6-8
「……本当に美味いな。あの『竜』もどきがここまで美味な料理に化けるとは」
「……お、お褒めの言葉、ありがとうございます。レウィ様」
「確か他の味のものも作る予定だと言っていたな。そちらはまだ作らないのか?」
わずかな動揺を飲み込み、早鐘を打つ心臓を落ち着けながら、フィリカは言葉を返す。
フィリカのそんな様子を愉快そうな――けれど、その奥に確かな愛情を込めた目で眺めながら、レウィシアが自身の唇を軽く舐めた。
他の味を試すつもりはないのかと問いかける言葉に対し、返す言葉は一つだけだ。
「まずはシンプルな味付けのものから楽しんでいただき、数が減ってきたら他のものも作ろうかと。一度に作って冷めてしまっても勿体ないですしね」
「なら、他の味付けも楽しみにしていよう。お前が作る料理に外れは存在しないからな」
料理を楽しむのなら、できるだけ温かいうちに楽しんでほしい。料理の種類によっては冷めても楽しめるが、今回は温かいうちに口にしたほうがより楽しめる料理だから余計に。
フィリカが胸の内にある思いとともに言葉を返せば、レウィシアは納得したような声色でそういったあと、ちらりと祝賀会に集まっている面々――特に自身に仕えている騎士たちへ目を向けた。
先ほどは冷たく鋭い光を宿していた薄灰色が、今度は愉快そうに揺らめく光を宿しながら弧を描く。
「そういうわけだ。お前たちが口にしないというなら、これは全て俺と領民たちで分け合うとしよう。どうやら俺に仕える騎士たちの一部はいらないらしいからな」
「えっ、待ってくださいよレウィシア様!」
「いらないわけじゃないですって! 俺たちもいただきますよ、もちろん!」
「そ、そうですよ! ありがたくいただきます!」
警戒しているような様子を見せていた騎士たちが次々に言葉を返し、我先にと串焼きへ手を伸ばしてかぶりついた。
直後、串焼きを口にした騎士たちが大きく目を見開き、きらきらと輝かせる。
わずかな時間を置いたあと、皆が皆、がつがつと堰を切ったように食べ進めていく。
口に合うかどうかだなんて、わざわざ問いかけなくても答えなんてわかりきった様子を前に、フィリカの口元に柔らかな笑みが浮かんだ。
騎士たちの反応が呼び水となり、他の騎士たちも――そして領民たちも串焼きに手を伸ばし、ある者は恐る恐る、ある者は両目を輝かせながら程よく焼かれた魔獣肉を口に運ぶ。
無言になるのはほんの一瞬。瞬き一つの短い時間。
次の瞬間には、串焼きを口にした全員が表情を輝かせ、勢いよく串焼きを食べ進め始めた。
「美味しい! 何これ、本当に魔獣なの?」
「魚とも獣の肉とも違う肉って感じがするけど、すごく美味しい! こんな肉ははじめて食べたかも」
「これはいいな! 食べごたえもあるし、観光客にも売れるんじゃないか?」
弾んだ声や驚いた声、感動する声、商売を考える声。
さまざまな声が次から次に祝賀会の空気を震わせて、場を賑やかに彩っていく。
領民の何人かは串焼きではなくヒメアマアジオウゴンクラゲのジャムに手を伸ばし、黄金色にも見える薄黄色をしたそれをこんがりと色づいたバゲットの上に乗せ、恐る恐る口に運んだ。
さくりという軽い食感。焼かれた小麦の甘みとツィトルーンの実の爽やかさが加わったヒメアマアジオウゴンクラゲの甘さ。
フィリカとレウィシアも一度味わった甘みと美味しさがヒメアマアジオウゴンクラゲのジャムを口にした者の舌にも広がり、皆が皆、ぽかんと両目を丸く大きく見開いた。
「……これって本当にヒメアマアジオウゴンクラゲなのか? 食べれない味をしてるはずなのに?」
「あの厄介者がこんなに美味くなるなんてな……」
「ジャムって婚約者様は言ってたけど甘いリエットに近いわね。どうやって作ってるのかしら」
「ヒメアマアジオウゴンクラゲが網にかかるたび、うんざりしてたが……こんな美味いもんが作れるなら、ちっとは憂鬱にならずに済みそうだな」
シュテルメアの住民たち――特に海で働く漁師たちからすれば、ヒメアマアジオウゴンクラゲはただただ漁を邪魔し、漁獲量を減らす厄介者。恨むべき敵であり、けれど活用法が見つからず、網にかかっても廃棄するしかないもの。
長らく頭を抱えさせられてきた敵が美味と感じるものに化けたのだ、その衝撃はレウィシアや彼の屋敷で働く使用人たちが感じたものと同等か、あるいはそれ以上に違いない。
だが、ヒメアマアジオウゴンクラゲのジャムを口にした者たちの目には驚きはあれど嫌悪感や拒否感などの感情は存在せず、純粋に舌の上に広がる味に目を輝かせている。
――よかった。ヒメアマアジオウゴンクラゲのジャムも、海蛇種の串焼きもみんなに受け入れてもらえて。
祝賀会が始まったばかりの頃にあった警戒や不信の空気は、いまやどこにもない。
場に満ちているのは用意された食事を楽しんでいる人々の賑やかな空気で、誰もがフィリカの用意した魔獣料理を純粋に楽しんでいる。
小さく安堵の息をついたそのとき。
ふわ、と。
フィリカの頭部に優しく触れる体温とわずかな重みを感じた。
「……レウィ様」
こうしてフィリカに触れてくる相手といえば、フィリカが知る中でたった一人しかいない。
確信に満ちた声色で名前を呼び、視線を上げれば、予想通り柔らかく細められた薄灰色と視線が絡んだ。
「何も心配する必要はなかっただろう?」
「……そうですね。わたしも自信はありましたが」
柔らかな光を宿した薄灰色を見つめ、フィリカもゆるりと両目を細めて頷いた。
自分の魔獣料理の腕には自信がある。
今回用意した料理の味にも自信がある。
が、こうして受け入れてもらえた瞬間を目にすると美味しいと思ってもらえたんだ――と安心するものがある。フィリカも気づいていなかっただけで、心の片隅では不安を感じていたのかもしれない。
花が咲いたかのような笑顔と賑やかな空気につられ、フィリカもぱっと満面の笑みを浮かべる。
「レウィ様もたくさん召し上がってくださいね。料理が足りなければ、どんどん追加を作る予定ですから」
自分の中で大切だと認識した相手には、特にお腹いっぱいになってもらいたい。
レウィシアがフィリカの作った料理を食べている様子は、眺めていると満たされる姿でもあるから。
「……はは。なら、俺もフィリカが作った料理を思う存分楽しませてもらうとしよう」
先ほどと同様にレウィシアがフィリカの手に自身の手を重ねる。
今度はフィリカの手を自身へ引き寄せるのではなく、握り込まれている指をほどかせ、手に持っている串焼きの持ち手へ自身の指を絡ませた。
フィリカが声をあげる間もなく、食べかけの串焼きがレウィシアの手の中に移る。
ワンテンポ遅れてフィリカがぽかんと口を開けて、また即座にきゅっと唇を真横に結び、小さく息を吐いたのちに苦笑を浮かべる。
できれば食べかけではなく、新しい串焼きを温かいうちに食べてほしいのだが――レウィシアがこれがいいと思ったのなら、無理に止めるのはしないでおこう。
本人が食べたいと思ったものを食べてこそ、食事は楽しめるものだと思うから。
「……はい。レウィ様も祝賀会の参加者のお一人なのですから、今日は思う存分楽しんでくださいな」
大勢の人々の笑い声や談笑する声が聞こえる中、二人で笑い合う。
互いの顔を見つめ合うフィリカとレウィシア、二人の間はほのかな――けれど互いを想い合っている者たちにしか作り出せない甘やかな空気で満ちていた。
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