第19話 まだ恋を知らない2

 熊本の空港に到着した日の夜は、友人たちが夏樹のために集まってくれた。まだ酒が飲める歳ではないので、場所は高校時代もよく行ったファミリーレストランだ。都合がつかない者もいて残念だったが、みんなが再会を喜んでくれた。


「なあ夏樹の雑誌まだ? 次俺ね!」

「俺も俺も~はよ見して!」


 一通り食事も済んで、今は夏樹が持ってきた雑誌を回し読みしているところだ。

 今週発売されたばかりのその雑誌を、夏樹は折角だからと数冊購入してきた。あんなに膨大な数を撮影しても、掲載されている夏樹の写真はほんの4カットほどで。いざ友人たちを前にするとやはり躊躇いもあったのだが、夏樹の不安は杞憂だったのだとすぐに分かる反応だった。


「まだこれしか仕事出来とらんとけどね」

「それでもすげーよ! マジで!」

「なー! 夏樹、ずっとモデルになりたかって言いよったもんね。俺感動する……」

「また載ったら教えろよ! 俺絶対買うけん! てかこれも後で買う」

「うん、ありがと!」


 尊の言っていた通りだ。気まずい想いなんて抱かなくてよかったのだ。東京に戻ったら、尊には相談ではなく明るい報告が出来る、尊もきっと喜んでくれる。そう思えることが友人との時間をより一層楽しいものにしてくれた。

 



 そんな初日を過ごせたから、この三泊四日を余すことなく満喫することが出来る。そう思っていたのだが。

 二日目の夜の九時も過ぎた頃。夏樹の姿は羽田空港にあった。自身に起きたことへのショックで、予定を早めて戻ってきてしまったのだ。


 夜の匂い、いつまでも明るい街。東京で五感に流れこんでくるものは、未だ自分は異物だと感じるのに十分で。

 けれど肌にも心にも馴染む地元に、もういたくない。そう思ってしまった時、夏樹の胸に浮かんだのは、この東京で出逢った人の顔だった。

 会いたいな、優しさがくすぐったくて照れ笑いを零してしまうあの時間に浸りたい。その人はきっと、家にはいないだろうけれど。


 重たい体を引きずってマンションへと到着する。空っぽのポストを横目にエントランスを抜ける。乗りこんだエレベーターは夏樹ひとりを乗せて、まっすぐに十階へと到着した。たった一晩しか経っていないのに、バッグの奥底に沈んでいた鍵に泣きそうになった。

 帰る場所はここだよな、そうだよな。大丈夫、と己に言い聞かせるように頷いて開錠する。


「ただいま……あれ?」


 誰もいない真っ暗な部屋を見たら、また泣いてしまうかもしれないな。そう思ったのに。夏樹の目に映ったのは、廊下の先のガラスから漏れるリビングの明かりだった。

 晴人は海外で撮影中だし、柊吾は出掛けているだろうに。もしや消し忘れてしまったのだろうか。

 だが夏樹の予想はすぐに、開いたリビングの扉に覆されてしまった。いちばん会いたかった人が、少し目を丸くしてこちらへと歩いてくる。


「夏樹? 帰るのって明後日じゃ……」

「っ、椎名さん……」


 柊吾と目が合った途端、夏樹の心はとうとう決壊してしまった。ひぐ、と鳴る喉がみっともないと思うのに、どうにも涙が止められない。柊吾が慌てて駆け寄ってくる。


「夏樹……」

「うー……」


 戸惑っている様子が伝わってきて居た堪れなくなる。

 大好きな人を困らせてしまっている。今すぐに泣き止みたいのに、制御が出来ない。

 止まれと願いながらゴシゴシと目を擦ると、その手を柊吾に取られてしまった。それから頭をポンと撫でられる。


「おいで。おかえり、夏樹」

「椎名さん……」

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