② 御手に塗れる――1

 山稜が地平線を作る田舎町の無人駅、綱留つなどめ駅の駅前広場は白い日差ひざしを照り返していた。だるような暑さの中で、蝉の声だけがうるさかった。真夏の昼下がり、炎天下にて遮蔽物も碌にないようなこんな所に、わざわざ出掛けてくる者は滅多にいない。事実、先程から通行人は一人も見ない。


 そんな駅前広場の片隅に、古い木造の東屋あずまやがあった。屋根は広く、日陰だけは出来ているが、熱を含んだ湿気が肌に纏わり付くのは変わらない。それなのに特にすることもなく暇を持て余した少年少女が五人ほど、東屋の中で卓を囲んで座っていた。


 彼らとしても暑気にうんざりしている。殆どがぐったりしている。彼らは塾の帰りだった。塾ならばクーラーが利いているが、居座るのなら黙って勉強をしていなければならず、気軽に喫茶店に通うほどの小遣いは貰っておらず、さりとて家に帰るくらいなら、こんな場所でも友人と無駄な時間を過ごしていた方がよっぽど有意義だと思っていた。


「それでね、八重ちゃん聞いてる? 浄瑠璃姫を演ってる女優さんがすっごく可愛いの」


 一人だけ元気な朱莉が親友に語っていた。彼女はこの頃、配信サイトの歴史物の動画にハマっており、先日、義経の史実を元にしたドラマの、浄瑠璃姫が出てくるエピソードを観たらしい。


 このシリーズは長く、公開中の話では、既に源平合戦も終わり、衣川も終わり、最新話では義経が蝦夷に渡ったところまで進んでいた。しかし割と飽きっぽい彼女がどこまで視聴するものか。


 朱莉は恋愛ドラマが特にお気に入りだったけれども、それ以外の動画もしばしば観ており、先週末は「能の成立」と題したドキュメンタリーを観たそうだ。途中で役者を使った小芝居が挟まれるのだが、朱莉いわく、


秦河勝はたのかわかつを演じた俳優が格好良かった! 始皇帝の衣装が豪華だった!」


 朱莉は役者やアイドルが好きで、一度語り始めたら中々止まらないのを八重は知っている。


 私はそういうのには余り興味がないんだけどな。――と、八重は思った。朱莉ちゃんが夢中になって話しているから聞きはするけど・・・・・・。それでも、これは長くなるな・・・・・。──猛暑の中、額に汗を滲ませながら相槌を打っていた。


 横目で他の友人を見た。和也は如何いかにも暑さでやり切れないといった様子で、俯きながらコンビニで買ってきたアイスをつついていた。私にも食わせろ、と八重は思う。


 光琉は缶コーヒーを片手に、どこかを向いて涼しい顔をしている。暇ならお前も朱莉ちゃんの話を聞け、と八重は思う。


 米彦はぽつねんとして、心ここにあらずだった。まるで魂でも抜かれたように、すっかりほうけていた。今日は一日そうだった。


 今朝方、彼が塾に来た時からそうだった。和也は彼が天体観測に来なかったことに文句を言ったが、米彦は振り返りもせず無視をしているかのように黙って席に座った。和也はムッとなり詰め寄ったものの、彼はこちらの喋る言葉も聞こえておらず、それどころか姿も見えず、その存在にすら気付いていないようだった。物思いに囚われて、現実世界を認識していないように見えた。


 昨夜のことを問い質そうにも、目も耳も利かない程の放心状態ではどうしようもなく、諦めた。夢遊病者のようにぼうっとして、授業では計六回も講師に注意されたが、それにも気付いていなかった。電車に乗って塾まで来られたのが不思議なくらいだ。


 初めの内は友人達も心配し、呼び掛けもしたが、どんな返事もしなかった。彼は完全に上の空だった。高緒も彼の様子に戸惑って話し掛けに来たものの、古くからの友人ではない彼女からの声にも反応を示さなかった。彼女は和也に仔細しさいを聞いたが、彼にだって訳が分からない。それでもとりあえず、昼飯食おうぜと言えば食事はした。帰ろうぜと言えば付いて来た。自我の失われた人形と違いはなかった。それで仕方なしに、彼の意識が元に戻るのを静かに待つことに決めたのだ。明日か、明後日か、何日後かは分からないが。


「本当にこいつ、どうしたんだろうな」


 和也はスプーンをくわえて米彦を顎で指した。答えを求めていたのではなく、不可解で仕方なかったのだ。昨日までは元気に過ごしていた友人が、突然こうなってしまったのだから。


 しかし光琉はそれに答えなかった。彼にだってそんなことは分からない。それだから光琉は答える代わりに別のことを口にする。


「なあ、気付いてるか」と、コーヒーの缶を卓に置いた。「あそこの子、さっきからずっと、こっちを見てるような気がするんだけど」


 和也は彼の視線を追った。八重と朱莉もその動きにつられて振り返った。


 赫々たる初夏の日差は重苦しく、風景は白く厚く塗り固められていた。油絵のような景色の中で、動いているのは立ち昇る陽炎のみ。質感と濃淡で物質は別たれる。一瞬、蝉の声が途切れた。


 駅前広場の反対側に、何時からいたのか、たった一つの人影があった。純白のロングワンピースを着て、肩掛け鞄を両手で提げて佇んでいる。鍔の広い帽子を被り、その影が苧麻むしの垂れ衣のように上半身を覆っていた。その市女笠に似た帽子の傾き加減からして俯いているようだが、垂れ衣のような影の裾がちらちらと揺れて、時折こちらに視線を送っていた。


 背格好からして彼らと同い年くらいだろう。この辺りに住む中学生か。体格や身のこなしからするに、多分、可愛い。それはここにいる全員が直感した。そして和也は腕組みをして自分達を盗み見る彼女の心情を分析する。


「あれは、俺に惚れたな」


「馬鹿」すかさず八重が言う。


「馬鹿とは何だよ、そうかも知れないだろ」


「有り得ないから馬鹿って言ったんだよ!」


「まあ」光琉が言う。「日陰に入りたいんだろう。あそこは暑そうだ」


 広場にある日陰は彼らが占拠している東屋しかない。植樹こそあれ、影を作るほど枝を伸ばしていない。コンクリートの照り返しはただただ激しかった。一同の中で最も暑さにへばっている和也であれば、一分と待たずに溶けてしまうだろう。


「遠慮してんのかな。声掛けてみるわ」


 と、和也がのっそり立ち上がると、


「やめときな」八重は引き留めた。「・・・・・・あんたが行ったら逃げるよ、きっと」


 和也は歯を剥き出して見せ、それから彼女の方へと向かって行った。


「さあ」光琉が呟く。「藤岡和也、一世一代のナンパの成果や如何に」


「ナンパじゃないから」朱莉が鋭く言い放つ。


 少女は和也が自分の方へと向かって来ているのに気が付くと、帽子の鍔を押さえて周囲を見回し、おろおろし始めた。遠目で見ても分かるほどの動揺に、八重は、


「やっぱ無理なんだろうね、あいつじゃ」


 と、和也の背を冷徹に見詰めた。友人達も慌てふためく見知らぬ少女に同情しながら首尾を窺う。米彦もまた呆けた眼をそちらへ向けた。


 その和也は片手を挙げて、まさに今、彼女に声を掛けようとした。


 その時、少女は彼に向かって走り出した。そして咄嗟のことに思わず抱き止めようとした和也の腕の下を華麗に潜り抜け、帽子が落ちるのも気にも留めずに、影のように黒く豊かな髪をなびかせて、一直線に東屋の陰に駈け込むと、呆然とする米彦の頭を抱き締めた。


 そして馥郁ふくいくたる胸が米彦の鼻先から離れると、少女は彼の足元にしゃがみ込み、相手の顔を仰ぎ見た。


 鮮やかな黒髪、梅のように白い額、澄んで煌めく明朗な瞳、甘露を湛えた柳の眉、通った鼻筋、ほのぼのと霞んだ桃の頬、薄く開いた真紅の唇からは熱い吐息が漏れていた。


 米彦の目が驚愕に見開かれた。おずおずとして手を伸ばし、確かめるように少女の頬に触れた。彼女はその手に自分の手を重ねた。


「紗仲!」


 彼は思わず叫んだ。昨夜山中で出会い、「さよなら」を交わし、「思い出したら」再会すると約束した少女がそこにいた。米彦は今見ているものが信じられなかった。


 その彼女は苦しそうに息を飲み、両目を細めて涙を浮かべた。そして、


「紗仲は寂しゅう御座いました」


 と、彼の胸を細い指で掻いた。


「貴方の昨夜立ち去ってからどれほど泣いたことでしょう。濡れた小袖は絞れど乾かず、どれだけ強く握り締め、どれだけ数を重ねようとも、一向に雫は止みません。草の露は朝には散れども我が衣手は憂愁を含みて尚湿り、恰も雨を孕みて膨らむに任す雲のよう。ただ何時までも水気を帯びて増すばかり。


 これまで昨夜貴方にお会いするまでは、一日千秋、千歳三千歳を一人寝に過ごす思いでは御座いましたが、それでも張り裂けんばかりの胸の疼きを貴方と会う日を楽しみとして癒しては抑え、千々に乱れる雲が思いを貴方の仮絵姿を頼みに治め、これまで生きて来られたのはただ昨日昨夜のためだけで御座いました。


 それがどうでしょうか。これまで唯一の望みとしていた邂逅は、あまりに惨いものでした。いえ貴方のせいでは御座いません、そうした事も起こり得るかも知れないと、想像だにせぬ紗仲の浅慮が招いた悲しみです。とは言え幾ら紗仲の迂闊が因果の業とは申せども、苦悶は苦悶、我が身を苛み、紫雲棚引き天下黎明に至れども、黒縄の魂魄を締め上げるが如く、痛痒いよいよ舌語に尽くせず。いっそ会わずにおれば良かったと、一方ならず思ったもの。


 貴方をお慕い申せばこそ、会えぬ月日が百年が千年、千年が万年と続けども耐え忍ぶ覚悟では御座いました。それが昨夜、一度お姿を拝すれば、そんな覚悟など風にたゆたう木の葉も同然、如何に空しいことかを知りました。


 貴方の去った後においては悩乱狂騒極まりて、穏やかなること一時もあらず、焦燥五臓に満ち満ちて、痛恨六腑を掻き乱し、はや一刻も耐え得ぬものと、一度お会いしましたからには、貴方と離れて生きることなど出来ないものと身に沁みて、二つに分かれた比翼が落ち様、断ち離された連理が枯れ様、まさに我が身の姿と見、堪えも利かずに恥を忍んで拝顔せんとて参り来ました次第。


 どうぞお願いで御座います、この紗仲めを憐れと思し召し、この来訪をお許し下さりますように。どの様に扱われましても構いません、ただお近くに居られるならば、水火の中へも喜び潜りますものを、紗仲今生のお願いで御座います、どうぞお側に置いて下さりませ」


 哀調切々。痛ましい声音で蕭々と語った。


 米彦はぼうっと赤くなり、膝にすがる少女を眺めた。身を曲げた彼女は、線の細く、抱けば割れてしまいそうな可憐さであった。目元は湿り、雨上りの花のように艶めかしかった。


 その彼女と目が合った。


 見上げ見下ろし互いに交わす顔と顔、梅と椿が色彩を競い、瀟洒しょうしゃを争う様相だった。春風が吹き通り、春霞が立ち込めた。暖かく濃い春の気配が溢れ出した。


 米彦は片手で彼女の肩を撫で、もう一方で髪をいた。


 紗仲は彼の膝に顔をうずめ、すすり泣いた。


 彼らにとって永遠とも思えた半日振りの再会であった。


 唖然としたのは他の四人である。どこの誰とも知らない少女が走り出したかと思うと彼らの友人に抱き付き、自分達の目も気にせずに情愛の絡み合う場面をやって見せた。四人はこの雰囲気に気圧されて、二人の世界から弾き出され、寒々として凍り付いた。


 まだ二人はくっついている。


 この時が止まるほどの空間から逸早く抜け出し、真っ先に我を取り戻したのは八重だった。


「ええと、ごめんね」


 一緒になった二人を見下ろし、


「あのう、綾幡? こちらの方はどなた様でしょうか・・・・・・?」


 米彦は上気した顔を上げ、彼女の名を告げた。そして困った。他に何と紹介したらいいのだろう。名前以外の知識は彼にはなかった。


「あ、あのさ」朱莉がかすれた声を出し、「とりあえず離れようよ・・・・・・。人目があるところで抱き合うのは止めようよ・・・・・・」


 当人達より赤い顔をして俯いた。


 指摘されて気が付いた二人はぱっと離れて朱莉よりも赤い顔をした。


 甘い酔いから醒めた紗仲は両手を揉みじり、


「ごめんなさい、つい・・・・・・」


 と、米彦を上目遣いに見、彼もまた、


「いや、なんか、その・・・・・・」


 と、もじもじし始めた。


 そして見詰め合い、桜と桃が一斉に咲き出したような雰囲気に、二人の世界が再び花開きそうになった。ところへ、


「待った! 待って!」


 危ういところを八重が止めて、


「まだ私の質問に答えてない! どなた様なのさ、結局、この子は」


 答えられない米彦に替わり、自分で答えようとしたのだが、どのように言ったものかと考えた挙句、


「昨晩初めてお会いしまして・・・・・・」


「うん、それで? 昨晩初めて⁉ まあ、いいや。どういう関係?」


「私達は夫婦のようなものです」


「夫婦⁉」


「はい・・・・・・」と、頬を染め。


 八重も、他の友人も、困惑している。


「え、婚約者?」


「いいえ、妻です。私達は、夫婦のような関係を結んでおります故に」


 朱莉は愕然として額に手を当てて、「知り合ったのは昨日でしょ・・・・・・」


 八重は女友達をちらっと見てから、


「え、えっと、つまり、どういうこと? あなたは、どなた様?」


「ええ、何と申し上げれば良いのでしょうか。つまびらかにするのは難しいのですが、ただ申し上げるとするならば、以前の私は一個の偶像に過ぎませんでした。木石の空虚をもって徒に日々を浪費するばかり。寒い寂しい篝火かがりびのない冬を越すに等しい。凍え死んでしまわなかったのが今となっては不思議でもあります。夜の暗さが心を占めて、一抹の光明もなき日常を過ぎ越せたのは一つの奇跡とさえ言えます。しかし奇跡とは大望への道程です。昨日までの虚しい生は、昨夜をもって一変しました。


 綾幡様より優しいお言葉を頂けました瞬間を、一体何に譬えましょうか。云わば雷電の雲の絶え間に落ちるが如く、久しい半身の再び一つに合するが如く、激しい感動に打ち震え、欠けたるを埋めるが如き一時を、綾幡様より賜った次第にございます。そしてこの時に知ったのです。紗仲の空虚はこの時この為であったのだと。海綿の渇きは熱き血潮を注ぐ為であったのだと。身中の闇は夫を乞うていたのです。


 綾幡様と瞳を交わしました時、紗仲の心は飛び立ちました。この時に、紗仲は初めて生きたのです。生きる喜び、生の充実、昨日まではそれを知りもしませんでした。ただ、綾幡様に会うまでは。綾幡様の姿を見、言葉をこの身に受けるまでは。この方は、私に命を吹き込んで下さったのです。そんな昨晩の出来事を、どうして忘れることが出来るでしょうか」


 と、米彦に艶めかしい色目を流し。それから動揺が広がりつつある友人達に向かい、


「世界は目を通して見えるもの、目が暗ければ世界は暗く、目が明るければ世界は明るくなるものです。紗仲の目を開け、世界を輝かせて下さった綾幡様の御恩には、天の高さも海の深さも及びますまい。綾幡様に出会えた事は紗仲が人生において最も意味のあるところ、昨日昨夜は紗仲が生涯において最も価値のある日となりました。わば紗仲が生まれ、紗仲にとっての世界が誕生した夜でありました。昨夜を越した今日だからこそ言えるのです、私は三津島紗仲、この方の妻です」


 それだけ言い切ると片手を頬に当て、幸せそうに、ほうっと息を吐いた。彼女にとって自分とは彼の伴侶であり、それ以外の何物でもない。ただそれだけを主張していた。そして何をってそう言えるのか、友人達は言葉の節々から推察し、おののいた。


 彼女が走っていた時に落とした帽子を拾って来ていた和也はギクシャクとして、あうおう唸って二人を見比べている。


 光琉は眉を上げて興味深そうに米彦を眺めている。


 椎名は顔をなつめ色にして俯いている。


 八重の脳裡には「夫婦関係」という言葉が飛び回り、


「えっと、つまり、それって・・・・・・。あの、紗仲ちゃんだっけ? 昨日の、しかも夜に会ったばっかりだったんだよね。それで・・・・・・。ええぇ・・・・・・」しかもそれを言う⁉「ちょっと、早すぎない?」


「そのようなことはありません。遥か昔から知っていたような気がするのです。ただ会えたのが、やっと昨日であっただけのこと」


「あ、・・・・・・そう。そっか・・・・・・」


「それに、この方が紗仲めを何時いつ、どのようにしても構わないのです。紗仲は、綾幡様のおん持物もちものですから・・・・・・」


 ぽっ、となった。


 この言葉は初心な中学生達には刺激が強すぎた。光琉だけは小さく口笛を吹いたが。


 四人は狼狽して首をあつめて語り合う。


和也は、「どういうことだよ」


光琉は、「そういうことだろ」


和也は、「それって、つまり、昨日声を掛けて、それでそれから」


八重は、「藤岡、言うなよ」


朱莉は、「だ、だけど綾幡くんが今日ぼうっとしてた理由が分かって良かったね! 恋わずらいかあ」


 と、四人が彼らの方をちらっとうかがうと、二人は互いの顔に見惚みとれ合っていた。そして紗仲は、「ねえ」と甘く粘る声を大気に滲ませて、


「貴方、これ」と、肩掛け鞄を目先で示し、「私の所に忘れて行ったでしょう? 届けようと思って持って来たの」


「ありがとう。また、俺の方から行きたいと思っていたのに」


「本当? うふふ。嬉しい」


 友人達はまた顔を見合わせて、ひそひそと、


 和也は、「あいつ、やっぱり、あの子の所に行ってたんだな・・・・・・」


 朱莉は、「そう言ってたでしょ」


 光琉は、「米彦もやるもんだな。女には興味なさそうだったのに」


 和也は、「やることは、しっかりやって・・・・・・」


 八重は、「藤岡、てめえ! 言うなって言ってんだろ!」と大声を出した。


 その大声で初めて紗仲は四人の存在を思い出したかのように、彼らに向かって、


「あのう」


 と、声を掛けた。


「今更ですが、皆様は、綾幡様の・・・・・・」


「え、ああ」と、八重。「こいつの友達、ただの友達。何でもないから気にしないで」


「そうですか。安心いたしました」と、胸を撫で下ろして見せ、「うちのがいつもお世話になっておりまして。今後とも、どうぞ」


「ああ、うん・・・・・・」


 と、八重は曖昧に頷くが、――私達の方が付き合いが長いはずなんだけどな・・・・・・、と思った。


「有り難く存じます・・・・・・。それから、綾幡様のご友人とあれば、この紗仲も皆様方のお仲間にお加えいただけますよう、どうぞ」


 と、軽いしなを作りつつ、深々と腰を折ったのだが、その所作にいささか不自然なところがあり、よくよく見れば、この遣り取りの最中にも、この恋人達は互いの指を蛇のように絡み合わせていたのだった。


 二人の間に漂う匂いに中学生達はせ返り、


「あ!」と、朱莉が耐え切れずに声を上げ、「そ、そう言えば、私、用事があるんだった! か、帰らなくちゃ・・・・・・。お母さんから買い物を頼まれてるから・・・・・・」と、慌てて荷物を纏め始めた。それを見た八重もまた、


「わ、私も、朱莉ちゃんについて行かないと・・・・・・」


 この場から逃げ出す口実を作り、空気を呼んだ光琉は肩をすくめて、


「俺も予定があるんだ。昼寝の予定が」


 と、流れに続くのだったが、和也は言い訳を思い付けずに、あわあわした。傍目はためも気にしないでくっ付き合う彼らと一緒にはいられない。そんな彼に八重は、


「藤岡、あんた、私と、で、出掛ける約束してたでしょ!」


 と助け船を出し、


「綾幡、悪いね、私達、先に帰るから。ごゆっくり・・・・・・」


 相手の返事も待たずにバタバタと四人は駅構内へ駈け込んだ。


 紗仲は彼らの背に手を振った。


 東屋に二人きりとなって米彦は、改めて紗仲をまじまじと見た。身体の輪郭に沿ったシルエットの白いサマードレスは裾がくるぶしまで届き、腰には闇夜に溶け入るような黒いベルトを締めていた。両手首にはベルトと同じ素材のなめし革のように見えるものを巻き、首にも同様のチョーカーをしていた。彼女自身が真夏の日差を受けて光り輝かんばかりの美しさであったので、その革を巻いた部位、首、手首、腰が、暗い影に断ち切られているように感じられた。昨夜のような闇の中では、そのように見えるのは尚一層のことだっただろう。


 紗仲は小首を傾げて薄く笑った。その表情を米彦は好印象としてしか受け取れなかった。そして言うには、


「ね、私達もちょっと場所を移りましょう?」


 彼女の動きに合わせて軽やかにスカートの裾が揺れた。

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