第二話 舞台の鼓動


 どうやら、始まる時間が近づいてきたようだ。舞台の幕が上がる直前、チンドン屋さんの懐かしいメロディーが会場に響きわたり、そのターラララ……のリズムが、私たちの心をわくわくさせた。

 昔ながらの見世物小屋で聞いた、人々を呼び込むための曲が、今ここで新たな興奮を生み出していた。


 私たちは、客席から見て舞台の右側、上手と呼ばれる場所の最前列に座っていた。楽屋裏からは女二銃士が軽やかに駆け出し、漫才が始まるのを待ちわびていた。

 

「まさみ、いよいよ始まるで。せやけど、春風にそよぐ『虫ニゲール』のネタってなんやろな? ほんまにおもろいんかいな?」


 ポップコーンを口に放り込みながら、ぼんやりとした想いにふけった。心のどこかで、これは単なる暇つぶしに過ぎないと諦めているのかもしれない。


 頭の中は、法善寺横丁の定食屋で食べる、絶品グルメのふわとろオムライスのことでいっぱいだった。


 そんな私の心境とは裏腹に、まさみはコーラを飲みながら、何かを期待するような嬉しそうな表情で答えた。


「ネタバレはおもろないさかい止めとくで。まあ、ええわ。無料やし。売れてへんからって言うても、芸人としてなんば風月の晴れ舞台に立つんや。すごいやろ。ちゃんと応援せなあかんで」


 光が当たっていない漫才師だというのに、まさみの力の入れようはただごとではなかった。ふたりをよほど気に入っているらしい。

 

 なんば風月の会場を見渡すと、なぜかしら目を輝かせる観客でいっぱいだった。チンドン屋さんのほのぼのとするメロディーが、その興奮をさらに盛り上げていった。いよいよ幕が上がる。


 突然、後ろの方から、漫才師たちに「最後まで頑張るんやで」と声がかかった。その声は年配の女性からの応援メッセージだった。もしかしたら、孫のような娘たちを心配して見守っているのかもしれない。


 いよいよ、売れてない漫才師のイケまち女二銃士の舞台の幕が開き、ふたりのボケと突っ込みの掛け合いが始まった。



 ✽


 まち子「どうもどうも、会いたかったで。こんにちは。うち、春風にそよがれる人気者の『虫ニゲール』のまち子ぉぉや。今日も暇人がぎょうさんいてるわ。蚊にも気づかれへんおっちゃんやおばちゃんばっかりが……」


 いじられたというのに、大阪人らしい観衆の笑い声が場内に響き渡る。不思議なことだが、中には、蚊に悩まされているかのように首を振る人もいる。私もその姿に気づくと、思わず笑ってしまう。


 イケ子「ちゃうちゃうで、まち子ぉさん。うちらはイケまち女二銃士や。またきよし師匠と花月さんに怒られるで。ここに蚊なんかおらんわ。せやけど、さっきの音楽聞いた? あれなんやろ?」


 会場からは、期待に胸を膨らませるようなざわめきが起こる。


 まち子「はいはい。あれはな、パチンコ屋さんの新開店の時によう使われる『美しき天然』って曲やで。信州の山奥に流れる、ええメロディーやろ」


 イケ子「あかんあかん。パチンコ屋さんが『美しき天然』なんて、おかしいやん。まるでミネラルウォーターかいな。チンジャラの玉はじきにふさわしいのは、イケイケの軍艦マーチやなかったん?」


 観客たちは、イケ子の言葉にクスクスと笑いを繰り返し、そのユーモアに共感しているようだった。大阪の漫才らしい突拍子もないネタに、私とまさみも周りの観客と同じくうなずきながら笑みを浮かべた。


 最初は、ただの暇つぶしだと思っていた。けれど、舞台上のふたりのリズミカルなやり取りと、観客の一人ひとりが見せる小さな仕草や表情が、想像以上に面白く、次第に私の心を掴んでいった。


 会場全体が和やかな雰囲気に包まれ、私もまさみも、漫才の世界にすっかり引き込まれていた。



 

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