第14話ニューヒロインと言っても過言ではない

水野彩は少しだけ戸惑いながらも大型家具店へと向かっていた。

一から預かっている金額内でベッド一式を購入しようと店内をウロウロと歩いている。

結構な金額を渡されており水野彩は少しだけ戸惑いながらも比較的安い物を購入しようとレジへと向かった。


「いらっしゃいませ。こちらを購入と言うことでよろしいですか?」


水野彩は無言でただ縦に頷くだけだった。


「お届け日時はどう致しましょう?」


タブレットの画面をこちらに向けてくる店員に水野彩は店休日を思い出して最速の日にちを選択していた。


「かしこまりました。お届け先のご住所をお教えください」


店員の言葉を受けて水野彩は一に聞いていた住所をあらかじめメモ用紙に記入していた。

それを店員に差し出すと店員はタブレットに入力している。


「ありがとうございました。ではお会計は…」


そうして水野彩は無言のまま店員とコミニュケーションを行って買い物を終わらせる。

そのままお釣りと残金を持ったまま洋服などの必要な物を買い揃えてから一の家へと帰っていく。



電車に乗って街まで帰宅するとその足で一のマンションへと向かっていた。

その途中に急に肩を叩かれて後ろを振り返った。


「偶然!これから仕事ですか?」


そこには昨日出会ったばかりのホールアルバイトのケイの姿がある。

水野彩は首を左右に振るがどの様にして答えたら良いのか迷っていた。


「今日は休みですか?」


再びの質問に水野彩は首を縦に振った。


「ですか。じゃあ買い物か何かですか?」


何度と無く質問を繰り返すケイに水野彩はウンウンと頷いて応える。


「そうですか。私は今からお仕事で…アルバイトの方じゃないんですけど…」


少しだけもじもじとした態度で何かを聞いてほしそうなケイを見た水野彩は軽く苦笑してメモ用紙を取り出した。


「昨日言っていた声優のお仕事ですか?」


メモ用紙に記入した文字をケイに見せると彼女はパッと表情を明るくさせて大きく頷く。


「そうなんです!でも周りの人には秘密にしておいてくださいね?」


水野彩は本格的に表情が引き攣って苦笑するとどうにか頷いて応える。


「じゃあまたバイトの時に!」


そう言うとケイは嬉しそうな表情を浮かべてそのまま街の奥の方までずんずん進んでいった。


水野彩はケイが声優という仕事に誇りを持っており周りに自慢したい気持ちを隠し持っていることを理解して再び苦笑する。


そのまま一のマンションまで帰宅しようと帰路に就いていると…。

マンションの前にタクシーが停まっていた。

中から母親と娘と息子が降りてきてスマホをいじっている。

水野彩は何も気にせずに前を通り過ぎてエントランスの中へと入って行こうとして…。


「すみません!」


急に声を掛けられた水野彩は戸惑いながら後ろを振り返る。


「あの!………号室の住人をご存知ですか?」


それは間違いなく水野彩が仮住まいさせてもらっている一の部屋番号だった。

水野彩はどう答えたら良いのかわからずに首を傾げるだけだった。


「そうですか…ありがとうございました…」


理由のわからない感謝をされて困ってしまう水野彩は本日何度目かの苦笑の表情を浮かべてエレベーターに乗り込んだ。


(一さんの家族?恋人?

何だったんだろう…私が一緒に住んでいるの知ったら発狂するかも…)


一人きりのエレベーターの中で水野彩は少しだけ悩みながら目的階を目指した。

エレベーターが到着すると預かっている合鍵で部屋へと入っていく。

そこから昨日の内に確認していた冷蔵庫を開けると食事を一通り作り置きして過ごすのであった。



一屋にて。


僕は仕込みを終えて換気扇の下でタバコに火を付けていた。

青空から貰った高級ライターの調子がすこぶる良好だった。

火を付けた時の香りが違う気がしていた。

もしかしたら勘違いかもしれない。

それでも僕にはこれが心地良いと感じていた。

毎日手入れするのも苦ではない。

手間を掛けた分だけ愛着が湧くというもの。

そんな殆ど貴重品にも似た高級ライターを眺めながら一服の時間が過ぎていく。


「おはようございます」


本日のバイトである青空が裏口から入ってきて僕らは挨拶を交わす。


「そんなわけで新たに料理補佐の女性が入ったから。

まだ仮だけど…採用する予定。

ただコミニュケーションを取るのに筆談を用いるんだ。

料理している時とかは頷きとかのボディーランゲージになると思う。

でも仕事はしっかりとできるから。

僕も助かるしホールの二人にも理解して欲しい」


世間話の延長で業務連絡をすると青空は何でも無いような表情を浮かべている。


「ケイから聞いていました。かなりの美人さんなんですよね?大丈夫ですか?」


青空の質問に僕は意味がわからずに首を傾げるばかりだった。


「まぁ…店長のことですから大丈夫なんでしょうけど…

一応私達は心配でしたので言っておきます」


「そう…問題ないよ」


曖昧な返事を口にして今まさに同居していることは秘密にしていた。

いずれバレるかもしれないが僕らは何も嘘は吐いていない。

ただなんとなくバレると厄介な気がして秘密にして伏せているだけだ。

そうして本日も青空と二人で開店時間まで開店準備をして過ごすのであった。



営業時間は恙無く進行していき。

本日もノーミスノークレームで営業時間を終えると僕は店の戸締まりをしっかりとして帰宅していく。

スマホにはいくつかの通知が届いており帰り道に一つ一つ返していく。


「家にいると思って訪ねたんだけど…居なかったね…」


歌穂からの通知に僕は少しだけ戸惑いながら返事をする。


「おつかれ。今帰り道。

今日は少しだけ早く家を出たから。

それで居なかったんだ。

ごめんね。

何か用があった?」


「いや…ミカと爻が急に会いに行きたいって言うから…」


「そうなんだ。申し訳ないね。また会える時が決まったら連絡するね」


「わかった…次の店休日は?」


「あぁー。ごめん。しばらくは予定が詰まっているんだ。申し訳ないね」


「そうなの?急に忙しくなった?」


「うん。新たに料理補佐の娘を入れたから。修行というか研修を行うんだ」


「そうなんだ。女性なの?」


「そう。凄く腕が良いんだ」


「そっか…大丈夫?」


「何が?問題ないよ」


「分かった…私の思い過ごしだったね」


「ん?」


「何でも無い」


そこで僕らはチャットのやり取りを終える。

他にも来ていたチャットに返事をしていた。


「アフレコ始まったんです!生で天海監督を見てしまいました!」


「そう。おめでとう。どうだった?」


「はい。結構ディレクションをして頂いて。何度もリテイクを繰り返しました」


「そっか。全力で頑張ってね。ただやる気が空回りしないようにね」


「はい。がんばりますね」


そこでスタンプを押して返事をすると僕らのやり取りは終了した。


「夜食の用意してありますから…今日も晩酌に付き合っていいですか?」


水野彩からの健気な誘い文句に僕の表情はにこやかなものへと変化していた。

自分では気付いていないが…

どうやら僕の心は少しずつ動き変わりつつあるのかもしれない。

まだ何一つわからないのだが…

僕は了承の返事をすると急ぎ足で帰宅するのであった。



帰宅した僕を水野彩は優しく出迎える。

僕は何処かこの生活がいつまでも続いて欲しいと頭の中で妄想のような出来事を思い描いていた。


「ただいま」


たったの四文字の挨拶だったが、もしかしたら彼女もそれを喜ばしく思っていたかもしれない。

予め用意していたであろうメモ用紙を僕に見せてくる。


「おかえり」


同じ四文字の挨拶を送られて僕の心は温かい気持ちで満たされていた。


「夜食用意してくれたんだって?水野さんはちゃんとご飯食べた?」


彼女はそれに大きく頷くので僕らは玄関を抜けてリビングへと向かった。

テーブルの上には彼女が作ってくれた料理が並んでおり僕の腹の虫は急に鳴き出した。


「じゃあ頂いても良い?一緒に晩酌しよう」


水野彩はそれににこやかに頷くので僕らは本日も二人きりの長い夜を過ごしていく事が決まった。


「お釣りです…」


水野彩は僕に封筒の中身を見せてこちらに持ってやってくる。

メモ用紙を見せて僕に手渡そうとしているが…


「いくらか持っておいてよ。何か買ってきて欲しい時があるかもしれない。

一々渡すのは面倒だから。

預かっておいて。必要なときはそこから使って欲しい」


水野彩は何かを伝えようとメモ用紙を取り出そうとしていた。


「いやいや。僕のためだから。大丈夫。気にしないで」


彼女はその言葉を受けて少しだけぎこちない表情を浮かべていた。

だがビールを手渡すと素直に微笑んで晩酌の時間は始まるのであった。



特に関係性に変化は無かったが…

僕の心は何処か移りゆく気がしていた。

まだ勘違いかもしれない。

自らでも気付いていない。

そんな微細な感情の変化だった。



新たな歯車は心地のいい場所にしっかりとフィットして…

今後僕らの多面的で多角的な恋愛模様はどの様に変化していくのか…

まだ先のことは誰にもわからないのであった。

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