世界には二通りの翼がある
うみしとり
世界には二通りの翼がある
それは天使だったのかも知れない。
高校帰り、予備校をサボって近所の土手を散歩する私。
喫茶店に入るにはちょっと心許ないお小遣いだったので、早く時間が過ぎないかとぶらぶら散歩していた時のことだ。夏に差し掛かった桜の葉は退屈なほどに濃い平坦な緑色だ。
そばを通り過ぎる自転車のベルの音が心に刺さる。
「いっそ世界が終わってくれないかな……」
そう呟いた瞬間。
突然、眩い光に包まれた。
初めは立ちくらみかと思った。何か脳機能に異常が生じたのではないかと思った。こんなところで倒れたら、塾サボってたのがバレちゃうなと微かに考えた。
でもそうでは無かったようだ。
光の中から現れたのは、翼の生えた人間だった。
ギリシャ彫刻のように美しい造形をしたそのヒトは私を見るとその碧眼を大きく見開く。
「……人間だ」
そりゃあ人間ですとも。
貴方と比べたら。知らないかもしれませんが、こちらの世界では翼がない方が圧倒的マジョリティなんです。
「コスプレ……?」
思わずそう声が出た。
しかし目の前の存在はあまりに自然で、あまりにもよくできていた。さながら生まれた時から翼の一つや二つくらい生えていましたがといった具合だ。
「天使です!!」
その存在はその可愛らしい顔をくしゃりとさせて言った。
そっか、天使か……
あたりをキョロキョロと見回してみたが、ちょうど良く歩いている人などおらず、この目の前の事象が自分の幻覚なのかどうか確証を持つことができなかった。
とりあえず目の前の天使に向き合ってみる。
声を落とし、さながら恋模様の噂話でもするように。
「何しに来たんですか?」
そう問いかけると、間髪入れずにソレは答える。
「世界が終わるからです! おめでとうございます!」
……めでたいのか?
「なんで終わるの?」
「なんとなくです」
なんとなくで終わらされる70億の人類の身にもなって欲しかった。そりゃ終わって欲しいとかは常々思ってたけどさ、いざ終わるってなると……なんかちゃうやん?
「……それで、ですね」
天使がおずおずと口を開く。
「世界が終わる人をこの世界の人類代表に伝えなくてはいけないのですが、一体何処へ行けばいいんでしょう」
「どこだろうね……」
国会議事堂? いやホワイトハウス?
でもなんかそれを代表にするのは癪に障る……それにこんな面白いこと他人に教えるのは勿体無い。
「私で良いよ」
「そうですか! それはちょうど良かったです! では他の人類の方々にもお伝えください」
「気が向いたらね。ちなみにさ、世界が終わるとどうなるの?」
「消えて、それでおしまいです」
完全な無ということらしい。
どう言った事なのか全く分からないが。
「それはもう覆せないの?」
世界をそれほど惜しいと思っているわけではないが、人類代表になったからには少し足掻いてみたかった。
「難しいですね……上長の決定なので……」
そっかぁ。難しそうだね。
「じゃあ私だけ残すことはできる?」
「うーん」
しばらく天使は頭を捻った後、スマートフォンに見えるようなものを取り出した。
「ちょっと確認しますね!」
そう言って電話に向かい合っている。
そんな天使を私は観察する。
相変わらず惚れ惚れするような造形である。ティピカルな天使像よろしく金髪の美しい容姿。電話に向かい合いながらサラリーマンよろしくぺこぺことお辞儀する……。
翼の付け根は身に纏った白いドレスの向こう側になっていて良く見えない。
好奇心だろうか、そこに何があるのか確かめたくなった。
そっと手を伸ばしてみる。
ゆっくり、ゆっくり私の手が天使の羽の間へと入り込んでいく。
そして触れる。
「ひゃあ!! ……すいませんすいません。何にもないです。いやふざけているわけじゃ」
天使が私を睨みつける。
小声でこっちに向かって言った。
「なんなんですか……?」
「ちょっと気になって。それ飛べるの?」
「待っててください」
天使は電話先と何やら会話を交わした後、スマートフォンを翼の内側にしまう。
首をちょこっと傾けて、微かに髪を揺らしながら天使は私に問いかける。
「世界には二通りの翼があります。ご存知ですか?」
「なんとなく。飛ぶための翼と、魅せるための翼」
「惜しいですね」
ちっちっち、と天使は人差し指を振る。
「見せるための翼と、見せないための翼です」
「飛ばないの?」
「飛ぶために生まれてきた翼なんてひとつもありません。でも天使が天使であるために翼は必要です」
「飛べないの?」
「ちなみに飛べます。でも貴方たちだって飛んでるじゃないですか」
「じゃあ見せないための翼って?」
「天使が天使であるために、必要のない翼のことです」
「どこにあるの?」
「ここにないからあるんです」
私が首を捻っていると、天使は手を叩いた。
「おめでとうございます! あなたは残ることができます」
「どうも。それってさ、どうなるの? この世界にひとりぼっちっていうのは嫌なんだけど」
「すぐに分かりますよ。それにいつだって貴方達はひとりぼっちだ。世界が終わろうともそうでなくても」
「……寂しかったら迎えに来てくれる?」
「もちろんです」
じゃあ、と天使が宙を指さす。
一瞬の後に光が掻き消えた。
1秒、2秒と時が過ぎていく。
待ち構えていたような世界の終わりは到来しなくて、私の身体にも周囲にもなんの変化もなかった。
自転車が横を通り過ぎていく。
遠くからこちらに走ってくるランニングウェア姿の人が見える。
こともなし、世界はいつも通り。
きっと幻覚だったのだろう。
そう思うことにした。
だってあまりにも馬鹿馬鹿しくて、受験は来年に控えていて。狭窄した世界で、未来なんて見えなくて。
なんとなくの怖さだけが、なんとなくの期待と一緒に冷たく横たわっているいつも通りの青春だ。
ただたまに思うことがある。
クラスメイトとの会話の隙間の断片に、あるいは放課後の香りの酸素分子のほんの隙間に。
もし、もし、世界が本当に終わっているのだとしたら?
見せないための終わりが、もう存在しているのだとしたら?
ここにあるからこそ、ないのだとしたら。
きっと私は、翼を持っていることになるのだ。
いつか気がつくのだろうか、わたしこそが天使だったのだと。
気がついて、何をするのだろうか。
私は予備校をさぼって、
世界のガラガラと終わる音を聞きながら。
そして世界には二通りの翼がある。
世界には二通りの翼がある うみしとり @umishitori
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