第20話 まだ恋を知らない3

 リビングへと手を引かれソファへ腰を下ろすと、腹は空いてないかと聞いてくれた。昼のカフェでハンバーグを食べてから何も口にしていないのに、空腹はちっとも感じられない。

 力なく首を横に振ると、キッチンへと向かった柊吾は、あたたかい紅茶を持って戻ってきた。


「はい。夏樹の好きなサイダーもあるけど、あったかいのにしてみた。落ち着くから」


 柊吾は何も言わず、何も聞かず、ただそばにいてくれた。柊吾の存在が、夏樹の胸に柔らかく沁みこむ。


 しばらくして、マグカップの白い湯気が見えなくなった頃。夏樹はぽつぽつと今日の出来事を語り始める。


「今日は彼女と会う約束をしてたんです。カフェ行って、ランチ食べて。でも彼女は注文したパスタ、全然食べなくて」

「うん」

「なんか……元気ないなとは思ってたんすよ。オレ、こっち来てから全然連絡してなかったからそのせいかなって思って。そう聞いたら、泣き出しちゃって……ごめんねって謝られました。何がなんだか分かんなくて……ハンカチってやっぱ持ってなきゃ駄目だなって、あたふたしてたら……オレの友だちが来たんです。偶然だなって思ったんですけど、まっすぐこっちに来て、彼女の隣に座って……」


 入店してきたのは、昨夜は都合が合わないからと会えずじまいになった友人だった。彼女の綾乃が泣いている時ではあったが、顔を見られてつい嬉しく思ってしまったのも事実だ。だがその直後、夏樹は数々の衝撃を受け止めることになった。

 綾乃とその友人はお互いを好いている――つまり浮気をされてしまった、ということだ。


「マジか……」

「……はい。オレ、すげーショックで……でもそのショックって、浮気された、ってやつじゃなくて」

「…………?」

「それよりも何て言うか……彼女が泣いてるのはオレに申し訳なく思ってるからで、友達がごめんって頭下げてるのもオレのせいなんだなって。ふたりは両想いで、幸せなはずなのに。それ見てたら、なんか……ふたりにこんな顔させて、邪魔者はオレで、オレが悪いよなって」

「いやそれは違うだろ。夏樹が裏切られたんだから怒っていい」

「ううん、違うんです。だってオレ、気づいちゃったんです。こんなに一生懸命になれるくらい、好きな訳じゃなかったなって……オレ、女子たちには友だち以上に見られないっていつも言われてたんすよ。でも綾乃ちゃん……元カノ、が、初めて告ってくれて。それがすごく嬉しくて、この子のこと好きになれたらすげー幸せじゃんってオーケーして。でもそうなれてなかったんすよね。中途半端で、そのまま東京に出て。オレが連絡もしないから寂しくて、その友だちに相談してたら好きになった、って。オレに縛られて苦しかったんだなって、可哀想なことしたなって思いました。恋ってふたりでするもんなのに、オレは出来てなかった」


 綾乃と遊ぶ時間は楽しかった。放課後に寄り道をして、暗くなった道でこっそりキスをしたこともある。

 でもそれも今思えば、恋人とはそういうものだと、それが正解で綾乃も嬉しいだろうと考えてしたことだった。恋心を抱いたかと聞かれたら、他の女子たちより情はあるが、答えるならノーになってしまうと振り返って思った。

 失礼な話だ。自分なんかより何倍も、青ざめた顔で頭を下げる友人のほうが綾乃を想っている。比べるのすら烏滸がましい。そんなもの、ひと目で明白だった。

 自分があの時軽々しく告白を受けなければ、ふたりはこんな風に苦しまずに済んだだろうに。自分のしでかしてしまったことがあまりにショックで、ただただ「オレのことは気にせんで!」とふたりに強く言って逃げてきてしまった。


 話の脈絡も上手く繋げられないまま、それでも夏樹は洗いざらい柊吾へ話した。幻滅されてしまうかもしれない、それだけのことをしてしまった。だが柊吾は夏樹の髪をポンと撫で、それからその肩に夏樹の頭を引き寄せた。


「へ……椎名さん?」

「んー……まあ夏樹がどんだけ自分が悪いって言っても、夏樹がしんどい思いしてんのもほんとだし。夏樹を慰めたいとしか俺は思わない」

「…………」


 肩の上で頭を撫で続けながら、柊吾のもう片手は夏樹の背中へと回った。まるで小さな子をあやすようにトントンと優しいリズムを刻まれ、また涙がこみ上げてきてしまう。


「うう、椎名さん優しすぎます」

「夏樹はお人好しすぎ。お前が彼氏だったのはマジなんだから怒りゃよかったのに。浮気されて自分が悪いって言うヤツ初めて見たわ」

「だって、オレ、オレ……綾乃ちゃんのことも、アイツのことも、苦しめたっ」

「ん。ほら、いっぱい苦しいの吐いていっぱい泣いとけ」

「うう、椎名さっ、オレ、もうアイツとも、友達じゃなくなっとかなぁ」

「大丈夫、大丈夫だ」

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