第33話 ロードスターは恋をする

 naturallyのカタログ撮影が終わった日の夜は、晴人がデリバリーのピザを注文して祝ってくれた。地元ではピザのCMこそ見ることはあっても、食べたことはなかったので憧れだったりする。美味しい、すごく。そのはずなのに、柊吾の不在の寂しさが勝った。

 それでも口にはしなかった。晴人の気持ちを無下になどしたくなかったし、またセフレのところかもと頭を過ぎるのが辛くても、明日になれば会えると思っていたからだ。


 だが朝になっても帰ってはこなかったし、naturallyにもその姿はなかった。シフト表では出勤の予定になっているのに、だ。

 さすがにおかしい気がすると、夏樹は柊吾にメッセージを送った。返事が来るまで画面から目を離したくないくらいだったが、土曜なのもあって店は一日中混雑し、合間に確認する時間もなかった。

 CLOSEの看板を出し、急いでスマートフォンをポケットから取り出す。返信がないどころか、既読の印すらそこにはなかった。


「店長、あの……」

「南くん、お疲れ様。どうかした?」

「お疲れ様っす。えっと……椎名さん今日来なかったっすけど、何か知ってますか?」


 レジで精算をしていた店長に尋ねると、なんだそんなことか、と言わんばかりの顔で微笑まれる。


「椎名くんなら、今日から一週間お休み取ってるよ」

「え……一週間休み?」

「うん、厳密には“一週間くらい”だけど。昨夜電話がかかってきてね、急だけどどうしてもお願いしたいって。まあ僕としては、有休も全然使わない仕事バカの椎名くんが休みたいだなんて、むしろ大歓迎だったけど。どんなに好きな仕事でも休息は必要だからね。あれ、でも南くんって椎名くんと一緒に住んでるんじゃなかった?」

「あー、えっと、はい……そうなんすけど、何も聞いとらんくて」


 連絡も入れられないような事態に陥っているわけではなさそうだ。夏樹は一先ずの安堵を覚える。だがすぐに不安はぶり返す。何故自分には教えてくれなかったのだろう。例えば旅行にでも行ったのなら、いってらっしゃいくらい言いたかった。


 気持ちが晴れずにいる夏樹の名を、スタッフルームのほうから誰かが呼んだ。尊だ。


「ちょっとこっち来て」


 他のスタッフの姿はもうなく、促されるまま椅子に腰を下ろす。すると向かいに座った尊が、夏樹の髪をくしゃりと撫でる。


「わっ」

「しんどそうな顔してる」

「う……尊くんにはいつもバレバレだね」

「まあな。椎名さんのことだろ」

「…………」

「俺さ、昨日もクローズまでで、最後閉めて帰ったんだけど。その後に会ったよ、椎名さんに」

「え……え! そうなの!?」


 尊の話によると、昨日仕事を終え自宅に帰っている途中、柊吾から電話がかかってきたとのことだ。居場所を尋ねられ何事かと思いつつ答えると、そこにいてくれと無茶を言われ、結局その場で十分ほど待ったらしい。あの人に迷惑かけられんの初めてだったかも、と尊は笑う。


「夏樹は一応雑用ってことになってるから、ここの鍵閉めることもなかっただろうし。それに椎名さんから絶対言うなって言われてたから、俺もそれなりに頑張って隠してたんだけど」

「……えっと?」

「ここの鍵……これにさ、あの人キーホルダーつけてたんだよね。夏樹のスマホについてるくまと同じやつ」

「え……これ? ふにゃくまのこと?」

「そう、そのみどりの。昨夜それ取りに来たんだよ、わざわざ」

「…………」


 夏樹がスマートフォンを取り出して見せると、尊はそれだと頷いた。夏に帰省した時、柊吾へのお土産に選び、おそろいにしたいと自分の分も購入したふにゃくまだ。

 渡した時に『俺がつけてたらおかしい』と言っていたのを覚えているし、実際にあれ以降見かけたことは一度もなかった。捨ててしまうとは思えなかったから、デスクの引き出しの奥にでも眠っているのかな、なんて考えていたのだが。

 実際はnaturallyの鍵につけていて、一週間の休みに入る直前の昨日、わざわざ取りに来た、なんて。まさかの話に夏樹は唖然とする。


「大事にされてんね、夏樹」

「……なにが? オレは、分からん。椎名さん、が、何考えとっとか」

「夏樹……」


 頭が混乱し、涙がこみ上げてくる。泣いてばかりで情けないと思うのに、どうにも止まらない。

 大事にされていると確かに思う、そんなことも分からないほど無神経ではない。だがそれを単純に喜ぶだけでいられないのも確かなのだ。

 尊は笑ったりなどせず、そっと髪を撫でてくれる。尊の優しさに、つい弱音が零れていく。


「好き、って言ったら、ごめんって、言われた……いつも、いつも困らせとる。でも好きなの止められんで、もう、苦しい」

「うん、苦しいな」

「うん……」


 ひとしきり泣いた後、尊が水を買ってきてくれた。尊自身はコーヒーを飲みながら、またひとつ柊吾のことを話し始める。


「ここに入ったばっかの頃、流れで椎名さんに相談したことがあってさ。しかも恋バナ」

「恋バナ?」

「そう。あの頃、彼氏とのこと……付き合ってんのになかなか次のステップに進めなくてさ、悩んでたんだけど。椎名さん、何て言ったと思う?」

「んー、分からん」

「急ぐもんでもないんじゃない、自分だったらそんな我慢できないけど――とか言ってた」

「わあ……」


 失礼なのは承知の上で、柊吾らしいなと夏樹は思った。セフレがいるのはつまり、そういうことが好きだということで、自分ならすぐにする、という意味なのだろう。

 だが、あの人は変わったと尊が続ける。


「そのふにゃくま? 取りに来た時にさ。急にその時の話されて。あれ撤回する、って」

「え、なんで?」

「本当に好きになったらすげー悩むし、色々躊躇するもんなんだな……だって。なあ夏樹、無責任なことは言えないけどさ。そんなに悲観することないと思う。俺はね」

「…………」

「夏樹に何も言わないで急に一週間休んで、一体何してんのかは知らないけど。わざわざくま取りに来た意味はあるんだと思う。人のこといつも想ってるところはマジじゃん、あの人。夏樹のこと大事なんだなって昨日もそれまでもずっと、俺は思ってたよ」

「うん……うん、そっか」

「はは、また泣いてる」

「うう、これは尊くんのせいじゃん~」


 尊の言葉たちが、昨日から不安でいっぱいだった心に満ちてゆく。

 尊の言う通りだと夏樹は思う。恋が実るかはさておいても、柊吾にもらってきた優しさはいつだって本物だった。だからこの一週間だって、きっと信じて待っていていいのだ。

 おかえりと笑って、心配したんだとちょっと怒ってみせたら、悪かったと笑ってくれるのかもしれない。お土産話をせがんで、またたくさん笑って。

 そうすれば、キスと好きのあとの『ごめん』も上手に昇華して、恋心をひとりで大事に出来るのかもしれない――そんな気がしてくる。

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