そういう意味で、
「自爆テロ」
に関しては。本来なら罰せられるべきなのだが、何せ相手は、国連加盟国というわけではない、
そういう意味では、
「国連というものは、完全に無力なものだ」
と言えるのだろう。
日本とアメリカの、
「大東亜戦争」
が起こったのが、
「帝国主義時代の終盤」
と言える。
「第二次世界大戦」
という時代だったが、それから、世界は、
「東西冷戦」
という、ところどころでの、局地戦が行われた。
最初の頃は、
「独立戦争」
というものが多く、世界大戦が終わったことで、植民地諸国が、宗主国に対して、独立運動を起こし、
「主権を回復」
した時代から、今度は、
「朝鮮戦争」
「ベトナム戦争」
などのような、
「代理戦争」
が行われるようになったのだ。
その理由としては、一目瞭然であるのだが、
それこそが、
「核による抑止力」
だと言ってもいいだろう。
アメリカに続き、ソ連も核を持った。
だから、力は均衡したのであった。
こんな時代を、
「東西冷戦」
と呼んだのだ。
しかし、ソ連が崩壊し、社会主義国家が破綻していくと、
「国家間での戦争」
という、
「大義名分」
というものが持てる時代ではなくなってきた。
それ以降は、
「国家間における戦争」
はなくなり、ゲリラ戦のような、テロ行為が蔓延するという、
「国連や国際法の介入できる戦闘ではなくなった」
という意味で、
「泥沼の時代に入った」
ともいえるのではないだろうか?
そんな、
「自己犠牲」
というものを考えていると、今の時代は、ある意味、嘆かわしく感じる。
確かに、自己犠牲というものを、
「美」
のように感じるという感情もあるが、実際にそんなことをする人など見受けられるわけもない。
特に、
「家族愛」
などというのも、あってないようなものではないか。
もちろん、ひどい例で、極端ではあるが、いろいろなところから、
「親が子供を虐待している」
などというニュースが聞えてくる。
家庭相談員が、出かけていっても、相手の親が証拠を見せない。そのくせに、相談員が帰ると、子供を風呂場に連れていき、水風呂に付けたり、身体中に痣ができるほど、叩いたりする。
もちろん、肌が露出しているような腕や足、顔などを傷つけたりはしない。気づかれないようなところを叩くのだ。
何とも卑劣で、恐ろしく行動であろうか?
親はそれを、
「しつけだ」
という。
何がしつけなものか。
「子供をいたぶることでしか、ストレス解消できないやつに、親を名乗る資格などあるわけはない」
ということである。
身体の傷はしばらくすれば、取れるだろうが、心についた傷は、下手をすれば一生消えない。
消えたように見えても、ふとしたことで現れて、ずっと、彼を傷つけることになってしまう。
それだけの、激しいトラウマに見舞われ、しかも、その痛みは、当然のことながら、
「本人にしか分からないのだ」
ということである。
そんな時代に入ったことを、自覚している人、分からない人。その違いは、
「当事者なのか、そうではないのか?」
という違いなのであった。
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