⑤ 伏せしまなこを――2

 思いもよらなかった少女の出現に米彦は声も出なかった。


 倫子は一歩後退あとずさり、


「何でこんなところにいるの」


 と、警戒しつつ、


「だって、ここって」周りを見渡し、「隠れ家でしょう? それじゃあ、つまり・・・・・・」


 米彦は、


「倫子ちゃん?」


 と、相手が紗仲でないことが分かって、


「何で、こんなところに・・・・・・」はっとして、「何で、それじゃあ、もしかして、倫子ちゃんも」


 呆然として見詰め合う。


 沈黙を破ったのは倫子だった。


「そう、そうだったの。米彦兄ちゃんもね。そっか。あの人がそうっぽいんだもの。彼氏の貴方だって、そうに決まっているわよね」


 さあっと倫子の周りに気迫がみなぎる。しかし武術の心得などない米彦は気迫になどは気付かない。ただただ呆けて倫子を見上げるばかり。


「そっか、そっか。それでね。ふうん。姉ちゃんが怪我して帰って来ても、何も教えてくれなかった理由が分かったわ。ただのケチかと思って、あやうく喧嘩するところだった」


 徐々に増して行く殺気。米彦は無防備のまま、


「倫子ちゃんも、そうなの? 集めているの・・・・・・?」


 その様子をいぶかしみ、


「そうなのって、そりゃ、そうでしょう。でなきゃ来るわけないじゃない」


 小首を傾げ、


「兄ちゃんは違うの?」


「・・・・・・俺は、違う」


「え」


「俺は、もう、あいつの何でもない。終わったんだ。もう無関係だ」


「それで、取りに来たんだ」


 気迫は轟々と鳴るばかりであった。


「いや、違う。俺はそんなものは欲しくないんだ。集めていない。そんなものは」


「そんなもの?」倫子の眉がピクリと動いた。「ま、何でもいいけれど。それじゃあ、何のためにいるの?」


「それは・・・・・・」口籠る。


「ま、いいや。それじゃあさ、どこにあるのか教えてくれない? この中にあるのは分かるんだけど、仕舞う所はなさそうだし。何処かにあるんでしょ? 隠し扉か何かが」


 米彦は知らなかった。初めてここへ来た時、好奇心から質問したのだが、紗仲は答えてくれなかった。彼女としてもこうして洞窟がばれ、侵入されるとは予想だにせず、このような状況が起きるとは想像もしていなかったが。


「ねえ、どうして教えてくれないの? 兄ちゃんは集めてなくて、あの人とは何の関係もないんでしょ」


「それは」


「どうなの」


「そうだけど」


「じゃあ私にちょうだいよ」


「・・・・・・それは出来ない」


「何で?」


「それは、・・・・・・他人のものを勝手に譲り渡すのは、そんな権利は俺にはないからだ」


 鼻で笑い、氷柱のように冷ややかな目付きで、


「違うでしょう。兄ちゃんが集めるのを止めたっていうのは、多分、本当。だけど、ねえ、兄ちゃん、貴方はまだあの人のことが好きなんでしょう」


「違う! 俺は、あんな奴なんか。あいつは、悪人だ。まともじゃない。ろくでもない、クズだ。だから、俺はあんな奴なんか、好きにはならない」


「・・・・・・ねえ、兄ちゃん、私もね、兄ちゃん達と同じように何度も転生しているのよ。二十歳にもならずに死んだ事もあるし、三十路で死んだ事もあるし、米寿まで生きた事もあるわ。だから私だって何度か恋をした事があるし、幾つかの愛を知っている。女としても愛も、男としての愛もね。


 兄ちゃんはあの人が悪人だから嫌いだなんて言っているけど、それは嘘よ。愛っていうのは、そんな美徳だとか、悪徳だとか、徳性や性格とは離れたところに在るものよ。本心では分かっているんでしょう? 兄ちゃんはまだあの人が好き。だからそんな風に、嫌いな理由を述べ立てるのよ。本当に好きじゃないなら、そんなことしないもの。ただ、好きではない、それで終わり」


「・・・・・・違う、きっと、俺は」


「別にいいんだけどね、私はどっちでも。・・・・・・あ、そうだ」と、手を叩き、「それじゃあさ、本当に兄ちゃんがあの人を好きじゃないなら、隠し場所を教えてよ。好きじゃないなら出来るでしょ?」


「それとこれとは話が別だ」


「別じゃないわ。兄ちゃんがあの人を嫌いだと言うなら、その証拠を見せてみて」


 米彦は悩み悶えた。それは倫子に隠し場所を知らないと告げるか否かではない。それは、口で何と言おうが実際には自分がまだ紗仲に惹かれている事実と、彼女がこの時代の倫理に反する行為を平然と為す人物だという事との間に生じる葛藤だった。彼女を許すべきか否か、それは感情と倫理との戦いだった。


 いや、本当にそうだったのだろうか、実際のところは、彼女に対する愛情と、彼女が自分とは全く異なる価値観を持つ、別世界の人間であると感じている事から来る疎外感との戦いではなかったか。


 いずれにせよ今の彼にはそこまで追求する余裕はない。


 倫子は米彦を興味本位で眺めていたが、すぐにそれに飽きてしまうと、


「ま、いいや。見世物はもういいのよ。兄ちゃんがあの人をどう思っているにせよ、私に教える気はないんでしょ」


 米彦は回答の糸口を提示された気分だった。


「そうだ! 俺は教えない。それだけは事実だ」


 彼が隠し場所を知っていたとしても同じように答えただろう。


「ふうん、やっぱりね」


「だからと言って」


「だからそれはもういいって。それじゃあ私が勝手に探すから、邪魔はしないで」


「いや、駄目だ」


「駄目だと言っても」


「探させない」


「強く出たわね。それは力尽くってこと?」


「絶対に、探してもらっては困る。力尽くでも」


「それならやっぱり、私は兄ちゃんを殺さなくちゃいけないのか」


 洞窟内の空気が冷たく引き締まった。いくら米彦であってもそれは感じた。背中に冷水が流れる。目の前の年下の少女が、親しく会話もしたことのある彼女が、自分に殺意を向けている。はっきりと肌にも感じられるほどに。


「だってさ、兄ちゃんは教えてくれないし、探そうとしたら邪魔するんでしょう? 私がいたら帰らないし、私も見付けるまで帰らないわよ」


「倫子ちゃんもか」目を硬くつぶる。「倫子ちゃんも、平気で人を殺すのか」


「当然じゃない。理想的な世界を実現するためだもの」


「そのためには人殺しだって」


「何でもするわ」


「・・・・・・その理想は、いいものなのか」


「当然じゃない」


「紗仲のもそうだ」


「きっとそうでしょうね。兄ちゃんの彼女なんだもの」


「それじゃあ、あいつに、譲ってくれる気はないか」


 呆れたような、蔑むような目をして、


「するわけないでしょ・・・・・・。いいものって事は同じでも、思い描く理想の形はきっと違う。何より私がするんじゃない。理想を実現させるのは私であって、余人ではないの。さ、問答は終わり。得物を出しなさい」


 倫子はポケットに手を突っ込んで、そこから上腕ほどの長さの竪杵たてぎねを取り出し、片手でくるくると回し始めた。時折宙に飛ばしては受け止めて、さながらそれはチアリーディングのバトンのよう。見るからに軽そうで、果たしてそれが武器になるのやら。


 そしてバシリと握り締め、一跳び、杵を振り上げ襲い掛かった。


 受けようと思えば受けられぬこともない、軽い打撃を米彦は戦い慣れせぬ恐れから必死で避けた。殺すと口にし、飛び掛かって来た相手を前に、平静でいられるほど度胸は据わっていなかった。


 だが、怯えたのは幸いだった。


――瞬間、米彦は耳が聞こえなくなった。


 体中に無数の砂塵が飛び掛かり、ぶつかった箇所に鋭い痛みが生じた。


 洞窟全体が震えていた。爆音が壁に反響し続け、それはいつとも止まらず、米彦の腹の底に響いた。


 砂でもやが立っている。そこに立つ影が言う。


「油断はしないのね。初めて見る武器を侮らない」


 影は少しずつ歩み寄る。


「これが私の宝具、通常時には木の葉や羽毛の軽さであっても、殴打に臨みては泰山の重さに達す。降魔杵ごうましょと呼ぶ。防がんと思わば防いでみよ」


 再び倫子は飛び掛かる。


 それを先の台詞も聞かねばこそ、ただまろび避けるのみである。紗仲や高緒のような鍛錬によるものではない、一回一回、ただ避け、ただ転び、うの態だった。その姿は無様な、柵の中で追い回される家畜以上のものではなった。


 その動作に倫子は彼が決戦の場に出たことのない素人であると看破した。にもかかわらず中々捉えられないのを不思議に思う。が、


「今はまだ十二歳、体が出来ていないのか」


 自分の身体が未成熟なせいだと納得する。


 米彦は壁に寄り掛かり、垂れていた鎖に縋り付いて立ち上がった。


 間髪なく降魔杵が襲い掛かる。米彦は尻餅を突いた。杵の打撃が鉄鎖を断ち切った。


 打ち砕かれた鎖は音を立てて引き摺り上げられた。同時に上方から数多の落下音が伝わって来る。倫子がはっとして振り返ると、後方では、寝台、行李、鉄櫃、鏡台、茶箪笥から化粧箱まで、家具の一切が土埃と共に落ちて来た。


 幾つもの衝撃が重なり合い、降魔杵にも劣らぬ轟音が鳴り響いた。


 しかしそれが分かった以上、見続けても無意味であるとし、倫子は米彦に視線を戻して鼻を鳴らして見下ろした。


「追い詰められたな、雀の子」


 するすると腕が上がっていく。


 米彦は歯を食いしばり、目を見張った。一分後には自分の命がないと分かった。その恐ろしさに腰が抜けていた。


 降魔杵は倫子の頭上にまで振り上げられている。


 が、それは更に振りかぶられ、腕は後方へと傾いて行った。


 倫子は米彦から目を離し、後ろを向いた。ぎょっとした。地面が崩れている。床板が割れて大きな穴が開いていた。次第次第に床は傾き、倫子は転び、転がり、滑り、地面に開いた大穴へ、米彦ともども洞窟の底の地下世界へと落ちて行った。

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