第21話 まだ恋を知らない4

 ひとしきり泣いて、ひとしきり自分を罵って。そうすると涙はようやく引っこんだ。

 ほうっと息をついた夏樹を、柊吾が腰を屈めて覗きこむ。何だか恥ずかしくて俯いた時。夏樹の腹の虫が鳴いてしまった。

 穴があったら入りたいとは、こういう時に使うのだろう。いよいよ顔を上げられなくなったが柊吾は笑うこともなく、何か食べるか? と優しく聞いてくれた。


「食べるなら作るけど」

「……椎名さんのごはん大好きだけど、今はそんな食べられんかも」

「分かった。じゃあちょっと待ってな」


 そう言った柊吾はキッチンに行ってすぐに戻ってきた。その手にはチョコレートの箱があり、記されたロゴは疎い夏樹でも知っている高級チョコレートのブランドのものだった。


「貰いもんだけど、甘いの好きだろ」

「好きです。でもこやん高級なの、オレが食べてもよかとですか」

「当たり前。ほら」

「…………」


 柊吾が開封してくれた箱の中には、見た目の美しいチョコレートが綺麗に並べられていた。ひとつひとつが仕切られていて、選ばれるのを待っているみたいだ。

 香りもよく食べたいなと確かに思うのに、どれから手をつけていいのか分からない。どうしたものかと隣を見ると、柊吾がひとつのチョコレートを摘まみ上げた。それを夏樹の口の前へと差し出してくる。


「ほら」

「え」

「口開けろ」

「ええ、マジ?」


 もしかして、チョコレートを取る元気もないと思われたのだろうか。柊吾の瞳はずっと優しい色をしていて、恥ずかしいからと断るのも違う気がする。

 心臓がうるさくて、頬はあぶられているみたいに熱くなってきた。それでも意を決して口を開くと、口内にチョコレートが転がりこんだ。だがとろける甘さより、くちびるに当たった柊吾の指の熱が頭から離れない。


「美味い?」

「ん……」

「もう一個食べるか?」

「ん……」


 体がくっつくくらい間近で、柊吾の手でチョコレートを食べさせられている。それにあてられた夏樹は柊吾の問いに生返事をしてしまう。こくんと頷いて、チョコレートを味わって。それを五度ほどくり返すと、いよいよ頭がぼうっとしてきた。それも無理がない、だってずっと憧れてきた人から甲斐甲斐しく介抱されているのだから。


 そうして身を任せていると、何故か柊吾が慌て始める。


「夏樹? 何か顔赤くないか?」

「んー? ふふ、椎名さんのチョコ美味しい」

「もしかして……あー、マジか」


 何か思い当たることがあったのか、柊吾はチョコレートの箱をひっくり返して頭を抱えてしまった。バツが悪そうにこちらを向いて、しゅんと下がった眉でごめん、なんて言う。


「これブランデー入りだったわ。もしかしなくても酔っぱらってるよな」

「…………? 椎名さん、もう一個」

「夏樹、ハタチになっても酒はほどほどにな。めっちゃ弱いぞ」


 何を言われているのか理解が出来ず、夏樹は首を傾げる。だが分からなくたって、柊吾の言いつけはちゃんと守りたい。こくんと頷いて、もう一個をねだろうとした時。ダイニングテーブルに置いてあった柊吾のスマートフォンが、着信を知らせ始めた。


「……こんな時間に誰だ? あ、夏樹、もう食うなよ」


 夏樹に釘を刺して柊吾は立ち上がる。

 どうして離れてしまうんだろう。せっかく一緒に過ごしているのに、そばにいてくれないのは寂しい。だがそれはワガママだろうか。

 ぐっと堪え、けれど電話に応える柊吾の言葉に夏樹は強くくちびるを噛む。


「今から? あー……」


 こちらをちらりと見やり、すぐに目を逸らした柊吾は首のうしろを困ったように掻く。

 こんな時間に呼ばれたのだろうか、それはもしかしなくてもセフレではないか。そもそも今日、夏樹は不在のはずだった。柊吾は出掛ける予定でいたのかもしれない。だとすれば、きっと行ってしまう。

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