第30話 流れ星の落ちるところ2

 事務所の最寄り駅へは乗換案内のアプリも必要ないし、そこからだって宝の地図みたいなマップはもう見なくたって平気だ。

 エレベーターで五階へと上がり、顔見知りと言えるくらいになったスタッフたちへ挨拶をしながら奥へと向かう。


「社長、おはようございます!」

「おはよう南くん、待ってたよ」


 座るようにと促されたのは、上京してきた日と同じソファだ。腰を下ろすと、早川の瞳がまっすぐに夏樹を映す。


「ではさっそく。南くんに、アクセサリーのブランドからオファーがあった。来年のカタログへの出演をお願いしたい、とのことだ」

「っ、マジですか!?」

「はは、“マジ”だよ。驚いた?」

「めちゃめちゃびっくりです……電話でいいことだよって言ってもらってたけど、やっぱりすごく緊張しちゃって……はは、嬉しすぎて今心臓バクバクしてます。あの、でも何でオレに?」


 仕事が入っている柊吾と晴人は、夏樹より先にマンションを出た。柊吾は激励の言葉を改めて伝えてくれて、晴人はハグをしてくれたけれど。優しい人たちにもらった勇気は、ここに来るまでに使い果たしてしまったかと思うくらい、酷く緊張していた。

 だが本当に“いいこと”だった、しかもとびきりの。安堵して、そして奮い立って。体中で心拍を打つみたいに息は上がっている。


「南くんが載ってる雑誌とかを見て任せたいと思った、とのことだよ。ピンとくるものがあったみたいだね」

「うわあ、すげー……」

「有り難いことだよね、南くんの努力が引き寄せたんだよ。よかったね」

「はい、嬉しいです! 社長や前田さんとか、ここの皆さんのおかげです!」

「ありがとう。私のおかげだと思ってはいないけど、そういう気持ちを忘れないでいられる子は伸びるから、南くんがまっすぐそう言ってくれて嬉しいよ」


 じゃあ話を進めようと言って、早川はコーヒーをひとくち啜った。スタッフから南くんもどうぞと同じくコーヒーが差し出される。いつもならミルクや砂糖をたくさん入れて飲むところだが、今は喉を通る気がせず早川の話をじっと待つ。


「このカタログでは、男性と女性、女性同士、男性同士のふたりずつのページを設けたいらしい。全て恋人の設定。南くんにお願いしたいのは、男性同士のページとのことだ」

「はい。あの、それって何ていうブランドですか?」

「ああ、そのことなんだが……南くん、ブランドがどこか知ったら、君はどうする?」

「へ……えっと。ブランドの歴史調べたり、これまでのカタログを見たりして、どう映るのがいいか、何を求められているのか研究したいです」

「うん、そうだよね。そんな南くんが私は誇らしいよ。でも……このブランドは、アクセサリーや今回のカタログを通して自然体でいられること、自然な自分に似合うものを、ということを伝えたいらしい。だから撮影当日もまっさらな南くんでいられるように、ブランド名は伏せておいてほしいと言われている」

「…………」


 カタログの構成を聞いた瞬間、夏樹の頭にはnaturallyのコンセプトが浮かんだ。伝えたいものにも通じるものがある。まさか、と浮かんだそれを、だが夏樹は早々に打ち消す。余計なことは考えない、それを求められているのだから。

 ただ、絶対に成し遂げるという意志は強く胸に持っていよう。研究が出来なくても、現場ではたくさんのことを吸収して、それを体現出来るモデルになりたい。


「これは先方からの条件とも言えるよね。私としては正直、随分だなとも思ったんだけど」

「情報が何もないのは正直緊張しますけど……そうしたほうがいいものが出来るって、ブランドの方は思ってるってことっすよね。大丈夫です!」

「ふふ、頼もしいね。じゃあこの話、正式に引き受けるということでいいね」

「はい!」

「先方には私から連絡しておくよ」

「宜しくお願いします!」


 早川に深くお辞儀をした後、感極まった夏樹は両手を突き上げた。やったー! とつい大きな声が出てしまえば、社内からは拍手とおめでとうの言葉たちが湧き上がる。


「あ……大声出してすみません、でもありがとうございます!」

「みんな南くんのことが大好きだからね」

「うう、オレも皆さん大好きっすー! オレ、頑張ります! でもやっぱ準備何も出来んのはそわそわするっすね」

「まあね。でも何も出来ないってこともないんじゃない?」

「え?」

「肌のコンディションを保つとか、そういう基本的なことは出来るはずだ」

「あ、確かに!」


 柊吾からも常日頃言われていることのひとつだ。それが活かせるのは嬉しいし、さすが柊吾だと何だか夏樹まで鼻高々になる。今日からはより一層肌のケアに励もうと決意する。


 ぬるくなったコーヒーを甘くして飲んで、しばらくの雑談の後、あまり長居するのもよくないだろうと立ち上がる。だが早川が夏樹を呼び止めた。


「南くん、この後用事なかったらお昼一緒にどうかな」

「へ……いいんですか?」

「もちろん。お寿司は好き?」

「っ、好きっす! 高級ランチだ……」

「はは、そうだね」


 社長は昨夜もお寿司でしたよね? と先ほど帰社した前田が笑っている。フランクな雰囲気のこの事務所が好きだ。


 事務所の外へ出る間際、夏樹は振り返り社内を見渡した。身に余るほどの環境が整っている、あとは自分の努力次第だと思い知らされる。

 何よりもまずは、今日聞かされたばかりのカタログ撮影だ。指名での仕事は初めてで、自ずと力が入っている。必ず成功させるのだと意気ごみながら、早川と共に事務所を後にした。




 豪華な寿司ランチの後、夏樹はnaturallyに顔を出した。気にするなと、応援しているからと笑ってくれる人たちだと分かっているが、だからこそ突然の欠勤を詫びたかった。


 柊吾の姿は、スタッフルームにあった。ノックと共に扉を開くと、確認していたらしい書類を何故か慌てて隠されてしまったが、カタログの件を報告するとよかったなと喜んでくれた。

 隣の椅子に腰を下ろした夏樹は、いつものように髪を撫でてもらえることを期待したが、生憎それは叶わなかった。寂しく思いつつ、かと言って撫でてくれと言えるわけもなく。必ずいいものにするとの決意を柊吾に表明することで、しくりと痛んだ胸を誤魔化した。


 撮影日は十二月の頭に決定し、それまでの約一ヶ月を夏樹は慎重に過ごした。病気や怪我をしないように細心の注意を払いながら、肌を乾燥から守るため保湿に励んだ。太らないことも目標ではあったが、栄養バランスのとれた柊吾の手料理を食べているのだから、そんな心配は不要だった。自然体でとのことだったが、少しくらい筋肉をつけるのはどうかと晴人に相談すると、元々引き締まっているのだからと現状維持を勧められた。


 その間、というよりはクラブの一件があってからというもの、柊吾の夏樹への態度はどこかよそよそしさが感じられた。髪を撫でられることは一切ないし、目を合わせてくれることも減ってしまった。確かに怒ってはいないようだが、どうにも寂しい。晴人に不安を打ち明けたこともあったが、大丈夫だからちょっと待ってあげてとのアドバイスを受けた。その意味はよく分からなかったが、晴人への信頼で心を保てている。

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