第2話何方向からも矢印が向かってきているようだ…

身支度を整えた僕は店へと向けて歩きだしていた。

先ほどの歌穂からの通知にどの様な返事をすれば良いかと頭を悩ませながら…


店に到着すると電気をつけて換気扇の下へと向かった。

自宅であるマンションではタバコを吸いたくなかった。

部屋に臭いが残るのを危惧している為である。

だがしかし…

僕以外の人物が家に訪問することはない。

部屋の中で吸っても何も問題は無いのだが…

なんとなく気分の問題だった。


換気扇の下でタバコに火を付けるとすぅーっと煙を吸い込んだ。

そのまま白い煙をはぁーっと吐き出すと本日一本目のタバコに身体が順応していくようだった。

身体に良くないとは言うが…

喫煙者の僕にはこの一本がないと完全体の僕にならない。

そんな錯覚がしていた。


等という言い訳を自分にしながら不健康になっていくことには目を背けていた。

数分を掛けて一本吸い終えると洗剤を使って入念に手洗いをする。

そこからは本日の仕込みに取り掛かるのであった。



十六時三十分。

本日のバイトは青空だった。

裏口のドアが開き彼女と挨拶を交わす。


「おはようございます。ケイから連絡ありました?」


「おはよう。あったよ」


「なんて返しました?」


「ん?青空さんに言われた通りに希望のある返事をしたよ」


「なんですか…それ…。私は店長のためを思って助言しただけですよ」


「ははっ。ありがとう」


「感謝されるようなことはしていませんよ。結局自分たちの為ですから…」


青空は意味深な言葉を口にするので僕は軽く肩を竦めてその場をやり過ごした。


「そう言えば昨日の帰りに…」


そうして僕は世間話をするように昨夜の帰宅途中の出来事を言って聞かせていた。


「深夜一時に親子が急ぎ足でこちらに向かってくるのは怖いですね」


だがその親子が幼馴染だったということは何故か伏せて話していた。

余計な詮索を恐れてだったと思うし…

なんとなく知られたくなかったのだ。

別にそこに変な下心は無かったと信じたいのだが…


「それで救急車を呼んだと…きっと父親のDVですね」


「え…?」


そんな情けない言葉が自然と漏れてしまう。

その可能性にたどり着けなかった自分の想像力の無さを呪った。

歌穂は結婚して二児の母になり幸せな生活を過ごしていると思っていた。

だがこれは僕の希望であって…

悲しいかなとんでもない勘違いだったのかもしれない。

それ故の助けを求めるための連絡だったのかもしれない。

悩み事を相談したいのかもしれない。

勇気を振り絞った歌穂に僕は未だに返事が出来ていないでいる。

これではだめだ。

そう思った僕はスマホを手にして一度お手洗いに向かった。


「ちょっとお手洗い行ってくる」


「唐突ですね。大丈夫ですか?」


「あぁ。不意に腹痛が来ただけだよ」


「不摂生しているんじゃないですか?健康には気をつけてくださいよ」


「善処する」


そこまで口にすると個室トイレに籠もってスマホを取り出した。

そのまま歌穂へと向けて返事をする。


「もしかして何か困っているの?

昨夜の出来事も何か原因があるとか…?

余計なお世話だったらごめん。

ただ嫌な想像が浮かんでしまって…

確認せざるを得ないんだ…」


その様なチャットにすぐに既読がつくと歌穂は端的な文章で僕に返事を送る。


「気付いてくれてありがとう…」


ただそれだけの文章だった。


「助けて」


などと言う文章が何処にも無いことから僕はこれ以上突っ込まないほうが良いような気がしていた。

しかしながら被害者だと思われる彼女はその様な言葉を軽々しく言えないだけかもしれない。

そんな事を思った僕は余計なお世話だと思いながら再び返事をする。


「何か力になれない?」


そのチャットに彼女は再び端的に返事を送ってくる。


「今度食事に行こう。二人きりで…その時にちゃんと話すから」


「分かった。じゃあまた今度」


そこでやり取りが終了すると僕はスマホをポケットにしまって個室トイレを出る。


調理場に戻ると青空は僕の様子を眺めて首を傾げている。


「何も出なかったんですか?

折角お手洗いに行ったのに浮かない顔をしていますね」


「あぁ…少し調子が良くないな」


「ですか…病気とかでは…」


「そうじゃないよ。なんとなく…気分的な問題だから」


「そうですか…これでも飲みます?

気分が落ち着く紅茶ですよ」


「あぁ。じゃあ少しだけ頂くよ」


そんな気の抜けた返事を口にすると彼女は僕にタンブラーをそのまま渡してくる。

それに不覚にも少しだけドキッとしてしまったが…

丁寧にコップに注ぐと一杯だけ頂く。


「ありがとう。気分が落ち着いたよ」


「営業に支障はないですか?」


コップをシンクの中に入れてそれに頷くと本日の開店準備を整えるのであった。




二十三時まで青空がホールで働いてくれて退勤のタイムカードを押している。


「お疲れ様です。何か悩み事があったら私達にも相談してくださいね?

何かしらの力になれるかもしれないので」


「うん。ありがとう。まかないはどうする?」


「じゃあオムライスで」


「またオムライス…」


「また?」


「ケイさんも同じもの注文したから」


「店長のオムライスが一番美味しいですから」


「それも同じこと言っている。ここは洋食屋じゃないんだがな…」


そんな言葉を残すと青空にもオムライスのお弁当を作ってあげる。

彼女はそれを受け取ると嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとうございます。美味しくいただきますね」


「あぁ。じゃあまた今度」


「お疲れ様でした」


彼女は挨拶を口にするとそのまま裏口から出ていった。

時計の針が天辺を指すまで僕は一人で業務に従事するのであった。




そして閉店時間を迎えると僕は閉店作業を行って店の戸締まりを完了させる。

昨夜と同じ様に一人疲れた表情を浮かべて帰路に就いていた。

あの曲がり角で歌穂がまた唐突に曲がってくるのでは…

そんな事を軽く想像していたが現実になることはない。

大人しく帰宅すると適当に晩酌をしながらテレビを眺めていた。


もう少し飲めば心地よい酔と共に眠気がやってくる…

そう確信して居た時のことだった…。


唐突にスマホに着信が入って僕の意識は飛び跳ねるように覚醒した。


「もしもし…」


相手を確認することもなく数コールで電話に出た僕に彼女は驚いたような声を上げた。


「びっくりした…出てくれるとは思っていなくて…」


その懐かしい声を昨夜ぶりに耳にして僕の意識は睡眠の水面から完全に顔を出した。


「あぁ…歌穂ちゃん…こんな深夜にどうしたの?」


「えっと…旦那が家を空けている今だから話がしたくて」


「ん?どういうこと?昨夜のことと関係あるの?」


「うん。多分想像ついていると思うんだけど…下の子がDV受けているのよ」


「あぁ…だから昨夜逃げるように家を出て救急車を呼ばせたってこと?

危険を感じたからスマホも持たないで家を出たってところ?」


「まさに…その通りだね…」


「それで?肝心の旦那は今何処に?」


「わからない…別の女性のところじゃない?」


「え?不倫までしているってこと?」


「そうだね。下の子が産まれてからはずっとそんな感じ。

家にいる時は下の子に暴力を振るう」


「どうして?下の子はそんなに言うことを聞かないの?」


「まぁ男の子だからね。何かと生意気だって言って暴力よ。

止めに入ると私までも殴られる…」


「そんな…何か僕に出来ることはない?」


「どうだろう…」


はっきりと助けを求める言葉を口にできない彼女のことを思って救いの手を差し伸べるのは簡単だろう。

しかしながら僕は彼女が今の旦那を愛している可能性も微レ存で考えていた。

彼女の口からはっきりと救いの言葉を求めたかった。

そうでなければ僕は手出しできそうにない。

他人の家庭に口出しすることは…

誰にも出来ないことだと未婚の僕は想像することしか出来ない。


「はっきりと言ってくれたら…善処するよ」


僕の軽い救いの手に彼女は反応するようにか細い声で言葉を口にする。


「子供だけで良いの…助けて…」


今にも泣きそうな彼女の声を耳にした僕は決意を固めて了承の返事をするのであった。




翌日。

目を覚ました僕に複数の通知が届いている。


「オムライス美味しかったです。タッパーは今日洗って返しますね」


ケイからの通知に僕は適当なスタンプを押して応える。


「毎度のお返しはちゃんと受け取ってあげてくださいね?」


青空からの通知に僕は苦い表情を浮かべざるを得ない。


「二人の食費を浮かすためにやっていることなんだがな…

毎度贈り物をされていたら元も子もない…」


「それでもですよ。

私達だって善意を丸々受け取るのは憚られるじゃないですか」


「善意はそのまま受け取ってほしいがな。僕は君等より十個も歳上なんだ。

それに雇い主だし稼ぎだって悪くなく生活にも困っていない。

だから君達からの贈り物は…

正直少しだけ困るんだよ。

でもまぁ…年下の娘に慕われていると言うのは気分が良いものなんだが」


「気分が良いなら今後も受け取ってくださいね。じゃあまたバイトの日に」


青空とのチャットを終えると僕は次の通知を目にする。


「昨夜は電話してくれありがとうね。

話せてスッキリしたよ」


「うん。子供の名前と住所を聞いても良い?」


「うん…」


そうして僕は彼女の今の名字と子供の名前を知る。

ついでに旦那の名前や職業なども聞くのであった。


何をするかと言えば児童相談所に連絡と警察に相談に行くということだった。

簡単に解決すれば良いのだが…

そんな僕の願いがいとも簡単に叶うことになるだなんて…

この時は思いもしなかったのだ。



事のあらましを簡単に説明することになって申し訳ないのだが…

児童相談所に虐待の報告をした。

後日職員が家を訪れて旦那はその事実を認めたのだ。

隠そうともせずにありのままを認めたそうだ。

警察に相談に行ったのも効果的だったようだ。

歌穂が脅しのように、


「警察に相談に行ったから…」


と口にすると旦那は翌日に離婚届を持ってきたようだ。

親権は彼女が獲得して元旦那は別の女性の下へと向かったようだ。

晴れてフリーになった歌穂と二人の子供は現在…

僕と外食に出かけている。



一気に歯車が回転して…

物語はここから再び転回していくのであった。

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